令和7年5月のご案内
令和7年5月の≪私塾レコダ l’ecoda≫三講座は、次のように開きます。
講師 池田 雅延
令和7年5月の講座ご案内
●5月15日(木)19:00~21:00
小林秀雄と人生を読む夕べ
第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
第二十七峰「実 朝」 承前(「小林秀雄全作品」14集所収)
昭和一八年(一九四二)二~六月発表 四十歳
「実朝」は、源実朝です。鎌倉幕府を開いた頼朝の次男で自身も第三代の将軍となりましたが、歌集「金槐和歌集」に見られる彼の歌に小林先生は「何かしら物狂おしい悲しみに眼を空にした人間」を読み取ります。人口に膾炙した歌「箱根路を われ越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄るみゆ」も、「大きく開けた伊豆の海があり、その中に遥かに小さな島が見え、またその中にさらに小さく白い波が寄せ、またその先に自分の心の形が見えて来るという風に歌は動いている」と、実朝の心の調べを聴き取っていきます。
源実朝は建久三年(一一九二)、鎌倉幕府を開いた源頼朝の二男として生れ、建仁三年(一二〇三)、鎌倉幕府の第三代将軍となりましたが、実権は母政子の親元、北条氏に握られ、右大臣に任ぜられた建保六年(一二一八)の翌年、建久元年(一二一九)一月二七日の夜、鶴岡八幡宮の境内で兄頼家の子、公暁に暗殺されました。
小林先生は、実朝の歌に感じられる「何かしら狂おしい悲しみ」はこういう実朝の境涯に発していると見て、「実朝」の冒頭に鎌倉幕府の史書『吾妻鑑』を入念に引き、次のように言っています。
―― 「吾妻鏡」には、編纂者等の勝手な創作にかかる文学が多く混入していると見るのは、今日の史家の定説の様である。上の引用も、確かに事の真相ではあるまい。併し、文学には文学の真相というものが、自ずから現れるもので、それが、史家の詮索とは関係なく、事実の忠実な記録が誇示する所謂真相なるものを貫き、もっと深いところに行こうとする傾向があるのはどうも致し方ない事なのである。深く行って、何に到ろうとするのであろうか。深く歴史の生きている所以のものに到ろうとするのであろうか。とまれ、文学の現す美の深浅は、この不思議な力の強弱に係わるようである。「吾妻鏡」の文学は無論上等な文学ではない。だが、史家の所謂一等史料「吾妻鏡」の劣等な部分が、かえって歴史の大事を語っていないとも限るまい。……
今回は、小林先生に導かれて「『吾妻鏡』の文学」をまず読み、前回以上に深く実朝の歌境に浸ります。
第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
「無垢」という言葉
●5月8日(木)19:00~21:00
小林秀雄「本居宣長」を読む
※ご注意下さい
毎月第一木曜日に開いている講座「小林秀雄『本居宣長』を読む」は、本年5月の第一木曜日である1日がゴールデンウイークの真っ只中となっているため、一週間繰り下げて第二木曜日の5月8日に開きます。
第四十五章下「反面恩師、賀茂真淵の泣き所」
前回の4月3日には「反面恩師、賀茂真淵の暗さ」と見出しを立てて第四十五章を読みましたが、そのとき、第四十五章は小林先生が構築された「思想劇 本居宣長」のクライマックスであり、一夜の勉強会ではとても読み切れません、そこで第四十五章の大詰め、「小林秀雄全作品」(新潮社刊)で言えば第28集143頁の8行目以下は、次回、5月8日に精しく読みますとおことわりして先送りしました、その大詰めがいよいよです。
宣長は、前々から師真淵の古道観に不満を感じ、そういう不満を漫然とは外にも見せていましたが、真淵の古学の弱点、盲点を具体的に、明快に示さなければならない局面では容赦していない、そのことは宣長の「古事記伝」の註解から推察できると小林先生は言い、「古事記」のなかの「天若日子」の物語を「古事記伝」に即して読んでいきます、小林先生に指さされ、宣長が見ていた「真淵の泣き所」を、今回、私たちも目の当りにします。
●5月22日(木)19:00~21:00
新潮日本古典集成で読む「萬葉」秀歌百首
今月の「秀歌」は次の二首です。
采女の 袖吹きかへす 明日香風
都を遠み いたづらに吹く
志貴皇子[51]10
いづくにか 舟泊てすらむ 安礼の崎
漕ぎ廻み行きし 棚なし小舟
高市黒人[58]11・末尾の[ ]内は新潮日本古典集成『萬葉集』の歌頭に打たれている
『国歌大観』の歌番号、その次の数字は今回の秀歌百首の通し番号です。