小林秀雄山脈の裾野散策 

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 小林秀雄山脈の裾野散策(四)
       
小林秀雄の井伏鱒二論(3)
大島 一彦  
 ここまで書いて来て、一つ思ひ出したこと、と云ふか聯想されたことがあるので、触れてみたい。昔、南仏のエクス・アン・プロヴァンスの町を訪ねて、セザンヌのアトリエを見物したあと、町外れに出て遠くにサント・ヴィクトワール山を眺めたとき、この山がセザンヌの絵によく似てゐると思つて感動したのである。セザンヌはこの山をモデルにして幾つもの「サント・ヴィクトワール山」を描いたのであるから、似てゐるのは当り前のことなのだが、ここで小林流の云ひ方をしてみるなら、そのとき私はセザンヌの絵をモデルにしてこの山が出現した思ひに捉へられてゐたわけである。アトリエで、いろいろな陳列品があつた中で石膏で出来たキューピッド像が真先に眼に留つた(つまり私の意識に出現した)のも、これを描いたセザンヌの絵が印象深く記憶されてゐたからであらう。もし仮に、セザンヌがサント・ヴィクトワール山を一つも描いてゐなかつたならば、私は、ああ、向うに小高い山があるな、と思つただけで、町を離れたあと山の存在などすぐに忘れてしまつたかも知れない。
 セザンヌはサント・ヴィクトワール山でもキューピッド像でも決してカメラが写し撮るやうに所謂写実的にカンヴァスに描写したわけではなく、自らのモチーフを活かすべく工夫に工夫を重ねてカンヴァスの絵を自律させてゐたからこそ、絵の方がモデル或は主体となつて元来のモデルの方が云はば二次的に影のごとく私の意識に現れたのである。私はまさに小林の云ふ実相或は実物と作品のモデル関係が「逆の相」を呈する体験をしてゐたわけで、オスカー・ワイルドの有名な「自然は藝術を模倣する」と云ふ逆説は、もしかするとさう云ふことだつたのかも知れないと今にして思ふのである。小林は実世間を題材とする小説でも(それが文章の自律性を持つた傑れた作品なら)、さう云ふことが起ると云つてゐるのである。
 井伏鱒二は自作の手法を自ら乗出して解説するやうなことは絶えてしない作家であつたから、小林秀雄のやうな鋭敏な感性を持つた批評家によつてこのやうな理解のある読み方がなされたことはさぞかし嬉しかつたであらう。井伏が「助けられた」と云ふ思ひを抱いてゐたのもむべなるかなと思はれる。小林はのちに「批評」と云ふエッセイで、「自分の仕事の具体例を顧ると、批評文としてよく書かれてゐるものは、皆他人への讃辞であつて、他人への悪口で文を成したものはない事に、はつきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言へさうだ」と云つてゐるが、小林の井伏論はまさにその「具体例」の一つである。
 ところで、小林にはもう一つ井伏論がある。昭和三十九年に井伏全集の内容見本に発表された短い物だが、井伏鱒二と云ふ作家の持味、その魅力を簡潔に捉へた底光りのする名文である――
「井伏鱒二といふ作家は、実に忍耐強い作家だと思ふ。こんなに自己主張からも自己欺瞞からも遠ざかつてゐる作家は珍らしい。極く普通な顔をして、極く普通に人々と交はりながら、絶えず自分だけの世界の工夫に心を労してゐる。かういふ作家の良心の持続性を、世人は知らず識らずのうちに見くびつてゐるものだが、私には、文学書を愛読する理由を、他の場所に見付ける事がむつかしい。」
 私は井伏鱒二の文章を読返すたびに、小林の井伏論がいかに的確なものであるかを思ふ。と同時に、これは小林秀雄自身の、ともすると題材の影になりかねない批評文に文章の自律性を持たせようとする、文章作成の際の「手元」と「密室」を率直に告白した文章であることも思ふ。
(この項 了) 

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