小林秀雄山脈の裾野散策 

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 小林秀雄山脈の裾野散策(三)
       
小林秀雄の井伏鱒二論(2)
大島 一彦  
  井伏氏が二度目に「助けられた」と思つた「あれ」は、小林が昭和三十四年に発表した「井伏君の『貸間あり』」である。これはのちに単行本「考へるヒント」に収められた一篇である。小林の井伏作品を見る視座はこの論でも基本的に変つてゐないが、ここでは映画と小説と云ふ観点から光が当てられてゐる。
 小林は或る日たまたま「貸間あり」の映画を観て失望したことから話を始めてゐる――「無論、映画は、原作に忠実に作られる必要もなし、又、そんな事は出来ない相談でもあらうが、商売第一とは言へ、これほど程度を下げて制作しなければならぬものか、といぶかつた。……井伏君にも久しく会はないが、もし、彼と一緒に見たら、彼はどんな顔をするだらうか。さて、どんな顔をしたものだらうか、暫くためらふであらうが、直ぐ気を取り直して、普段の笑顔になり、眼をパチパチさせながら、井伏鱒二といふ小説家は、聞きしに勝るエロだなあ、とでも言ふかも知れない。」
 このユーモアを含んだ書出しの一節には、小林の井伏その人に対する温かな思ひがにじんでをり、当然井伏もそれを感じ取つたであらう。小林は、小説「貸間あり」は「作家が、言葉だけで、綿密に創り上げた世界であり、文章の構造の魅力を辿らなければ、這入つて行けない世界である。作者は、尋常な言葉に内在する力をよく見抜き、その組合せに工夫すれば、何が得られるかをよく知つてゐる。……敢へて言へば、この小説家は、文章の面白味を創り出してゐるので、アパートの描写などといふ詰らぬ事を決して目がけてはゐない。私はこの種の文学作品を好む」と云つて、自らの或る体験を語る。自分は、一時期、文学を離れて、音楽ばかり聴いてゐたことも、絵ばかり眺めてゐたこともあるが、さう云ふ体験から得心したことがあると云ふのである――「それは、詩を捨て、驚くほどの形式の自由を得て、手のつけやうもなく紛糾してゐる散文といふ藝術にも、音楽が音楽であるより他はなく、絵が絵であるより他はないのと全く同じ意味で、その固有の魅力の性質がある、といふ事だ。……誤解されなければ、これを審美的自覚と呼んでいい……」
 小林はさらにかう云ふ――「詩を離れて身軽になつたと思ひ込んだ近代小説は、実は、いつの間にか、現実といふ重い石を引摺つてゐた。……作品の魅力も力も真実も、すべて現実といふモデルに背負つてもらつて、小説は大成功を収めて来た。批評家達も、その方が楽だから、いつもモデルの側に立つてものを言つて来た。実社会の分析が足りない、心理過程の描き方が不自然である、このやうな恋愛が今時何処で行はれてゐると思ふのか、そんな文句ばかり附けてゐるうちに、小説読者の方でもじれつたくなり、モデルを直かに見せろと言ひ出す事になつた。ここに、視聴覚藝術の攻撃にさらされた活字藝術といふ観察が生れる。贋物の藝術の行くところ、遂に、贋物の観察が照応するに至つた……」
 小林は近代小説の実状をかう分析した上で、井伏が「贋物の観察」に屈状せず、飽くまでも純粋な散文によつて小説作品を創り上げてゐることを力説する――「井伏君の初期作品には、極く普通の意味で抒情詩の味ひを持つたものが多かつたが、恐らく、彼は、人知れぬ工夫に工夫を重ねて、『貸間あり』の薄汚い世界を得るに至つた。彼の工夫は、抒情詩との馴れ合ひを断つて、散文の純粋性を得ようとする工夫だつだに相違ない。なるほど、作の主題は、作者の現実観察に基づくものであらうが、現実の薄汚い貸間や間借人が、薄汚いままに美しいとも真実とも呼んで差支へない或る力を得て来るのは、ひたすら文章の構造による。これは、小説作法のいろはなどと言つて片附けられるやうな事柄ではあるまい。むしろ、其処だけに作家の創造が行はれる密室がある事を思ふべきである。……これは、極めて純粋な散文なのだ。……この作品には、私に、面白い小説と言はせるより、純粋な散文と言はせるやうな或る力がある。私は、この或る力を、作者の制作の密室の方へ私を向き直らせる或る力を感じてゐるのである。……この作は、勿論、実世間をモデルとして描かれたのだが、作者の密室で文が整へられ、作の形が完了すると、このモデルとの関係が、言はば逆の相を呈する。……むしろ実世間の方が作品をモデルとしてゐる……。『貸間あり』といふ作品には、カメラで捕へられるやうなものは実は殆どないのである。……井伏君が、言葉の力によつて抑制しようと努めたのは、外から眼に飛び込んで来る、あの誰でも知つてゐる現実感に他ならない。生まの感覚や知覚に訴へて来るやうな言葉づかひは極力避けられてゐる。カメラの視覚は外を向いてゐるが、作者の視覚は全く逆に内を向いてゐる……。散文の美しさを求めて、作者は本能的にさういふ道を行つたのだが、その意味で、この作は大変知的な作品だと言つて差支へない。小説に理屈がこねられてゐれば、知的な作品であると思ふのは、子供の見解であらう。」
 小林は、最初の井伏論では、作者が文字をあやつる手元を見る、と云ふ云ひ方をしてゐたが、「貸間あり」論では、作者の制作の密室に眼を向ける、と云ふ云ひ方をしてゐる。これは同じことを云つてゐると受取つていいので、もし読者に「手元」や「密室」に注目する力があるなら、作者は小説散文を、純粋な散文の持つ表現力によつて自律させてゐるのであつて、一般に現実社会の実相とされるものの描写手段にはしてゐないことが判る筈だと云ふのである。つまり、小説の映画化が盛んになると、視覚的実相の方が主体で原作小説の文章はそれらを描写する影のごときものと見なされがちだが、井伏の作品のやうに純粋な散文によつて構成された知的な小説作品では文章が主体であつて、視覚的実相の方はその影なのである。小林が「むしろ実世間の方が作品をモデルとしてゐる」と云ふのはさう云ふことである。
(つづく) 

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