小林秀雄山脈の裾野散策(九)
対象の特質の明瞭化について(1)
大島 一彦
「ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがまゝの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違ふ特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるひは限定といふ手段は必至のものだ。」
これは小林秀雄の「批評」と云ふ文章の一節だが、この言葉を念頭に置きながら、以下、「対象」の具体例として「絵画」と「写真」、「芝居」と「映画」と「小説」の五つを採上げ、それぞれの「他のものとは違ふ特質を明瞭化し」ようとする小林の思索の跡を辿つてみたい。ほぼ引用文を並べることになるが、筆者の工夫はそれぞれの「対象」に関する引用文の選択と排列にあるので、その点を諒承され、引用文をじつくりと読んでみて頂きたい。物事の本質を見極めようとする小林の鋭い知性と感性の働きが味はへるであらう。
まづ絵画と写真について――
「凡そ私達の日常生活で知覚する物体で、私達の生活感情で色どられてゐない物体はない。その形は親しく、その名は親しい。それは生きてゐる。画家は、これを静物と名附けて、見ても見ても見飽きないのである。」(「死体写真或は死体について」)
因みに、静物とはstill life、つまり静かな生と云ふ意味である。
「写真は何ものも表現しない。expressionといふ言葉を、その本来の意味、ものを圧しつぶして中味を出すといふ意味にとるならば。」(同前)
「写真の技術が発達して、いよいよ能率的に藝術表現を模倣する様になつても、画家は、昔乍らのたどたどしい技術を、頑固に守つてゐる。内にある命を、外に現さうとすれば、言はば、命を指先でつまんでみる必要があるからである。この古い信仰には、永遠の道理があるらしい。」(同前)
「命を指先でつまんでみる」とは、具体的には絵の具を一刷毛一刷毛画布に乘せて行くと云ふことであらう。
「優れた画は、私達を感動させるが、泣かしたり笑はしたりはしない。豊かな観照が、私達の生きてゐる理由について、何事かを静かに教へ、私達にそれを語れと誘ひかける。だが、どんな優れた画家でも死体の前では失敗するだらう。この奇怪なモデルから、どんな肖像画も出来上りはしまい。写真はたゞ死体に似てゐればいゝが、肖像画は画家にも似なければならぬから。私達も画家と異つた人種ではない。」(同前)
小林は昭和二十七年の年末に友人の今日出海と半年間にわたる海外旅行に出掛けたが、その折に或る人から餞別にカメラと露出計を貰つた。小林が持物を失くす癖のあることをよく知ってゐた奥さんは、どうせ持つて帰りはしない、と請合つたらしいが、その予言は的中して、まづ露出計が、次にカメラが旅の途中で紛失してしまつた。そのことについて小林はかう述懐してゐる――
「ところがカメラをなくしてみて、意外な発見をした。実は、カメラなぞ私には邪魔だつたのである。われながら小まめにパチパチ写してゐた間は、結構楽しかつたのであるが、カメラがなくなつてみて、かうさばさばした気持になるところをみると、たゞ楽しかつたやうな気がしてゐるだけの話だつたに相違ない。私には心の奥底で、カメラのメカニズムに屈従するのが、いつも気に食はなかつたのかも知れない。いづれにせよ、首根つこからぶら下がつた小さな機械が紛失したおかげで、私の視力は、一度失つた気持のよい自由感を取戻したといふ感じは、大変強いものであつた。このことは、私に文学の仕事の上でのリアリズムといふ言葉の意味について、今更のやうにいろいろのことを考へさせた。」(「写真」)
フランスで始まつた写真術の発明と普及は、折からリアリズムの運動が起つてゐた絵画や文学に強い影響を与へたことは確かだ。印象派の画家達は「文学的な観念によつて曇つた視覚の純化」を目指してゐたし、文学者達は「浪漫主義の人生観の反動として」「リアリスティックな考へ方」をするやうになつてゐた。しかしその影響は「あくまで外的なものに止まり、文学者や画家の仕事の中心部まで達する性質のものではなかつた。カメラのリアリズムは、文学や絵のリアリズムと表面で触れ合つただけだ。リアリズムといふ言葉は同じでも、意味がまるで違ふからである。前者は、純然たる実験科学の成果であるが、後者は一種の人生観を意味する。……この相違は、やがて歴史の上で誰の眼にも明らかになる。文学や絵画のリアリズムは、行くところまで行くと反省期に入つた。小説家も画家も、ひたすら外物の観察に向けてゐた眼を、内部に向けるやうになるのだが、反省とか反動とかいふことが元来無意味なカメラのリアリズムは、いよいよ精緻になる対象の模倣に向つて直進する。」(同前)
