小林秀雄山脈の裾野散策(七) 

 小林秀雄山脈の裾野散策(七)
      
 弥陀の薄笑ひ(2)
大島 一彦  
 小林はこのエッセイの最後の方で、「ふと、こんな事を思ひ出す」と云つて、以下のやうに続けてゐる――「だいぶ以前の事だが、或る医学校の解剖学教室を見た事がある。教室の雰囲気のせゐであらう。死体室のタンクに、プカプカ浮いてゐるのを、たゞの解剖材料と見て過ぎたが、最後に妙な部屋に連れて行かれた。金ピカの大きな阿弥陀様が坐つてゐる仏間であつた。解剖がすんだ死体は、こゝで供養されて学校を出て行くらしい。仏間の片隅には、蜜柑箱の様な粗末な箱がうづたかく積み重ねられ、箱はそれぞれ、赤茶けた肉片の附着した骨を、透間からのぞかせ、荷札を附けてゐた。戦慄が身体を走つた。安物の金ピカの大きな下品な阿弥陀様の顔に、私は、薄笑ひを読んだからである。」
 小林が「安物の金ピカの大きな下品な」といやに強調してゐるのは、この「阿弥陀様」を飽くまでも「陳腐な礼儀」の象徴と受止めたからであらう。そして小林の身体に戦慄が走つたのは、この阿弥陀様の眼がカメラのレンズに見えたからであり、それならその背後にあるのは心ではなく乾板かんぱんであつて、そこには死体の詰つた蜜柑箱が何の意味もなく写つてゐるだけだと直感されたからではなからうか。それにしてもこの阿弥陀様は何を思つて「薄笑ひ」を浮べてゐたのであらう。私はここで、死体写真の囁きを聞いた小林にあやかつて、この阿弥陀様のつぶやきに耳を傾けてみようと思ふ。――こんなものはただの物体ぢやないか。人間は何を考へてゐるのだ。死体を散散物体として扱つておきながら、いざとなると物体として直視出来ず、眼をうつろにしてしまつてゐる。そしてただ形式的な立前で、自分の前に置いて厄除やくよけでもした気になつてゐる。やつぱり人間は死体を前にしては陳腐な礼儀が避けられないと云ふわけか。――自分の前に、既に命のない無意味な物体を置いて、自分にどうしろと云ふのか。物体を救へと云ふのか。そんなことは出来ない相談だ。自分が慈悲の心を与へるのは、自分の名をぶ生きた人間の魂に対してだけだ。自分には薄笑ひでも浮べるほかにどうすることも出来ないではないか。――
 ちなみに、阿弥陀仏を何よりも大切に思つてゐたの親鸞は、死者の供養や厄除けのために念仏を唱へたことはなく、自分が死んだら亡骸なきがらは鴨川にでも抛り込んで魚の餌にしてくれてよいと云つたと伝へられてゐる。これが本当なら、小林の死体を見る眼には親鸞と共通するところがあつたと云へよう。
 本エッセイの最後で小林は旧約聖書の伝道之書第九章から次の一節を引用してゐる。引用文が置かれてゐるだけで何の解説もない。――「なんぢ衣服ころもを白からしめよ。汝のかしらあぶらを絶えしむるなかれ。日のしたに汝が賜はるこのくうなる生命いのちの日の間、汝その愛する妻と共に喜びて度生くらせ。汝の空なる生命の日の間しかせよ。これは汝が世にありて受くる分、汝が日の下に働ける労苦によりて得る者なり。凡て汝の手にふることは、力をつくしてこれせ。は汝の往かんとする陰府よみには、工作わざ計略はかりごとも知識も智慧もなければなり。」
 これを本エッセイの趣旨を汲んで敢へて翻訳してみるなら、以下のやうになるであらうか。――君達よ、いつ何時死体になるやも知れぬ己れの無常の生命いのちを自覚し、限りある生命のあるあひだ、身を清潔に保ち、夫婦仲睦まじく、己れの手で出来ることを精一杯やつて生きろ。死んでしまへばそれまで、何もないぞ。――
 これも云ふならば一種の呪文であらう。小林は最後に呪文を唱へてこの不吉な題のエッセイを締括つたわけである。

(なほ、小林の本エッセイの中ほどに、写真と絵画、映画と演劇それぞれの本質的な違ひに関する記述が挿まれてゐる。これはそれだけを取出しても興味深いものであるが、それに触れてゐると、拙文の焦点がぼやけかねず、これはのちに書かれる「写真」と云ふ題のエッセイ――そこでは映画と小説の本質的な違ひにも触れられてゐる――と合せて考へてみるのがよいと思はれたので、本論では敢へて割愛した。)
                               (この項 了)