小林秀雄山脈五十五峰縦走(三)

小林秀雄山脈五十五峰縦走(三)
第二峰 「悪の華」一面
池田 雅延   
     

 「『悪の華』一面」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第1集所収)は、昭和二年(一九二七)一一月、『仏蘭西文学研究』の第三輯に発表されました。この年、小林先生は二十五歳、東京帝国大学仏文科の学生でしたが、『仏蘭西文学研究』は東大仏文科の学生有志が立ち上げ、東大仏文学研究室の編輯で白水社から発行されていました。
 「悪の華」は詩集です、今日、象徴詩と呼ばれている詩型の先駆となった一九世紀フランスの詩人、ボードレールの詩集です。小林先生は第一高等学校在学中にボードレールを知って「悪の華」をボロボロになるまで読み、「詩人が批評家を蔵しないということは不可能である」というボードレールの言葉にも出会って大きく目をひらかれ、後の「批評家小林秀雄」の心髄も文体もボードレールによって培われました。
 昭和二十五年四月に書いた「詩について」(同第18集所収)では、
 ――私は学生時代、詩から、特にフランス象徴派詩人の作品から非常な影響を受けたので、詩について何か語ろうとすると、その影響の性質について語る他はないという事になる様である。私が象徴派詩人によって啓示されたものは、批評精神というものであつた。これは、私の青年期の決定的な事件であって、若し、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろうと思われるくらいなものである。……
 と言い、昭和二十九年、五十二歳の年の四月、創元社版「ボオドレエル全集」の内容見本に書いた「ボオドレエルと私」(同第21集所収)でも、「ボオドレエルを読んだことは自分の生涯の決定的事件だった」と言っていますが、昭和四年九月、雑誌『改造』の懸賞評論二席に入って文壇に出た「様々なる意匠」でこう言っています、
 ――兎も角、私には印象批評という文学史家の一術語が何を語るか全く明瞭でないが、次の事実は大変明瞭だ。所謂印象批評の御手本、例えばボオドレエルの文芸批評を前にして、舟が波にすくわれる様に、繊鋭な解析と溌剌たる感受性の運動に、私がさらわれてしまうという事である。この時、彼の魔術にかれつつも、私がまさしく眺めるものは、嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢だ。それは正しく批評ではあるが又彼の独白でもある。人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別し得よう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とはついに己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!……。
 ボードレールは詩とともに文芸批評、美術批評も書いていました。ここで先生が挙げているボードレールの名は、単に印象批評の一例としてではありません、批評と言うならボードレールの批評こそが批評だ、自分は、小林秀雄は、批評を書くならボードレールのように書く、と先生は言っているのです。ここに見られる「自意識」という言葉も、単に一般名詞の「自意識」ではありません、根幹にあるのはボードレールの「自意識」です、この「自意識」については追って精しく見ていきますが、ともあれ「様々なる意匠」は乱脈をきわめた青春時代の終末期、もはや文筆で生きるしかないと決意し、起死回生を賭けて一流雑誌『改造』の懸賞評論に応じた渾身の批評論です、ボードレールとの出会いは早くも「決定的」だったのです。

