小林秀雄と人生を読む夕べ
この講座は、第一部、第二部の二部構成になっています。
前半の第一部は、「小林秀雄山脈五十五峰縦走」と題して、小林先生の作品を五十五作、講師池田雅延が選んで各回一作ずつ読んでいきます。小林先生六十年の作品系列を池田は飛騨山脈、奥羽山脈などの山並に見立てて「小林秀雄山脈」と呼んでいますが、そのなかでもひときわ高く、美しくそびえる五十五作を特に選んで「小林秀雄山脈五十五峰」と名づけ、≪私塾レコダ l'ecoda≫の熟読翫味作としました。
そして後半の第二部は、「小林秀雄 生き方の徴(しるし)」と題して、「考えるということ」「常識とは何か」「歴史とは何か」など、誰にとっても「いかに生きるべきか」の急所に関わる言葉を順次取り上げ、これらの言葉について小林先生はどう言われているかをお話しします。
「小林秀雄山脈五十五峰」「小林秀雄 生き方の徴」とも、より詳しくは「l’ecoda講話覚書 Ⅰ 開講にあたって」でご案内します。
令和6年5月の講座ご案内
●5月16日(木)19:00~21:00
小林秀雄と人生を読む夕べ
第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
第十三峰「菊池寛論」(「小林秀雄全作品」第9集所収)
菊池寛は、「恩讐の彼方に」などを書いた小説家、劇作家であると同時に文藝春秋の創業者として、また芥川賞・直木賞の設定者としても知られていますが、早くに純文学から離れて通俗小説「真珠夫人」などを新聞に連載し、多数の読者を獲得して「文壇の大御所」とまで呼ばれるに至った反面、若い作家たちからは軽侮されたり無視されたりもしました。しかし、小説を書くのは芸術のためではない、生活のためだと公言する菊池寛に計り知れない人間の大きさとリアリストの真髄を見た小林先生は、終生、正宗白鳥に抱いたと同じ敬愛の念を抱き続けました、その顛末が「菊池寛論」で語られます。
第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
「愛読」という言葉」
小林先生は、今から70年前の昭和29年(1954)、「読書週間」と題した文(「小林秀雄全作品」第21集所収)を書き、近頃は本が多過ぎる、困ったことだ、とまず言って、次のように読者を窘めました。
――読書百遍という様な言葉が、今日、もう本当に死語と化してしまっているなら、読書という言葉も瀕死の状態にあると言っていいでしょう。無論、読書百遍という言葉は、正確に表現する事が全く不可能な、またそれ故に価値ある人間的な真実が、工夫を凝(こら)した言葉で書かれている書物に関する言葉です。そういう場合、一遍の読書とは殆ど意味をなさぬ事でしょう。文学上の著作は、勿論、そういう種類のものだから、読者の忍耐ある協力を希っているのです。作品とは自分の生命の刻印ならば、作者は、どうして作品の批判やら解説やらを希う筈があろうか。愛読者を求めているだけだ。生命の刻印を愛してくれる人を期待しているだけだと思います。忍耐力のない愛などというものを私は考える事が出来ませぬ。そんなものがあるなら、それは愛ではない、何か別なものでしょう。……
それから約20年後、昭和52年には『本居宣長』を出してこう言いました。
――「源氏物語」による宣長の開眼は、彼が「源氏」の研究者であったという事よりも、先ず「源氏」の愛読者であったという、単純と言えば単純な事実の深さを、繰り返し思うからだ。「帚木」発端の文を、「物語一部の序のごときもの」と言う宣長の真意は、この文の意味を分析的に理解せず、陰翳と含蓄とで生きているようなこの文体が、そっくりそのまま、決心し、逡巡し、心中に想い描いた読者に、相談しかけるような、作者の「源氏」発想の姿そのものだ、というところに根を下している。更に言えば、この文の表現構造は、源氏という物語の主人公を描き出す、作者の技法の本質的なものを規定していて、それが、宣長の、源氏という人物の評価に直結している事を思うからである。……
こうして小林先生によって記され発音されると、「愛読」という言葉はますます陰翳を帯び、含蓄に富んで感じられます。5月16日の塾では、この「愛読」という言葉を小林先生は他にはどういうふうに記されているかも見ていきます。
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