小林秀雄山脈の裾野散策(六)
弥陀の薄笑ひ(1)
大島 一彦
小林秀雄に「死体写真或は死体について」と云ふ何やら不吉な題のエッセイがある。
或る年の正月、人出で賑はふ鎌倉鶴岡八幡宮前の参道をぶらついてゐると、「犯罪実相展覧会」なる奇怪な見世物が出てゐたので、見物することにした。入つてみると、何とか殺しとかバラバラ事件とか残酷無慙な惨殺死体の写真が所狭しと並んでゐる。会場は大入満員であつたが、みな当惑した様子であつた。この当惑顔は小林の予感どほりであつた。ただ小林にはほかにも「確かめてみたい或る一つの考へ」があつた。そしてそれを確かめた小林は、「胸が悪くなり、胃に痛みを覚えて外に出た。これは確かめ得た代償である」と云ふ。小林が「胸が悪くなる程の努力を要し」て確かめてみたかつた「或る一つの考へ」とは何であつたか。
例へば「絞殺された裸の女が戸板の上に転がつてゐる」とか「トランクを開けて見ると首も手足もない人間の胴体がある」とか、「そんな簡単な言葉でも、人の心に何かの感情を起させる力は持つてゐる」と小林は云ふ。つまり感情が動くためには「言葉」が要ると云ふことである。「だが、そのカメラを通して見られた実相となると……勿論美ではないが、醜でもない、全く理解を超えた異形である。」この「異形」はとても「正視の適はぬ物」であるから感情には訴へない。
だが小林は敢へてこの「異形」を「正視」する。そしてこれらの写真が何やら囁いてゐるのを聞き取る――「……君等が物に名附けるとは、その物に、君等が生きるよすがが求められゝばこそだ。こんなものに何が見附かつたといふのかね。失敗さ。死体というふ名は失敗さ……」我我が物に名前を附けるのはその物に親しみを覚えるからで、それは我我の「生活感情で色どられ……生きてゐる。」、だが死体に「死体」と云ふ名を附けてみても、そこに何ら親しみの感情は涌かず、それは何の「生きるよすが」にもならない。だから「失敗」だと云ふわけである。
「子供をおぶつた女の人が写真を見ながら、ホーラ、絞め殺されたんだよ、絞め殺されたんだよ、と背中の子供の尻を叩いてゐる。彼女の顔には何んの表情も現れてをらず、眼はうつろの様であつた。明らかに、彼女は、凡ての見物人の代表者だ。」
ところで物と言葉に関しては、ともすると物の名前が得られると物そのものの方はよく見ないと云ふ傾向も我我にはある。死体の場合でも「死体」と云ふ言葉が得られると死体そのものには「眼がうつろ」になる。小林は胸のむかつきを堪へて敢へて物そのものを、死体の実相を見てみようとしたわけである。――「陳列されてゐる物は、嘗て人間であつた一種の物体の写真である。成る程、見れば見るほど、物体とさへ呼べぬほど低級な一種の物体である。……憐れな好奇心は、この全く無意味な形の前でへたばる。外らす事の出来ない眼がうつろになる。ホーラ、絞め殺されたんだよ、と女の人がわれ知らず歌ふ様に言ふ。実際、歌かも知れない。……いや、寧ろ一種の呪文であらう。この呪文の起源は、私達の歴史の何んと遠いところにあるか。私達の内の何んと深い処にあるか。むかつく胸が、私にそれを教へた。」
これが小林の「確かめ得た」ことである。死体は「正視」が適はず、「呪文」に取って替られること、無理に「正視」しようとすると胸がむかつくだけだと云ふこと。例えば戦争からの帰還兵は死体の印象を正確には語り得ず、「この対象のもたらす悪夢に関し、めいめいの物語を作り上げる。不快や恐怖の情念も一緒に作られる」と小林は云ふ。そして小林自身も従軍記者として「白日の下に曝された死体を、屢々何の感動もなく傍観した。死体の無意味さが、私の心を無意味にした。私の記憶は、あれはたしかに死体であつたといふ言葉の周りをうろつく。そして其処には何かしら感情が生れて来る事に気附く」と云ふ。ここでも「めいめいの物語」が作られ、「言葉の周り」をうろついて初めて「情念」や「感情」の生れて来ることが語られてゐる。「あの時、私の心が乾板であつたなら、死体写真が撮られてゐた筈である。」勿論小林の心は乾板ではなかつたから、死体写真は撮られず、記憶のうちにあれは死体であつたなと云ふ言葉、一種の呪文が呟かれる。小林はさらにかう云ふ――「どんなマテリアリストも、葬式では陳腐な礼儀に服従する。もともと正視が適はぬ物を正視しない為に、陳腐な礼儀が必要だからである。」、「陳腐な礼儀」には僧侶による読経や牧師による埋葬の言葉なども含まれるであらうが、これらは遠くに起源を求めればやはり、「呪文」に行き着くのであらう。
我我は日頃、「死」はともかく、「死体」についてはあまり考へない。小林は敢へてそれを徹底的に考へてみることで、人間の「生命」や「魂」、「精神」や「言葉」と云ふ「生きてあることの意味」を逆説的に暗示してゐると云つてよいであらう。
(この項 つづく)