小林秀雄山脈の裾野散策(一) 

 小林秀雄山脈の裾野散策(一)
       ラスコーリニコフの夢
大島 一彦  
 「美しい夢がラスコオリニコフを訪れる。」小林秀雄は「『罪と罰』について I」の第二節で、かう書いたあと暫しドストエフスキーの夢のありやう、その受け止め方について論じ、それから原文を引用してゐる――「彼はどうかといふと、その傍らを呟き流れてゐる流れに口をつけて、絶えず水を飲んでゐるのだ。非常に涼しい。そして、不思議な不思議な、空色した冷たい水は、色さまざまな石と、金色に輝やく美しい砂の上をさらさらと音を立てて走つてゐる……不意に彼は、時計の打つ音をはつきり聞いた。彼は身ぶるひしてわれに返り……(第一篇、第六章)
 ここのところ、十四年後に書かれた「Ⅱ」では、やはり第二節で小林自身の地の文に織込まれてゐる――「こんな男が、人殺しをする為に、数時間後、再び目を醒まさなければならぬとは。あはれな奴め。せめて美しい夢でも見たらどうか。美しい夢が訪れる。凡そこの男の意識に似合はしからぬ麗はしい夢が。金色に輝く砂の上に音を立てて流れる空色をした冷たい水を、彼は口づけに飲む。あゝ、この男は生きてゐる、夢の中で。遠い昔、自然が生物に与へた、自然への信頼は、この男には、はや夢の中にしか見附からないのか。時計が鳴る。彼は、ハッとわれに還り、自働人形の様に動き出す、婆さんの素頭に、斧が機械的に下りて来るまで。……」
「Ⅰ」では、ドストエフスキーの描くラスコーリニコフの夢を、小林は既成の意匠による解釈を避けて、無心に、冷静に見詰めようとしてゐる。「Ⅱ」では、小林は既にドストエフスキーの心と自分の批評精神を融け合せてをり、半ば自分のラスコーリニコフの夢を歌つてゐる。解釈はやはり避けられてゐる。読者には、小林の肉声が聞え、主人公に対する憐れみの情すら聞える。引用した一節は「ラスコーリニコフの夢」と題する小林自身の詩である。ここに、「Ⅰ」と「Ⅱ」の根本的な違ひが象徴的に現れてゐるやうに思はれる。「Ⅰ」のあとに「ドストエフスキイの生活」と「モオツァルト」が書かれ、そして「Ⅱ」が書かれた。その結果、ドストエフスキーの歌は小林の肉声に乗ることになつたのである。
(了)