[小林秀雄と人生を読む夕べ]

 小林秀雄と人生を読む夕べ 

 この講座は、第一部、第二部の二部構成になっています。
 前半の第一部は、「小林秀雄山脈五十五峰縦走」と題して、小林先生の作品を五十五作、講師池田雅延が選んで各回一作ずつ読んでいきます。小林先生六十年の作品系列を池田は飛騨山脈、奥羽山脈などの山並に見立てて「小林秀雄山脈」と呼んでいますが、そのなかでもひときわ高く、美しくそびえる五十五作を特に選んで「小林秀雄山脈五十五峰」と名づけ、≪私塾レコダ l'ecoda≫の熟読翫味作としました。
 そして後半の第二部は、「小林秀雄 生き方の徴(しるし)」と題して、「考えるということ」「常識とは何か」「歴史とは何か」など、誰にとっても「いかに生きるべきか」の急所に関わる言葉を順次取り上げ、これらの言葉について小林先生はどう言われているかをお話しします。
「小林秀雄山脈五十五峰」「小林秀雄 生き方の徴」とも、より詳しくは「l’ecoda講話覚書 Ⅰ 開講にあたって」でご案内します。



令和7年9月の講座ご案内

●9月18日(木)19:00~21:00
 小林秀雄と人生を読む夕べ

   第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
     第二十九峰「ランボオⅢ」(後編その2)(「小林秀雄全作品」15集所収) 
               昭和二十二年(一九四七)三月発表 四十四歳
 
 「ランボオ」は一九世紀後半のフランスの詩人です。そのランボオの詩と小林先生が東京・神田の書店でいきなり出会ったのは数え年二十三歳の春でした。それから約二十年、自ら訳したランボオの詩集『地獄の季節』が再刊されることとなり、それを機として書いた「ランボオⅢ」でランボオと出会ったという「事件」をまざまざと思い起します。ランボオは十代半ばに詩を書き始め、二十歳前後にはもう筆を絶って世界を放浪、三十七歳で世を去りましたが、その詩魂、その生活力、その行動力、すべてに小林先生は共感し共鳴しました。「ランボオⅢ」は「ランボオⅠ」(「小林秀雄全作品」第1集所収)、「ランボオⅡ」(同第2集所収)とともに、小林先生の青春の自画像でもあるのです。


   第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
     「事件」という言葉

「ランボオⅢ」で小林先生は言っています、――僕が、はじめてランボオに、出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕をたたきのめしたのである。僕には、何んの準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の「地獄の季節」の見すぼらしい豆本に、どんなにはげしい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。しかも、この爆弾の発火装置は、僕の覚束おぼつかない語学の力なぞほとんど問題ではないくらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂さくれつし、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様に思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少くとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である、と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様にも思われる。……
 
 今回はこの小林先生のランボオとの遭遇という「事件」とともに、「モオツアルト」(同第15集所収)によって「モオツアルトの事件」にも立ち会います。


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