小林秀雄山脈の裾野散策(十二)





 小林秀雄山脈の裾野散策(十二)
       
「栗の樹」について
大島 一彦  
 小林秀雄の「栗の樹」は三節からなる二頁にも満たない小品だが、一読明快なやうでありながら、さうでもないやうな後味を残す作品である。さうでもないやうなと云ふのは、第三節の最後に書かれた「さて、私の栗の樹は何処にあるのか」と云ふ一文が読者の(少くとも私の)心に残つて、すぐには答が出ないまま反響しつづけるせゐである。作者の側から云へば、この問掛けの一文は、自分の作品が安易に読み流されないための布石だと云ふことにならう。
「文学で生計を立てるやうになつてから、二十数年になるが、文学について得心した事と言つたら何であらうか。それが、いかにも辛い不快な仕事であり、青年期には、その辛い不快な事をやつてゐるのが、自慢の種にもなつてゐたから、よかつた様なものの、自慢の種などといふろくでもない意識が消滅すれば、後はもう労働だ。得心尽くの労働には違ひないが、時々、自分の血を売るやうななりはひが、つくづくいやになる事がある。」
 引用は第一節の全文だが、概して愚痴や泣言とは無縁な小林秀雄にしては珍しい、何やら溜息の聞えるやうな文章である。続く第二節でも、小林は「現代に生れて文学をやるとは、辛い不快な事であり、その原因は、私達が伝承した西洋近代文学の毒の中に深く隠れてゐる」と云ひ、それは「のろはれた意識」であり、誰に強ひられたわけでもない「自分で勝手に作り上げる辛さ」なのだから、世の売れつ子作家達が世間の御機嫌を取つて「多忙」の「辛さ」に堪へてゐるのだとすれば、自分の場合は「自分の御機嫌」を取つて堪へて行くしかないのだと云ふ。
 ここでちよつと廻り道をして、小林の「僕の手帖から」と云ふ文章を読んでみたい。これは「D・H・ロレンスの手紙」(織田正信訳)を読んだ感想を記したものだが、そこで小林は、これは「何かしらやりきれないものを投げつけられる本」で、「読後気が沈」み、「それも一と通りの沈み方ではな」く、「得体の知れない苦しさを覚えた」と云つてゐる。私は「栗の樹」を読返すと、どうしてもこの文章を思ひ出さずにはゐられないのである。例へば小林はロレンスの手紙から次のやうな一節を引用してゐる。
「……僕は嫌なんだ。原稿を見てゐるだけでも僕がどれ程嫌なのか、君には解らない。しんそこから、運命が僕を『作家』ときめちまはなかつたらと、思ふね。作家とは人心を虫ばむ仕事だ。……君、僕が自分の宿命を、歎いてゐるんでないことは確だ。たゞ、文筆の世界とは、特にいとはしい、しかも強力な世界であると思ふ――と、言つてゐるだけなのだ。美しい国土の下にふさはしからぬ地下層があるやうに、文学的素質といふもの(ママ)は、生命のありとあらゆる下層に浸潤して、成長の根原に密着するものなんだ。あゝ、そこがたまらないんだ! あゝ、この宿命から、解放されたら……」
 引用文中に(ママ)を附したのは私だが、この「に」は取つた方が分り易いと思はれるからである。それはともかく、小林はこの手紙について、「気味の悪い教訓にみちてゐる。……僕は作家がリアリズムといふものの正体をつかんだ時の強い感情を、これくらゐ飾り気なく語つた言葉を知らない」と、深い共感を吐露してゐる。小林は、自らの文筆生活を、ときとして自分の血を売るやうなのろはしいなりはひだと云ひ、ロレンスは、作家と云ふのは、人心を虫ばむいとはしい仕事だと云ふ。しかし小林にとつてそれは得心尽くの労働であり、ロレンスにとつても運命に決められてしまつたものである。二人とも自分の宿命から解放されることはないと覚悟してゐる。だから歎いてゐるわけではなく、どちらも自ら選んだ、あるいは何物かによつて選ばされた生き方が突き当つた「リアリズムの正体」を告白してゐるのである。
 私としては、以上の廻り道を経て、「栗の樹」の第三節へ進むことになる。
「私の家内は、文学について、文学的な興味など示した事がない。用事のない時の暇つぶしに、たまたま手許にある小説類を、選択なく読んでゐるが、先日、藤村の『家』を読み、非常な感動を受けた。だが、これも、彼女は信州生れで、信州の思ひ出が油然ゆうぜんと胸にわいたがためである。彼女は、毎日、人通りまれな一里余りの道を歩いて、小学校に通つてゐた。その中途に、栗の大木があつて、そこまで来ると、あと半分といつも思つた。それがやたらに見たくなつたのだが、まさかそんな話も切り出せず、長い事ためらつてゐたが、我慢が出来ず、その由を語つた。私が即座に賛成すると、親類への手土産などしこたま買ひ込み大喜びで出掛けた。数日後還つて来て『やつぱり、ちやんと生えてゐた』と上機嫌であつた。さて、私の栗の樹は何処にあるのか。」
 もはや答は明らかであらう。「私の栗の樹」はどこにもないのである。小林のやうな文筆生活を送る者にとつて、いかに「辛」く「不快」であつても、どこまで来れば「あと半分」なのか皆目見当がつかない。どこまで行つても、いつまで経つても、「あと半分」を示す里程標は現れない。「つくづくいやになる事」があつても、精精「自分の御機嫌」を取りながら、宿命の道を果てまで歩くしかないのである。
 なほ、伝へ聞くところによれば、小林夫人は松本市内の生れで、小学校もさう遠くない所にあり、途中に栗の大木もなかつたさうである。従つて、栗の大木の件りは、作品に象徴的な意味合ひを持たせるための小林の工夫であつて(私の読み方では不在の象徴と云ふことになるが)、この作品は一見随筆のやうでありながら、かなり重い主題を含んだ掌篇告白小説なのである。勿論、栗の大木の件りが仮に事実であつたとしても、(作品内の)その象徴的役割には何の変りもない。
                               (この項了)