小林秀雄「本居宣長」を読む
「本居宣長」は小林先生が六十三歳から七十五歳までの十二年六か月をかけて書かれた畢生の大作です。江戸時代の古典学者本居宣長の学問は、「源氏物語」や「古事記」に「私たち日本人はこの人生をどう生きればよいのか」を尋ね、教わろうとした「道の学問」なのだと言われ、全五十章に思索の限りを尽くされました。
私たちの塾ではその五十章を一回に一章ずつひらき、それぞれの章に宣長の言葉はどういうふうに引かれているか、そして小林先生は、それらの言葉にどういうふうに向き合われているかを読み取っていきます。むろん毎回、「私たち日本人は、この人生をどう生きればよいか」をしっかり念頭においてです。
令和6年11月の講座ご案内
●11月7日(木)19:00~21:00
小林秀雄「本居宣長」を読む
第四十一章 信じるか、信じないか、二つに一つ
本居宣長が主役となって繰り広げられた「近世日本の思想劇」の最大の山場、宣長と上田秋成との大論争を第四」の事は太古の事績の中でも殊に荒蕩だと言う秋成の論難を第四十一章に引き、宣長はこれに対して自分もこの伝えを真に受けているわけではない、古学の眼を以て見ればなるほどと思われると言っているだけだと言い、「信ぜん人は信ぜよ、信ぜざらん人の信ぜざるは又何事かあらん」と返した、「ここに、信ずるか、信じないか、二つに一つ、という烈しい物の言い方が見られるが、そういう宣長の物の言い方から、彼の「古学」についての考えを、直かに摑まなければいけないだろう」と言います。ではなぜ宣長は、敢然とそう言い切ったのでしょうか、第四十一章ではその「なぜ」までが精しく語られます。
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