[小林秀雄と人生を読む夕べ]

 小林秀雄と人生を読む夕べ 

 この講座は、第一部、第二部の二部構成になっています。
 前半の第一部は、「小林秀雄山脈五十五峰縦走」と題して、小林先生の作品を五十五作、講師池田雅延が選んで各回一作ずつ読んでいきます。小林先生六十年の作品系列を池田は飛騨山脈、奥羽山脈などの山並に見立てて「小林秀雄山脈」と呼んでいますが、そのなかでもひときわ高く、美しくそびえる五十五作を特に選んで「小林秀雄山脈五十五峰」と名づけ、≪私塾レコダ l'ecoda≫の熟読翫味作としました。
 そして後半の第二部は、「小林秀雄 生き方の徴(しるし)」と題して、「考えるということ」「常識とは何か」「歴史とは何か」など、誰にとっても「いかに生きるべきか」の急所に関わる言葉を順次取り上げ、これらの言葉について小林先生はどう言われているかをお話しします。
「小林秀雄山脈五十五峰」「小林秀雄 生き方の徴」とも、より詳しくは「l’ecoda講話覚書 Ⅰ 開講にあたって」でご案内します。



令和8年1月の講座ご案内

●1月15日(木)19:00~21:00
 小林秀雄と人生を読む夕べ

   第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
      第三十一峰「鉄斎Ⅱ」(「小林秀雄全作品」17集所収) 
               昭和二四年(一九四九)三月発表 四六歳
 
 鉄斎は明治・大正期の南画家です。その絵、その生き方、いずれも自由奔放、大胆不羈ふきで、この鉄斎に惚れこんだ小林先生はある年、某所蔵家の好意で四日間、早朝から坐り通してワカガキすなわち若い頃の作品だけでも二〇〇点近いという鉄斎の絵を見て見て見て過ごしましたが、なかでも三時間以上も見続けた大作「富士山図屏風」は絵の隅々まで味わって鉄斎の心にまで思いを馳せ、私たちはあたかも鉄斎と小林先生に連れられて富士山に登っているかのような壮気を覚えます。もちろん「鉄斎Ⅰ」(「小林秀雄全作品」第15集所収)「鉄斎Ⅲ」(同第21集所収)、「鉄斎Ⅳ」(同第21集所収)も面白さは尽きません。


   第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
     「デッサン」という言葉

 今回の第二部は、第一部「鉄斎Ⅱ」の結語部で言われている「デッサン」をクローズ・アップします。
「デッサン」という言葉は、『広辞苑』には「①線や筆触で物の形を捉えることを主眼に描いたもの。素描。②ものごとのあらすじ。」と言われ、『日本国語大辞典』には「①黒あるいはセピアなどの単色の線によって対象を簡潔に描くこと。また、その画。主に油彩画などの下絵として描かれる。素描。」と言われていますが、小林先生はこの「デッサン」という言葉をこれらの線上でこれらとは異なる意味合の比喩として用いられ、「鉄斎Ⅱ」を次のように結ばれています、鉄斎は書もよくしました。
 ――鉄斎は非常な読書家であった。しかし、し彼に画道という芸当がなかったなら、彼の雑然たる知識は、その表現の端緒をつかみ得ず、雲散霧消したのではあるまいか。ここでもまた鉄斎の頭より眼が、眼より手が、ものを言う。死語は線によって生きたのである。頭に様々な観念を満載したこの理想主義者の企図、その知的努力の先端は、先ず書という一種のデッサンに現れたに違いない。線は色より、書は画より、余程知的な形である。この休むことを知らぬ頭は、自分の画を、企図の側からしか見なかった。言わば逆様に見ていたのである。彼は、自分は儒者だというよりも、自分は書家だと言っていた方が正確だったかも知れない。……



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