小林秀雄「本居宣長」を読む(二十四)

小林秀雄「本居宣長」を読む(二十四)
第十四章
 紫式部の創作意識
池田 雅延  
         

 第十三章で、「源氏物語」の蛍の巻に見られる光源氏とたまかずらの物語論には、紫式部の本意、すなわち「源氏物語」の作者としての物語観と執筆意図が託されていると見た宣長は蛍の巻の全文についてくわしい評釈を書いている、と言った小林先生は、第十四章を次のように始めます。 
 ――源氏君の話は、冗談の後では、真面目な物語の弁護になるのだが、飽くまでも、この会話に、作者の下心したごごろ(本心、目論見/池田注記、( )内は以下同様を追おうとする宣長は、式部とともに考える。源氏君の冗談に託して、思い切った事を言って了えば、後はその穏やかな議論の袖の蔭に、隠れていればよいと。源氏君は、物語の肩を持ち、いろいろと物語の為に取りなすが、言い張りもせず、言い切りもせず、「よくいへば、すべて何事も、むなしからずなりぬや(無駄ではなくなりますよ)と、物語を、いと(とりわけ)、わざとの事に(意図的にこうしたものであると)、の給ひなしつ(おっしゃってしまわれた)」で、話は終って了う。……
 ――だが、宣長は、「この一節、下心は、式部が卑下(謙遜)ことば也、右の如く、この源氏の物語を、心ありげにはまうせども、所詮は、はかなき、あだ事也と、卑下して、筆をとゞめたり」と註せずにはいられない。「源氏物語」が明らかに示しているのは、大作家の創作意識であって、単なる一才女の成功ではない。これが宣長の考えだ。自分の書くこの物語こそ「わざとの事」(意図的にこうしたもの)、と本当に考えていたのは式部であって、源氏君ではない。式部の「日記」から推察すれば、「源氏」は書かれているうちから、周囲の人々に争って読まれたものらしいが、制作の意味合についての式部の明瞭な意識は、全く時流を抜いていた。その中に身を躍らして飛び込んだ時、この大批評家は、式部という大批評家を発明したと言ってよい。この「源氏」味読の経験が、彼の「源氏」論の中核に存し、そこから本文評釈の分析的深読みが発しているのであって、その逆ではないのである。……
 ここで「この大批評家は」と言われている「大批評家」はもちろん宣長ですが、「批評」は今日一般に言われている「批評」ではありません、物事の本質を直観し、洞察し、その直観と洞察を言葉にするわざ、の意で言われる「批評」です、そして「この大批評家は、式部という大批評家を発明したと言ってよい」と言われている「発明」も今日一般に言われている「発明」ではありません、ありとあらゆるこの世の物事のなかでもこれぞと見込んだ物事の実相と意義を誰よりも早く見出して認識することを言う「発明」です。
 ――源氏君は言う、「人のみかどの(中国の朝廷の)、ざえ(学問)、つくりやう(記述の様態)かはれる、おなじやまとの国のことなれど、むかし、今のにかはるなるべし、深きこと、あさきことのけぢめこそあらめ(ちがいはあるだろうが)、ひたぶるに(ひたすら)、そらことといひはてむも(作り事と決めつけてしまうのも)、ことの心、たがひてなん有ける(物語の実情にそぐわない話なのです)」。書物を作る人の才智も、作りようも、異国とわが国とでは違う、同じわが国でも、昔と今とでは違う。次の「深きこと、あさきことのけぢめこそあらめ」という文を、宣長は評して、「深き浅きといはずして、ことといへるに心をつくべし」と言う。「深きことは、深きことばにて、異国の書物又は日本紀のたぐひの書也、浅きことは、物語類也、深き浅きは、作りやう、文章のくわれいたくみにして、心を用たるをいふ、浅きは、女もじ(ひらかな)にて、何となく、しどけなくかけるをいふ」、「文章詞の深浅こそ有べけれ、心は深さ浅さのけぢめ(ちがい)あるべからざれば、一向ひとむき(一方的に)、空言也とて、すてんも相違也(まちがいだ)と也、心の深浅はあるべからぬといふことは見えねども、けぢめこそあらめ、といへる語勢にて、其心を、言外にふくめることしられたり」。宣長の評釈は、今日の言葉で言えば、はっきりした文学様式論による物語弁護なのである。先きに書いたが、物語を知るには「其時のならひ」を知らなくてはならず、「其時のならひ」を知るには「源氏」は最上の物語だと、彼は考えていた。この場合、彼が「時のならひ」という言葉を使う時、今日流行の歴史の制約とか歴史の限界とかいう考えは、勿論もちろん、彼の念頭には全くなかった事を忘れまい。……
 ――王朝の物語には、どれも「其時のならひ」を映して、「何となく、しどけなく書ける」型があると見る事と、「其時のならひ」を出来るだけ意識的に生きて、これを自己の内的表現の素材と化した作家の努力を見るという事とは異なる。「其時のならひ」を知るには、「源氏」が最上であると宣長が言う時、「其時のならひ」に完結した意味を与え得た「和漢無双の妙手」を、彼は思っていたのであって、彼が、「源氏」について、何を置いても語りたかったのは、この「めでたき(立派な)器物」の「めでたさ」の秘密である。その表現の充実と完璧との力であり、「其時のならひ」を吾が物とした作家の制作の自由である。この考えを、しっかり心に入れて置けば、私達は、いま挙げた宣長の評釈にも、彼の下心を読まざるを得まい。人為的な一定の規範をかかげて文学を評価してはならない、時代による文学様式の在るがままの相違を容認しなくてはならない、と源氏君は物語を弁護する。「時のならひ」により、「作りやう」には「深きこと、あさきことのけぢめ」はあろうが、「心は、深さ浅さのけぢめあるべから」ずと宣長は評釈する。表は、源氏君の言葉の評釈だが、下心は、少しも卑下するには当らぬ、と式部に語りかけているのである。……
 そして小林先生は、宣長が「源氏物語」に見出した物語という文学様式の内発力と、後世に開かれた果てしない可能性とを次のように言います。
 ――「源氏」の歴史的位置を、外側から計り、指す事は出来ようが、この位置について、精いっぱいの体験を語って、これを完成した姿に創り上げたのは、式部の自己の内部の出来事に属する。宣長が「無双の妙手」という言葉を使う時に、はっきり感得していたのはその出来事であり、従って、この妙手によって、その時代の為に仕上げられた「おろかに、未練なる(未熟な)」「女子ぢょしの如くはかなき(これといった中身のない)」物語が、後世に向って通路を開き、そのまま人心の変らぬ深処を照明するもの、と彼に映じたのは当然な事だ。それは、彼が無私の名の下に、自己を傾け尽そうとする学問の制作過程の内部で起った、全く自然な出来事だったと言ってよい。……
 以上ここまで、今回も小林先生の本文を確と読み取ることに専心しました。第十四章から引用した文中の「源氏物語」の原文部には口語訳を添えましたが、この口語訳は多くを新潮日本古典集成『源氏物語』(石田穰二氏、清水好子氏校注)の傍注に負っています。

(第二十四回 了)