次回の講座ご案内

令和6年9月のご案内

 令和6年9月の≪私塾レコダ l’ecoda≫三講座は、次のように開きます。
講師  池田 雅延   

●9月19日(木)19:00~21:00
 小林秀雄と人生を読む夕べ
   第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走

     第二十峰「歴史と文学(「小林秀雄全作品」13集所収) 
 
「歴史と文学」は昭和一六年(一九四一)、小林先生三八歳の年の三月に発表されました。先生は昭和七年から明治大学で文学を教え、一一年頃からは日本史も教えましたが、歴史の勉強は暗記地獄という状況はその頃も今と同じで学生はみな歴史に冷淡になっていました。これではいけないと小林先生は同僚の先生たちに提案しました、「古代からの通史を教えようとするからこうなるのだ、そうではない、建武中興なら建武中興、明治維新なら明治維新、というふうに歴史の急所に重点を定め、そこを精しく、日本の伝統の機微、日本人の生活の機微にわたって教えるのだ、学生たちは人生の機微にふれて感動しようと待ち構えている、そういう学生の心をまず尊重する、歴史教育はそこからだ……」。今回縦走する「歴史と文学」でも先生はまずここを強く言って本論に入ります。


  第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
    
「記憶」という言葉

 小林先生は、「信ずることと知ること」(「小林秀雄全作品」第26集所収)で、ベルグソンの『物質と記憶』に基づいて次のように言われています。――私達はみな、忘れる忘れると不平そうに言いますが、人間にとって忘れる事はむずかしい、生きる為に忘れようと努力して いるというのが真相なのだ。例えば溺れて死ぬ男が、死ぬ前に自分の一生を一度に思い出すとか、山から転落する男が、その瞬間に自分の子供の時からの歴史をぱっと見るとかいう話は、よく知られている事実です。記憶が一時によみがえる。何故そうなるかというと、その時、その人間は、この現世、現実生活というものに対する注意力を失う、この現実に対して全く無関心になるからなのです。人間は脳髄というものを持っているお蔭で、いつも生活に必要な記憶だけを思い出すようになっている。脳髄はいつでも、僕等に現実の生活をするのに便利な記憶だけを選んで、思い出させるようにしている。その注意の器官たる脳髄の作用が、異常な状態のうちで衰弱すると、全記憶はぱっと出て来る、そういう事も無理なく考えられる。だから諸君はいつでも、諸君の全歴史をみんな持っているわけだが、有効に生活する為には、そのような具合に全記憶が顔を出されては困るから、それは無意識の世界に追いやられる。諸君の意識は、諸君がこの世の中にうまく行動するための意識なのであって、精神というものは、いつでも僕等の意識を越えているのです。……
 この「信ずることと知ること」の十年前、世界的数学者、岡潔さんとの対話『人間の建設』(同第25集)ではこう言われていました、――ベルグソンの『物質と記憶』は脳と精神との関係を研究した書です、「物質」とは脳細胞のこと、「記憶」は精神の異名です。……
 では脳は、具体的にはどういう具合に精神に関わっているのでしょうか。9月19日の塾では小林先生にベルグソンの研究内容をさらに精しく教えてもらい、「記憶」という言葉の広大な背後を見渡します。

●9月5日(木)19:00~21:00
   小林秀雄「本居宣長」を読む

     第四十章  宣長の思想劇、最大の山場

 小林先生は、第二章で、こう言われていました。――或る時、宣長という独自な生れつきが、自分はこう思う、と先ず発言したために、周囲の人々がこれに説得されたり、これに反撥はんぱつしたりする、非常に生き生きとした思想の劇の幕が開いたのである。この名優によって演じられたのは、わが国の思想史の上での極めて高度な事件であった。……
 こうして「本居宣長」は、日本の近世にあって本居宣長を主役として展開された思想劇を写し出すべく書き起され、書き継がれてきたのですが、その思想劇が第四十章に至って最大の山場を迎えます。読本よみほんの「雨月物語」で知られる上田秋成は気鋭の国学者でもあり、たびたび宣長と論争しましたが、『古事記』で語られている天照大神あまてらすおおみかみは太陽の神格化であると言う宣長にはわけても反撥、両者の間で烈しい論戦の火蓋が切られ、その歯にきぬ着せぬ応酬のすさまじさが第四十章に活写されます。

●9月26日(木)19:00~21:00
   新潮日本古典集成で読む「萬葉」秀歌百首


   今月の「秀歌」は次の二首です。


    海原うなはらに かすみたなびき たづの 
     悲しきよひは 国辺くにへおもほゆ
              大伴家持[4399]95

    いへおもふと れば 
     たづが鳴く 葦辺あしへも見えず 春の霞に
              大伴家持[4400]96


 ・末尾の[ ]内は新潮日本古典集成『萬葉集』の歌頭に打たれている
 『国歌大観』の歌番号、その次の数字は今回の秀歌百首の通し番号です。