令和5年12月のご案内
令和5年12月の≪私塾レコダ l’ecoda≫三講座は、次のように開きます。
講師 池田 雅延
●12月21日(木)19:00~21:00
小林秀雄と人生を読む夕べ
第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
第四十四峰「美を求める心」(「小林秀雄全作品」第21集所収)
「小林秀雄山脈五十五峰縦走」は、前回の第五十一峰「人間の建設」をもって全五十五峰の登攀、縦走を達成しました。
しかし、この≪私塾レコダ≫での「五十五峰縦走」は、講師池田雅延が≪私塾レコダ≫の開設前に新潮社で開いていた講座の後を承けたかたちであったため、≪私塾レコダ≫で取り上げた小林先生の作品は二十作に留まっています。そこで本年十二月からは≪私塾レコダ≫でまだ取り上げていない三十五作を読んでいくこととし、その第一回は「美を求める心」を読みます。池田は、「小林秀雄は何から読んだらいいでしょうか」と訊かれるたび、老若男女を問わず「美を求める心」から読んで下さいと答えています。
「美を求める心」は、元はといえば小学生・中学生に向って書かれた文章です、したがって難しいことは何も言われていません、しかし、ここで言われていることは、小林先生が大人に向かって言い続けたことのエッセンスです。先生の文筆生活は約六十年に及びましたが、「美を求める心」はその六十年のほぼ中間点で書かれていることによって前半期のエッセンスがここに流れこみ、後半期のエッセンスはここから流れ出ています。
先生は、私たちが生きるうえで大事なのは「知る」ことよりも「感じる」ことだと言い、絵や音楽がわかりたいなら頭でわかろうとせず、たくさん見なさい、聞きなさい、まず慣れて、そして感じることが大切です、と言います。
たとえば菫の花を見て、たいていは「ああ、菫だ」と思うだけですませてしまうけれどそうではない、菫だとわかってからも黙って一分間見つめるのです、すると細かい部分の形や色までもがはっきり見えてきて、菫の花にも自分の目にも驚くはずですと言います。では、なぜそこまでするのでしょうか。菫の花の姿に感じて新たな何かに気づくように、人の姿に感じて人生の機微を知るようになるためだと言います。
第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
「集中力」と「持続力」
小林先生は、「集中力」と「持続力」ということをよく言われました、人それぞれの頭の良し悪しは「集中力」と「持続力」、これを備えているかどうかだ、と言われていました。
●12月7日(木)19:00~21:00
小林秀雄「本居宣長」を読む
第三十二章 「人生の意味の構造」
前々回、前回に続いて、今回も第三十二章を読みます。
第三十二章は、本年(令和五年)十月に「小林秀雄全作品」第28集の9頁から15頁8行目までを読み、十一月に同15頁9行目から22頁4行目までを読みました、これに続いて十二月は、22頁の5行目からです。
第三十二章では本居宣長の学問に大きな影響を及ぼした荻生徂徠の学問がつぶさに考察されていますが、今回は徂徠の著作「弁名」が焦点で、「弁名」は儒学の経書、六経に見られる名辞(言語に表現された概念)、すなわち道、仁、智、聖、礼、義などの意味内容を究明した書です。しかし、小林先生は、「弁名」は単なる辞書ではない、これはそのまま中国古代の聖人たちによって捕えられ、生きられた人生の意味の構造であり、ここには徂徠の学問上の主張が強く打ち出されている、徂徠にとって字義とは、物と名とのしっかりした均衡関係を言うのである、と言われています。
●12月14日(木)19:00~21:00
★ご注意下さい、12月は年の瀬を迎えるため「萬葉」秀歌百首講座は普段の第四木曜日を繰り上げ、第二木曜日の14日に開きます。
新潮日本古典集成で読む「萬葉」秀歌百首
今月の「秀歌」は次の二首です。
君が行く 海辺の宿に 霧立たば
我が立ち嘆く 息と知りませ
遣新羅使人の妻[3580]77
君が行く 道の長手を 繰り畳ね
焼き滅ぼさむ 天の火もがも
狭野弟上娘子[3724]78
・末尾の[ ]内は新潮日本古典集成『萬葉集』の歌頭に打たれている
『国歌大観』の歌番号、その次の数字は今回の秀歌百首の通し番号です。