小林秀雄山脈の裾野散策(八) 





 小林秀雄山脈の裾野散策(八)
       
「無常といふ事」管見
大島 一彦  
 小林秀雄は「無常といふ事」の末尾をかう結んでゐる――「現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常といふ事がわかつてゐない。常なるものを見失つたからである。」この「常なるもの」とは何か。
 作品の冒頭に引用された「一言芳談抄」からの一節の中で、そのなま女房はかう云つてゐる――「生死しやうじ無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候。なう後世ごせをたすけ給へ」と。「後世」とは死後の世界のことであるから、この台詞の云はんとするところを素直に受取れば、常住じやうぢゆうなき現世の有様を思ふと、この世のことはもうどうでもよいから、せめて死後は極楽浄土に往生させて下さい、と云ふことになる。つまりなま女房にあつて見失はれてゐない「常なるもの」とは「後世」のことであつて、「現代人」はこの「後世」を見失つた、と云ふことは、死後の世界が信じられなくなつたと云ふことで、それゆゑ現世が無常であることも判らなくなつたと云ふわけである。勿論小林自身も「現代人」であるから、この事態は他人事ひとごとではない。
 そこで「現代人」である小林は「後世」に代る「常なるもの」として「歴史」に注目することになる。この歴史観は小林の「発明」である。そのきつかけとなつたのが、或る日、比叡山の山王権現で「鎌倉時代」を「思ひ出」した体験である。なぜ鎌倉時代が思ひ出せたのか。このとき小林は「一言芳談抄」の一節を無心に辿るうちに、自分の心がこの鎌倉時代のなま女房の心の動きと共鳴するのを覚えたからであらう。その時代に生きた一人の人間の心をありありと思ひ出せたことが、その時代を思ひ出せたことと同じであることに気が附いたのである。
 このときの体験は、小林にとつて、「ある充ち足りた時間」の体験、「自分が生きてゐる証拠だけが充満し、その一つ一つがはつきりとわかつてゐる様な時間」の体験、云ふならば一種の純粋持続の体験であつた。この感動的な体験がその後もずつと尾を引いて、やがて「歴史を思ひ出すこと」に対する思ひが深まつて来る。そして「歴史といふものは、見れば見るほど動かし難い形と映つて来るばかりで、新しい解釈なぞでびくともするものではない」と云ふ思ひが強くなり、「歴史はいよいよ美しく感じられ」るやうになつたと云ふ。
 そして或る日、突然こんな考へが浮ぶ――生きてゐる人間はどうも仕方のない代物で、何を考へてゐるのやら、何を云ひ出すのやら、何をしでかすのやら、自分のことにせよ他人のことにせよ、まるで解つた例しがない。そこへ行くと死んでしまつた人間は大したものだ。はつきりとしつかりとしてゐて、まさに人間の形をしてゐる。してみると、生きてゐる人間とは、人間になりつつある一種の動物なのかも知れない。――
 小林はこの「一種の動物」と云ふ考へが気に入り、考へてみれば、人間はいついかなる時代でも一種の動物的状態に置かれてゐるのではないか、それならそれを無常の状態に置かれてゐると云つて悪いことはなからう、と云ふ思ひに至る。そして「この世は無常とは決して仏説といふ様なものではあるまい」と云つて、「無常」と云ふ言葉を仏説の枠から解き放ち、現世を生きる人間の普遍的なありやうを示す言葉としてとらへ直す。そして人間が一種の動物であること、つまり無常の状態にあることから救つてくれるのが「思ひ出としての歴史」なのだと云ふ。
 小林は「当麻」で、「室町時代といふ、現世の無常と信仰の永遠とをいささかも疑はなかつたあの健全な時代」と云つてゐるが、さう云ふ意味では、これは鎌倉時代にも当嵌あてはまるであらう。従つて当然鎌倉時代のなま女房には「後世」と云ふ「常なるもの」への「信仰の永遠」があつた。厭離穢土欣求浄土おんりゑどごんぐじやうどの願ひが可能であつた。しかし後世信仰を失つた現代人に出来るのは、飽くまでも「現世」の側から「死人だけが現れる歴史」を「思ひ出す」ことだけである。
「歴史には死人だけしか現れて来ない。従つて退つ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。思ひ出となれば、みんな美しく見えるとよく言ふが、その意味をみんなが間違へてゐる。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけなのである。思ひ出が、僕等を一種の動物である事から救ふのだ。記憶するだけではいけないのだらう。思ひ出さなくてはいけないのだらう。」
因みに、小林は過去を思ひ出すことについて、のちに書かれた「年齢」と云ふ文章でかう云つてゐる――「たゞ、過去を思ひ出す上手下手といふ事があるのだ。上手に思ひ出すとは、過去が見えて来る、或る形として感じられて来るといふ事である。……寧ろ、各人がその能力に応じて創り出す過去の形であらう……」
 小林は、「当麻」では万三郎による中将姫の舞姿に顕現した「世阿弥といふ詩魂」を、「無常といふ事」では「一言芳談抄」に現れたなま女房の一心に後世を願ふ心を、或は「平家物語」ではその作者達の「叙事詩人の伝統的な魂」を、そして「徒然草」では兼好と云ふ「純粋で鋭敏な」「空前」にして「絶後」の「批評家の魂」を、「上手に思ひ出す」ことで、それぞれの過去の美しい形を創り出したわけで、そこに一種の動物状態からの救ひを求めたのだと云つてよいであらう。それは同時に「現代」と「過去」のあひだの直線的な時の隔りを超えることでもあつた。
「上手に思ひ出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向つて飴の様に延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思はれるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思へる。」小林はさう云つて、かう附加へる――「成功の期はあるのだ」と。
 この小林の「やり方」が確かに成功したことについては、例へば吉本隆明の「源実朝」に見られる次のやうな言葉が一つの証言になつてゐるのではなからうか――「……なによりも小林の実朝論がわたしを驚かしたのは、古典を身近に呼びよせてしまうその手腕、、、、、、、、、、、、、、、、、、であった……。かつてどのような批評家も研究者も、これだけ鮮やかに古典のなかの人物を蘇えらせた、、、、、、、、、、、、、、、、、、ものはないようにおもわれた。」吉本はその「西行論」でも、小林の「西行」について、「古典詩人の像とその歌の理解をこれほどわたしたちの眼のすぐまえまで鮮やかにもってきた、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、古典論は、それ以前にはまったくなかった。……西行の像とその歌とをたしかに手もとまでひき寄せた、、、、、、、、、、、、、、批評がここにあった。それは言葉の時間と空間をま近にひきよせる方法的な成果、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、を意味していた」と云つてゐる。
 吉本の引用文に傍点を附したのは私であるが、小林の云ふ「上手に思ひ出す」と云ふ「やり方」を敢へて現代的な批評の言葉で表現するなら、さう云ふ云ひ方になるのではないかと思はれたからである。小林は「過去を上手に思ひ出す」ことによつて、古典的な二人の歌人の詩魂をも現代に蘇らせることが出来た。確かに「歴史には死人だけしか現れて来ない」が、その死者の魂を飽くまでも「現代」に蘇らせること、そこに小林の「常なるもの」への思ひがあつた。
                               (この項 了)