小林秀雄山脈の裾野散策 (十六)

 小林秀雄山脈の裾野散策(十六)
       
批評と無私の心

大島 一彦  
 小林秀雄に「批評トハ無私ヲ得ントスル道ナリ」と云ふ、色紙に書かれた有名な言葉がある。小林の妹である高見沢潤子の「兄小林秀雄との対話」にこの言葉に触れた箇所があつて、高見沢が或る講演でこの言葉を持出したところ、或る学生が、この意味は分らない、自分を無くしてしまつたら、批評は出来なくなるではないか、と反問したらしい。妹からこの話を聞いた小林は「私を無にせよとはいっていない。無私というよく自在に働く心を得よといっている」のだと答へたと云ふ。また同書の別の箇所では「無私な人間と自分を失った人間とは、まるで別の人種だ」とも云つてゐる。「無私」と云ふとつい漱石が云つたと云ふ「則天去私」を想ひ浮べがちだが、さう云ふ解脱げだつめいた意味合ひは小林にはないやうだ。要するに、批評する際には、何か特定の立場や固定観念に囚はれず、批評対象に即して自在に心を働かせるべきで、そのやうに働く心を我がものとすること、それが「無私を得る」ことだと云ふのである。
 ところで小林は、文壇デビュー作である「様々なる意匠」では、「批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であつて二つの事でない。批評とはつひに己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」と云ひ、文藝時評「アシルと亀の子Ⅱ」では、「批評するとは自己を語る事である、他人の作品をダシに使つて自己を語る事である」と云つてゐる。一見すると「批評トハ無私ヲ得ントスル道ナリ」とはまるで正反対のことを云つてゐるやうに見える。これをどう受止めたらいいか。若気の至りだつたのであらうか。
「ドストエフスキイの生活」の序文ではかう云つてゐる――「ドストエフスキイといふ歴史的人物を、蘇生させようとするに際して、僕は何等格別な野心を抱いてゐない。この素材によつて自分を語らうとは思はない。所詮自分といふものを離れられないものなら、自分を語らうとする事は、余計なといふより寧ろ有害な空想に過ぎぬ。無論在つたがまゝの彼の姿を再現しようとは思はぬ、それは痴呆の希ひである。……要するに僕は邪念といふものを警戒すれば足りるのだ。」ここでは、意識的に自分を語らうとすることは邪念だと云つてゐる。同時に、所詮自分と云ふものは離れられないものだと云ふ認識も語られてゐる。と云ふことは、敢へて自分を語らうとしなくても、誠実に文章を綴るならそこに自づと自分は出ると云ふことである。
 「モオツァルト」にはこんな一節がある――「模倣は独創の母である。唯一人ほんたうの母親である。……僕は他人の歌を模倣する。他人の歌は僕の肉声の上に乗る他はあるまい。……僕が他人の歌を上手に模倣すればするほど、僕は僕自身の掛けがへのない歌を模倣するに至る。」先の、他人の作品をダシにして自己を語ると云ふ云ひ方が、ここでは、他人の歌を模倣するがそれは自分の肉声に乗るほかはないと云ふ云ひ方になつてゐる。また、己れの夢を懐疑的に語ると云ふ云ひ方も、自分自身の掛替へのない歌を模倣すると云ふ云ひ方になつてゐる。
 さらに「飜訳」と云ふ、自らのランボー飜訳の体験を振返つた文章ではかう云つてゐる――「愛読し、愛読するだけでは我慢がならぬから飜訳する……。愛読するとは原著者に自分の個人的な様々の勝手な想ひを託する事であり、飜訳するとは、さういふ想ひを表現するのに原著者を模倣してみるといふ事だ」と。つまり、元来は他人の歌であつても、「愛読」の結果、それが己れの夢になり、己れの掛替へのない歌になつたのなら、それを己れの肉声で模倣してみること、それが結果として己れを語ることになる。従つて小林が「私」とか「自分」とか「己れ」と云ふ場合、それは飽くまでも自分の「肉声」のことであつて、自分の立場や固定観念や主義主張ではないのである。
 と、ここまで考へて来たところで、「様々なる意匠」に戻ると、そこには既にこんな言葉が記されてゐた――「『自分の嗜好しかうに従つて人を評するのは容易な事だ』と、人は言ふ。然し、尺度に従つて人を評する事も等しく苦もない業である。常に生き生きとした嗜好を有し、、、、、、、、、、、、、、、、常に潑剌たる尺度を持つといふ事、、、、、、、、、、、、、、、だけが容易ではないのである。」この私が傍点を附した言葉は、小林が高見沢に語つた「無私というよく自在に働く心を得」ると云ふことと同じだと云つてよいであらう。それなら、ここではまだ無私と云ふ言葉こそ遣はれてゐないが、小林は批評活動の出発点から既に「批評トハ無私ヲ得ントスル道ナリ」と云つてゐたことになる。従つて、一見正反対に見えた言葉も決して正反対ではなかつたのである。
 なほ、「己れの夢を懐疑的に語る」と云ふことについて、少し補足しておきたい。なぜ「懐疑的に」なのか。小林はこの言葉が出て来る直前の文章で次のやうに語つてゐる――「私には印象批評といふ文学史家の一術語が何を語るか全く明瞭でないが、次の事実は大変明瞭だ。所謂印象批評の御手本、例へばボオドレエルの文藝批評を前にして、舟が波にすくはれる様に、繊鋭な解析と潑剌たる感受性の運動に、私がさらはれて了ふといふ事である。この時、彼の魔術にかれつつも、私がまさしく眺めるものは、嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとつた彼の夢だ。それは正しく批評ではあるが又彼の独白でもある。人は如何にして批評といふものと自意識といふものとを区別し得よう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟つた点に存する。」このあとに先に引用した「批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であつて二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」が続くのである。
 ボードレールは、例へばワーグナーの音楽に、あるいはドラクロアの絵に、深く感動した。その感動が彼に、対象に触発された夢を抱かせる。彼はその夢を語りたい。しかしそれは懐疑的に語らざるを得ない。なぜか。そこにワーグナーのでもない、ドラクロアのでもない、ボードレール自身の自意識が働くからだ。いくら何でもその夢を我を忘れて、有頂天になつて語るわけには行かない。語りたい情熱はあるが、下手に語れば嘘になる。さう云ふ懐疑を含んだ自らの心の動きを意識することが自意識である。その自意識の働きを自覚しながら語ることを、小林は懐疑的に語ると云つたのである。批評と自意識を区別するのが難しい所以ゆゑんであり、批評するとは自覚することである所以である。
(この項了)