小林秀雄「本居宣長」を読む
「本居宣長」は小林先生が六十三歳から七十五歳までの十二年六か月をかけて書かれた畢生の大作です。江戸時代の古典学者本居宣長の学問は、「源氏物語」や「古事記」に「私たち日本人はこの人生をどう生きればよいのか」を尋ね、教わろうとした「道の学問」なのだと言われ、全五十章に思索の限りを尽くされました。
私たちの塾ではその五十章を一回に一章ずつひらき、それぞれの章に宣長の言葉はどういうふうに引かれているか、そして小林先生は、それらの言葉にどういうふうに向き合われているかを読み取っていきます。むろん毎回、「私たち日本人は、この人生をどう生きればよいか」をしっかり念頭においてです。
令和7年4月の講座ご案内
●4月3日(木)19:00~21:00
小林秀雄「本居宣長」を読む
第四十五章「反面恩師、賀茂真淵の暗さ」
前回読んだ第四十四章に、次のように言われていました、
――真淵晩年の苦衷を、一番よく知っていたのは、門人の中でも、宣長ただ一人であったと考えていいだろう。「よく見給へ」と言われて、宣長は、しっかりと見たに違いないが、既に「古事記伝」の仕事に、足を踏み入れていた彼は、この仕事を通して見たのである。彼には、冒険に踏み込んでみて、はじめて見えて来たものがあった。それは明瞭には言い難いが、「万葉」の「しらべ」を尽そうとした真淵の、一と筋の道は、そのままでは、決して「古事記」という異様な書物には通じていない、其処には、一種の断絶がある、少くとも、それだけは言える、という事であったと思われる。……
これを承けて、第四十五章には次のように言われます、
――二人の仕事から、その内容を推してみると、言語に対する両人の態度の相違が浮び上って来る。或る人の物の言い方が、直ちにその人の生き方を現わす、という宣長の徹底した考え方が、真淵には見られないのである。真淵には、神の古義はかくかくのものと、分析的に規定してみせるところで、足を止め、言葉の内部に這入り込もうとしないところがある。言ってみれば、「万葉」の鑑賞や批評で、充分に練磨された筈の、その素早い語感が、此処では、ためらっている。(中略)それは、真淵自身、漠然と感じてはいたが、はっきり意識出来なかった、その携わっていた問題に、言わば本来備っていた暗さ、問題の合理的解決などには、一向たじろがぬ本質的な難解性が、暗い奥の方に残った。どうしても、話は、其処に連れ戻される事になるのである。
宣長は、この暗さをよく知っていた。と言うより、私がここで言いたいのは、もし「古事記」の訓詁という実際の仕事に教えられなかったら、彼は、これを本当に納得はしなかったろうという事である。……
4月3日の塾当日には、ここで言われている「真淵の暗さ」に光を当てます。
●[小林秀雄「本居宣長」を読む]これまでの講座へ