 ではそのボードレールという詩人は、どういう詩人だったのでしょうか、手近なところで三種の国語辞典にあたってみます。
 まずは『広辞苑』です、
 ――フランスの詩人。象徴派の先駆、芸術至上主義・頽廃主義の代表者。詩集「悪の華」は近代詩の聖典。ほかに、散文詩「パリの憂鬱」、評論「ロマン派芸術論」など。(1821~1867)……
 続いて『日本国語大辞典』です、
 ――近代フランスの詩人。深刻な想像力、鋭敏な耽美的感覚、頽廃の苦悩をこめて悪魔主義ともいえる詩集「悪の華」を生み、フランス象徴詩の先駆者となった。ほかに散文詩集「巴里の憂鬱」など。(一八二一 ― 六七)……
 続いて『大辞林』です、
 ――フランスの詩人。詩集「悪の華」により象徴派への道を開いた。感覚の照応、悪にひそむ美、自意識の苦悩を描いて前人未到の深さを示す。近代詩の祖とされる。散文詩「パリの憂鬱」、美術評論「ロマン派芸術論」、日記「赤裸の心」など。(1821~1867)……
 いずれもが「悪の華」を強く押し立てています。
 ところが、この「悪の華」は、小林先生の「『悪の華』一面」を読めばわかるかと言えばとてもそうはいきません。わかるどころかかえってさっぱりわからなくなります。これは私だけが言っているのではありません、フランス文学の専門家氏も言っています。ということは、「悪の華」自体が一筋縄ではいかない詩集であり、したがって先生の「『悪の華』一面」は、私たちにはおいそれとは追随できない問題との格闘なのです、ですから、そのうちわかるだろう、わかる日も来るだろう、くらいに構えて読んでいくのが順当のようなのですが、現に私は今になって、七十代も後半に入って、ずいぶんたくさんのことをわからせてもらってきている自分に気づいています。
 では、それほどまでに難解であるにもかかわらず、小林先生の作品はまずここからと言って選んだ「小林秀雄山脈五十五峰」の一峰に、池田はなぜ「『悪の華』一面」を加えたか、です。その理由は、一にも二にも小林先生自身が言っています、今一度引きますが、小林先生は、「私が象徴派詩人によって啓示されたものは、批評精神というものであつた。これは、私の青年期の決定的な事件であって、若し、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろうと思われるくらいなものである」と言っています。そうとなれば「『悪の華』一面」を、難解だからと言って「小林秀雄山脈五十五峰」からはずすわけにはいきません、少なくとも象徴詩とはどういう詩か、そして象徴派詩人によって啓示された批評精神とはどういう精神か、それをいまここで学ぼうとしておかないと、先生の言われる「詩」の深意、「批評」の深意がいつまでたっても会得できず、挙句の果ては先生の文章すべてが難解のままになってしまうからです。

      

  ――「悪の華」一巻はこの数年来、つまり僕の若年の決定的一時期を殆ど支配していたと言っていい。今僕はやっとこの一巻に一種の別離が出来る様に思うのだ。恐らくは推参不遜にも見える僕が獲得したボオドレエルの一面貌を吶々とつとつと語る事が出来る様に思われるのだ。僕は自身の指を傷つける事なしに彼の創痍そういに触れまい。……
 先生はこう言って本論を起し、次のように続けます。
 ――十九世紀に於ける最も深刻なる人間の情熱は恐らく自意識の化学という事であろう。シャルル・ボオドレエルはこれに依って実現し、これに依って斃死へいしした。
 自意識の化学……、これが「『悪の華』一面」を統べるキーワードです。自意識とは文字どおり自分自身についての意識ですが、『大辞林』に言われているとおり、ボードレールは三十六歳の年の一八五七年に刊行した「悪の華」に「自意識の苦悩を描いて前人未到の深さを示」しました。小林先生は、こうして出現した「悪の華」をとらえて「十九世紀に於ける最も深刻なる人間の情熱は恐らく自意識の化学という事であろう」と言っているのですが、「自意識の化学」とは、自然界で酸素と水素が結合して水が出来るように、ボードレールの自意識が言葉と結合して先蹤せんしょうのない象徴詩が出現したということを比喩的に言ったものです。ボードレールはこの「自意識の化学」で世に出ました、しかし同時に「自意識の化学」で心身を摺り減らし、「悪の華」の刊行からわずかに十年、四十六歳という若さで世を去りました。小林先生は「斃死した」と言っています、「斃死」とは野たれ死にです。
 続いて先生は言います、
 ――如何なる人間も多少の自意識を必要とする。つまり生きるという事が自意識を強請するからだ。だが多くの人々にとって結局自意識というものは生活防衛の一手段として最も消極的な形式の裡に止まっている。河の流れが石に衝突して分岐する様に、彼等は外象に触れて解析する。かかる人々にとって自意識する主体に触れんとする事は流れを溯行そこうする事で生きる事ではない。彼等は唯流れる。……
 これを要約すれば次のようになるでしょう。私たちは誰しも自意識というものを必要としている、それは私たちが健全に生きるためにである、しかし、普通には誰も自分というものを自ら意識しようとはしない、日々生きていて、よくも悪くも何らかの事柄がきっかけとなって自分を意識し、自分という人間はこういう人間であるらしいと認識する、精々その程度である、そういう私たちが、意識的に自分を意識して自分という人間と向かい合うということは、後ろ向きになって過去へ遡るということで前向きに生きるということではない、ゆえに私たちはほとんど自分を意識しようとはせずに生きている……。
 ところが、ボードレールは「意識する主体」、すなわち自分自身に触れようとしました、意識する自分を観察し、自意識を自意識しました。ということは、私たちにとっては生きるために多少は必要であるにすぎない自意識を、ボードレールは過剰に意識したのです、その結果、一般人の生きる道がボードレールには死の道となったというのです。
 
