次回の講座ご案内

令和7年8月のご案内

 令和7年8月の≪私塾レコダ l’ecoda≫三講座は、次のように開きます。
講師  池田 雅延   

●8月21日(木)19:00~21:00
 小林秀雄と人生を読む夕べ

   第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
     第二十八峰「モオツァルト」(後編その2)(「小林秀雄全作品」15集所収) 
               昭和二十一年(一九四六)十二月発表 四十四歳
 
  小林先生は、音楽はただ虚心に耳を澄まし、聞える音を細心の注意で捕えようと、それだけを心がけられていました。そんな先生に、モーツァルトは驚くべき美で答えてくれたと先生は言い、彼、モーツァルトは、自分自身の天才に苦しんだが、その苦しみは妻にも見せず快活に世に処した、彼の音楽は、そういう彼の人柄の正直な表現なのだと言って長年訓練した聴覚と無私とでいま鳴っている音を正確に捕えることに徹し、そこにモーツァルトの人間性が鳴り渡るのを聴き取って言います、――モオツァルトのかなしさは疾走する、涙は追いつけない……。
 前々回の六月十九日は第二節から第四節までを読み、前回の七月十七日は第五節から第十一節までを読みましたが、今回は第五節から第十一節までの読みをいっそう深め、最後に第一節を読んで全篇を読みきります。 


   第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
     「沈黙」という言葉

 「モオツアルト」の第五節で、小林先生は、「美は人を沈黙させるとはよく言われることだが、この事を徹底して考えている人は意外に少いものである。」と言われています。今回はここに因んで「沈黙」という言葉を取り上げます。

●8月7日(木)19:00~21:00
   小林秀雄「本居宣長」を読む
     第四十七章 「『あやし』という言葉の使い方」

 令和の今日もなお大差はないかも知れませんが、江戸時代に本居宣長が「古事記」の註釈を思い立った頃、「古事記」を開けてみたほとんどの人が「ここで言われていることはあやしいものだ、伝説に過ぎまい、歴史とは言えぬ」と高を括っていました、しかし宣長は随筆集「玉勝間」に「あやしき事の説」を書いて言っています、
 ――「もし人といふもの、今はなき世にて、神代にさる物ありきと記して、その人といひし物のありしやう、まづ上つかたに、カシラといふ所有て、その左リ右に、耳といふもの有て、もろもろの声をよくきゝ、おもての上つ方に、目といふ物二つありて、よろづの物の色かたちを、のこるくまなく見あきらめ」、「かくて又胸の内にカクれて、ココロといふ物の有つる、こはあるが中にも、いとあやしき物にて、色も形もなきものから、上のクダリ耳の声をきゝ、目の物を見、口のものいひ、手足のはたらくも、皆此心のしわざにてぞ有ける、さるに此人といひし物、ある時、いたくなやみて、やうやうにオモりもてゆくほどに、つひにかのよろづのしわざ皆やみて、いさゝかうごくこともせずなりてみにき、と記したらむ書を、じゆしやの見たらむには、例の信ぜずして、神代ならんからに、いづこのさるあやしき事かあるべき、すべてすべてコトワリもなく、つたなき寓言にこそはあれ、とぞいはむかし」、そして、「すべて神代の事どもも、今は世にさる事のなければこそ、あやしとは思ふなれ、今もあらましかば、あやしとはおもはましや、今世にある事も、今あればこそ、あやしとは思はね、つらつら思ひめぐらせば、世ノ中にあらゆる事、なに物かはあやしからざる、いひもてゆけば、あやしからぬはなきぞとよ」、……
 これを受けて、小林先生は言います
 ――此処ここで、彼が言いたいのは、「あやし」という言葉の使い方である。――「つらつら思ひめぐらせば、世ノ中にあらゆる事、なに物かはあやしからざる」と自分の言うところを、そのまま率直に受取って欲しい。「あやし」という言葉を、まともに使おうとすれば、どうしても、このように強い反語的な言い方にならざるを得ない、という事が、解って貰えるだろうか。この言葉のまともな使い方をしている人が、何と少いか。そういう事を、彼は、つらつら思いめぐらしているのである。この言葉の不徹底な使い方ばかりが、周囲に行われている様を、見ているうちに、それが、古学の道を、遂に誤まらす事になったのが、彼には、いよいよはっきりして来た。……

●8月28日(木)19:00~21:00
   新潮日本古典集成で読む「萬葉」秀歌百首


   今月の「秀歌」は次の二首です。

    あしひきの 山のしづくに いも待つと
     我れ立ち濡れぬ 山のしづくに
              大津皇女[107]16

    ささの葉は み山もさやに さやげども
     我れは妹思ふ 別れぬれば
              柿本人麻呂[133]17



  ・末尾の[ ]内は新潮日本古典集成『萬葉集』の歌頭に打たれている   
   『国歌大観』の歌番号、その次の数字は今回の秀歌百首の通し番号です。