小林秀雄「本居宣長」を読む
「本居宣長」は小林先生が六十三歳から七十五歳までの十二年六か月をかけて書かれた畢生の大作です。江戸時代の古典学者本居宣長の学問は、「源氏物語」や「古事記」に「私たち日本人はこの人生をどう生きればよいのか」を尋ね、教わろうとした「道の学問」なのだと言われ、全五十章に思索の限りを尽くされました。
私たちの塾ではその五十章を一回に一章ずつひらき、それぞれの章に宣長の言葉はどういうふうに引かれているか、そして小林先生は、それらの言葉にどういうふうに向き合われているかを読み取っていきます。むろん毎回、「私たち日本人は、この人生をどう生きればよいか」をしっかり念頭においてです。
令和7年10月の講座ご案内
●10月2日(木)19:00~21:00
小林秀雄「本居宣長」を読む
第四十九章 「古学の眼」
第四十九章は、次のように言って始められます、「呵刈葭」の上田秋成との論争の事は、既に書いたが、ここで、又これに触れようと思う。宣長の発言に関し、引用を、故意に保留して置いたものがあるからである。……
そして、言われます、二人の論争は、実を結ぶことなく、物別れとなった。恐らく、論争によって、両者は、互に何も得るところはなかったであろうが、評家にとっては、これを問題とした以上、不毛な論争ではなかったわけだ。と言うのは、二人は、それぞれ、論争という切っ掛けがなかったなら、決して語らなかったような語り方で、己れを語って見せたからである。私がここで言う宣長の発言とは、無論、この種の語り方の一つ、彼が確信するに到った古学の独特の性質につき、彼が己れの物としたと信じた、その所謂「古学の眼」についての発言なのだ。私には、それは論争の締め括りと言っていいような、やや解り難いが、意味深長なものに思われた。……
こう言い置いて小林先生は、宣長の「古学の眼」で古人の宗教的経験をなぞっていきます。
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