 先生は、自意識のことをここまで言って「象徴詩」の「象徴」へと方向転換します、
 ――ここに如何にも意味あり気なる扮装をこらして、あらゆる近代詩歌に君臨する一つの貧弱な言葉がある。――象徴サンボル、と。……
 これに続けて先生が展開している「象徴論」は、それこそ難解です、そこでいったん「『悪の華』一面」から出て、先に『広辞苑』『日本国語大辞典』『大辞林』に見えていた「象徴派」「象徴詩」という言葉の基礎知識を得ることにしましょう。
 今日、「象徴」という言葉は、天皇は日本国民の象徴であると言われているような、あるいは鳩は平和の象徴であるとされるような、そういう意味合で専ら使われていますが、文学の世界で言われる「象徴詩」の「象徴」は、そうした意味合ではありません。何から何までそうではないとは言いきれませんが、日本で言う「象徴」は、明治時代に中江兆民がフランス語「サンボルsymbole」に充てた訳語に発したもので、そこからボードレールらの詩を「象徴詩」と言われてもどういうものかはほとんど思い描きにくいでしょう。
 同様の当惑は「象徴派」「象徴主義」にも見られます、フランス語では「サンボリスム symbolisme」と言われる「象徴派」「象徴主義」は、一九世紀の後半、フランスの詩壇に興った詩の思潮であるとともに運動で、それまでフランスの文学界で主流を占めていた自然主義は客観的表現を重んじていましたが、これに抗して象徴主義は主観的情緒や抽象的思考を表現しようとし、そのため個々の言葉が伝統的、慣習的に持っている意味内容によるのではなく、詩語と詩語とを組合せることで新たな暗示的イメージを喚起し、読者一人ひとりの感受性と想像力に訴えました。ボードレールが意識した自意識は、まさに主観的情緒や抽象的思考そのものでしたが、先に私が「『批評家小林秀雄』の心髄も文体もボードレールによって培われました」と言ったうちの「文体」は、「個々の言葉が伝統的、慣習的に持っている意味内容によるのではなく、詩語と詩語とを組合せることで新たな暗示的イメージを喚起し、読者一人ひとりの感受性と想像力に訴え」る文体だったのです。
 日本で「象徴」と訳されたフランス語の「symbole」を遡ると、古代ギリシャ語の「symbolon」に行き着きます。その「symbolon」はコインなどを二つに割って作る割符わりふのことで、当事者二人が一片ずつ持ちあい、他日必要となったときにこれを合せて正当な当事者同士であることの証としました。今日でも契約書などに押す割印は割符の一種と見ていいでしょう、が、ともかくフランス語の「symbole」には古代ギリシャ語の「symbolon」の語感が生きていて、「symbolisme」と呼ばれる象徴主義の詩は、詩人の詩作品と読者の感受性並びに想像力とが割符関係に置かれています。
 先にも言いましたように、象徴主義は主観的情緒や抽象的思考を表現しようとしましたから、個々の言葉が伝統的、慣習的に持っている意味内容に頼っていたのではまにあわず、そこで個々の言葉に備わっている意味内容は不問に付し、言葉と言葉を何語かずつ組合せることで新たな暗示的イメージを喚起し、読者一人ひとりの感受性と想像力に訴えて読者の感応を待つ、読者一人ひとりの適切な感応を得て初めてその詩は完成する、というのが象徴詩だったのです。

 しかし、「象徴詩」が帯びていた「割符」の意味は、それだけではありませんでした。否、それ以上とも言えるものでした。先に紹介した「詩について」と同じ時期、昭和二十五年四月に発表した「表現について」(同第18集所収)で、小林先生は次のように言っています。 
 ――併しsymboleという言葉は曖昧です。ヴァレリイは、サンボリスト達の運動は、音楽からその富を奪回しようとした一群の詩人の運動と定義した方がいいと言っている。強いてsymboleという言葉を使うなら、その最も古い意味合いで、詩人は自ら創り出した詩という動かす事の出来ぬ割符に、日常自らもはっきりとは自覚しない詩魂という深くかくれた自己の姿の割符がぴったり合うのを見て驚く、そういう事が詩人にはやりたいのである。これはつまる処、詩は詩しか表現しない、そういう風に詩作したいという事だ。これは、まさしく音楽に固有な富である。……
 すなわち「割符」同志の関係にあるのは、ここでは詩人が「自ら創り出した詩という動かす事の出来ぬ割符」と、同じく詩人の「日常自らもはっきりとは自覚しない詩魂という深くかくれた自己の姿の割符」とです。
 これについては次節でさらに小林先生の言葉を読みこみます。
      