以上は、小林がカメラを紛失したことで取戻した「自由感」に促されて「リアリズム」について考へたことの要約である。
小林はのちに「蓄音機」と云ふエッセイを書いてゐて、そこで「ハイ・ファイ」と云ふ言葉に思ひを廻らせてゐる。ここでその云ふところを聞いておきたい。「ハイ・ファイ」とは「高忠実度」を意味する「ハイ・ファイデリティ」の略語で、一般には高性能の音響再生装置に関して使はれる語だが、小林はこの語をカメラにも使つてみたらどうかと云ふ。
「カメラのリアリズムなどと言ふのは止めにして、カメラのハイ・ファイと言ふ事にすれば、元来が人間の人生観なり藝術観なりの一種を指して言ふリアリズムといふ言葉は、その本来の意味をとり戻すであらうし、カメラのメカニズムの一種の自律的な機能を、ハイ・ファイといふ言葉が限定する事になるだらう。無論、リアリズムといふ言葉はまことに曖昧であるが、これにはハイ・ファイの意味はない事を、言葉の使用の上からはつきりさせるのは悪い事ではあるまい。」
小林は「写真」と云ふエッセイの最後をかう結んでゐる――
「美学者の間では、写真は藝術と言へるかといふ議論もあるが、写真が現実に新しい感動を人々の間に呼び覚まし、これが藝術といふ言葉の意味を変へて行く力を持つてゐるなら、さういふ議論も空しいであらう。なるほど、写真藝術の表現過程は、カメラの全く非人間的なメカニズムに基づく。しかし、この言葉は曖昧である。表現力を持つてゐるのは、カメラを扱ふ人間であつて、カメラではない。カメラは、人間的にも非人間的にもおよそ表現力なぞ持つてはゐない。例へば、ピアノの表現力などと人は言ふが、表現力といふ言葉の乱用に過ぎない。ピアノといふメカニズムは、演奏者の表現力と聴衆との間に介在した通路に過ぎないと言つた方がいゝ。通路が、科学的に整備されるのに、何の不都合があらうか。」
この、表現力はカメラそのものにあるのではなく、カメラを扱ふ人間にあると云ふことについて、後年に書かれた「入江さんの大和路」と云ふエッセイを読むと、その具体的な機微がよく判る。これは写真家入江泰吉の写真集「万葉大和路」を見てゐて感動した小林の入江泰吉に対するオマージュであるが、同時に小林の写真観の結論とも云ふべき文章である。
小林は、この写真集のあとがきにある入江の、「万葉の大和については、写真のテーマとしてかねてから興味をひかれ、古寺風物の遍歴のかたわら手掛けてきた」が、「歌のこころを、レンズという科学の目をもってしては、容易に表わしうるものではなく、仕事も捗らなかった」と云ふ言葉に注目して、かう云ふ――「一読して別段困難はないやうな文だが、解り易さは見掛けだけのものだ。文の中心を成す『写真のテーマとしての歌ごころ』といふ、入江さんに体得された観念は難かしい。この本質的な難解性が、文の背後に隠れてゐる。私は、それを思ふ。」
「この本質的な難解性」を、小林は以下のやうに解きほぐしてみせる――
「この写真家の仕事の原動力となつてゐるものは、終戦時の一事件によつて、思ひも掛けず、烈しい照明を受ける事になつた大和路といふ……氏自身の『心の拠』である。統一化され、明瞭化された大和路といふ意識の緊張だ。これは、外に向つてその形を実現しようとする、写真制作者の内にある形成力、制作者が意のままに働かすことの出来る想像力であらう。さう解していいなら、自己表現を欠いた写真機のメカニズムはどういふ事になるか。言つてみれば、制作者が内蔵する創作のエネルギーの回路に置かれた抵抗物といふ事にならう。」
抵抗物のないところに自由は発揮されないと云ふのは小林の基本的な考へ方である。
「大和路といふ、広い意味での『なげき』が、先づよく信じられてゐなければ、何事も始まりはしない。敢へて言ふなら、『大和路作品集』の魅力の本質的なところは、写真に映りはしない。よく信じられた心眼の運動は、肉眼を経て、シャッターを切る指の末端で終る、といふ言ひ方をしてみてもいいなら、それは、ピアニストの熟慮された楽想が、鍵盤上のタッチで、機械の発する現実の音と折合ひがつく、それと同じ趣を言ふ事にならうか。」
批評家小林と詩人小林が一体となつた実に鮮やかな分析である。
(この項つづく)