     

 先に、小林先生が昭和二十五年四月に書いた「詩について」(同第18集所収)で、
 ――私は学生時代、詩から、特にフランス象徴派詩人の作品から非常な影響を受けたので、詩について何か語ろうとすると、その影響の性質について語る他はないという事になる様である。私が象徴派詩人によって啓示されたものは、批評精神というものであつた。……
 と言っているくだりを引きましたが、「詩について」ではさらに次のように言われています。
 ――ボオドレエルのワグネル論のなかに、こういう言葉がある。「批評家が詩人になるという事は、驚くべき事かも知れないが、詩人が批評家を蔵しないという事は不可能である。私は詩人をあらゆる批評家中の最上の批評家と考える。……
 また、昭和二十九年、五十二歳の年の四月に書いた「ボオドレエルと私」(同第21集所収)では、「ボオドレエルを読んだことは自分の生涯の決定的事件だった」と言っていましたが、これと併せて次のように言っています。
 ――ボオドレエルの「悪の華」を考えないで、近代詩を考える事は出来ないとは誰も言う事である。僕も詩は好きだったから、高等学校時代、「悪の華」はボロボロになるまで愛読したものである。(中略)私がボオドレエルにかれ、非常に影響されたのは、彼の批評精神であった。詩作という行為の人格的必然性に関する心労と自覚であった。「詩人が批評家を蔵しないという事は不可能である」という苦しい明識であった。その意味で、彼の著作を読んだという事は、私の生涯で決定的な事件であったと思っている。……
 「詩人が批評家を蔵しないという事は不可能である」は、ボードレールの評論「リヒャルト・ワーグナーと『タンホイザー』のパリ公演」に見える言葉ですが、先生は「表現について」(同第18集所収)でさらにこう言っています。
 ――ボオドレエルの「ワグネル論」のなかに、こういう言葉があります。「批評家が詩人になるという事は驚くべき事かも知れないが、一詩人が、自分のうちに一批評家を蔵しないという事は不可能である。私は詩人を、あらゆる批評家中の最上の批評家とみなす」。これは、次の様な意味になる。天賦の詩魂がなければ詩人ではないだろうが、そういうものの自然的展開が、詩である様な時は既に過ぎたのである。近代の精神力は、様々な文化の領域を目指して分化し、様々な様式を創り出す傾向にあるが、近代詩は、これに応ずる用意を欠いている。詩人のうちにいる批評家は、科学にも、歴史にも、道徳にもやたらに首をつっ込み、詩人の表現内容は多様になったが、詩人には何が可能かという問題にはまともに面接していない、散文でも表現可能な雑多の観念を平気で詩で扱っている。それというのも、言葉というものに関する批判的認識が徹底していないからだ。詩作とは日常言語のうちに、詩的言語を定立し、組織するという極めて精緻な知的技術であり、霊感と計量とを一致させようとする恐らく完了する事のない知的努力である。それが近代詩人が、自らの裡に批評家を蔵するという本当の意味であって、若し、かような詩作過程に参加している批評家を考えれば、それは最上の批評家と言えるであろう。恐らくそういう意味なのであります。……
 そして言います、
 ――「悪の華」には歴史も伝説も哲学もない、ただ詩という言い難い魅力が充満している。言葉はひたすら普通の言葉では現し難いものを現さんとしているのであります。音楽から影響されて、音楽的な詩を書いたという様な事ではない。音楽家が楽音を扱う様に言葉を扱わんとしているのである。言葉の持つ実用的な性質、行為の手段としての言葉、理解の道具としての言葉、そういうものから、いかにして楽音の如く鳴る感覚的実体としての言葉を掬い上げるか。そして、そういうものを如何にして或る諧調に再組織するか。それがつまりは、内的な感動を表現する諸条件を極めるという事だ。「悪の華」は、言葉に関するそういう驚くべき意識的な作業の成果であって、ボオドレエルを継ぐ象徴派詩人達の活動は、「悪の華」の影響なしには、到底考えられないのである。私は、ここで象徴派詩人達についてお話を進める気はない。ただ表現の問題で一番苦しんだのは彼等であり、この問題で、音楽はいつも彼等の仕事の範型となって現れていたという事を申し上げて置けばよいのであります。……
 ――ボオドレエル以後の象徴派詩人達の運動は、文学の散文化による自我の拡散に抗して、個性的な内的な現実を守りつづけて来た運動だと言えます。浪漫派文学は、先ず自己告白によって口火を切った。偽りの外的形式を否定して真の内容が吐露したかった。それはいい。ところが、吐露する形式はどういう事にならねばならぬか。そういう事まで考える余裕はなかったのである。ただ何も彼も吐き出して了いたかった。その自由と無秩序との裡に、せっかく現そうとした自己の姿が迷い込んで了ったのである。……
 ――この告白の嵐に、一つの大きな秩序を与えたものが、(自然主義の/池田注記)合理的な観察態度なのである。ところが、この態度が齎した正確な描写という手法は、文学の新しい秩序を創り出したというより、寧ろ文学によって事物の秩序を明るみに出した。告白の嵐の中に道を失った自我は、観察機械たる自己を発見するという始末になった。これは発見とは言えまい。新しい型の紛失です。そこで、こういう問題が現れます。一般の趨勢に抗して、象徴派の詩人達は、内的現実を守った、つまり自己表現の問題から眼を離さなかったのであるが、彼等が詩人の本能から感得していた自己とは、告白によっても現れないし、描写の対象となる様なものでもなかった。自己とは詩魂の事である。それはrepr é sentation(明示)によって語る事は出来ない、詩という象徴symboleだけが明かす事が出来る。……
 これに、先ほど引いた次のくだりが続きます、
 ――併しsymboleという言葉は曖昧です。ヴァレリイは、サンボリスト達の運動は、音楽からその富を奪回しようとした一群の詩人の運動と定義した方がいいと言っている。強いてsymboleという言葉を使うなら、その最も古い意味合いで、詩人は自ら創り出した詩という動かす事の出来ぬ割符に、日常自らもはっきりとは自覚しない詩魂という深くかくれた自己の姿の割符がぴったり合うのを見て驚く、そういう事が詩人にはやりたいのである。これはつまる処、詩は詩しか表現しない、そういう風に詩作したいという事だ。これは、まさしく音楽に固有な富である。……
      
 先に私が「『批評家小林秀雄』の心髄も文体もボードレールによって培われました」と言ったうちの「文体」についてはすでに言いましたが、では「心髄」はどういう姿をしていたのでしょうか。以下、いずれも「表現について」からです。
 ――詩作とは日常言語のうちに、詩的言語を定立し、組織するという極めて精緻な知的技術であり、霊感と計量とを一致させようとする恐らく完了する事のない知的努力である。それが近代詩人が、自らの裡に批評家を蔵するという本当の意味であって、若し、かような詩作過程に参加している批評家を考えれば、それは最上の批評家と言えるであろう。恐らくそういう意味なのであります。……
 ――象徴派の詩人達は、内的現実を守った、つまり自己表現の問題から眼を離さなかったのであるが、彼等が詩人の本能から感得していた自己とは、告白によっても現れないし、描写の対象となる様なものでもなかった。自己とは詩魂の事である。それはrepr é sentation (明示)によって語る事は出来ない、詩という象徴symboleだけが明かす事が出来る。……
 先生の批評もまた「日常言語のうちに、詩的言語を定立し、組織するという極めて精緻な知的技術であり、霊感と計量とを一致させようとする恐らく完了する事のない知的努力」であって、先生も終始、「内的現実を守った、自己表現の問題から眼を離さなかった」のです。
 先生は、大学入試の国語の長文読解問題に自分の文章が使われることに対してはっきりと不快感を示していました、「僕は散文を書いているのではない、詩を書いているのだ、大学の先生たちは僕が書いているのは散文だと思って問題を作っている」と言い、読者から感想文が送られてくると必ず葉書で返礼し、そこには誰に向けても「お手紙ありがたう、君のやうに読んでくれればいゝのです、御健闘を祈る」と書きました、先生は一人ひとりの読者と割符づきあいをしていたのです、読者に読んでもらって初めて自分の文章は書き上がるのだと言っていました。
(了)