事務局ごよみ(1) 「身交ふ」創刊にあたって
橋岡 千代
≪私塾レコダ l’ecoda≫が二〇二二年四月に発足して六か月、このたび新しく「身交ふ」という雑誌風ホームページが創刊されることになりました。 ≪私塾レコダ l’ecoda≫は、二〇一二年二月に鎌倉で脳科学者の茂木健一郎さんが池田雅延講師を招いて始められた「小林秀雄に学ぶ塾」(ふだんは「鎌倉塾」とも「山の上の家塾」とも呼ばれています)が母体となっています。そのいきさつは本誌今号の「総合案内 私塾レコダ l’ecodaとは」で池田講師が詳しく説明していますが、鎌倉塾では小林秀雄先生が十二年かけて執筆された大著『本居宣長』を十二年かけて読むという大目標が掲げられ、今年はもうその十年目で、私は鎌倉塾の事務局も兼任させてもらっています。 さてそこで、「事務局ごよみ」の第一回は、私がこの「山の上の家」と呼ばれる小林秀雄先生の旧宅で開かれている塾に、第六期生として通い始めた日のことをお話ししようと思います。 ***** 鎌倉にある小林秀雄先生の旧宅は、鶴岡八幡宮の裏手の山の上で、一気に登り切れない傾斜の坂道を上がったところにあります。先生のお宅に足しげく通われた編集者の方々、またこちらで三十年にわたり執筆活動をなさっていた先生のおもかげを慕って通い始めた今の塾生たちも、皆この坂道の途中で足を止め、汗をぬぐったり蝉の声や鳥の声を聴いたりするうちふと竹林の風に吹かれて、さあもう一息だ、と歩き出したことでしょう。この坂を登るごとに、誰もがこの孤高の風に小林秀雄先生に出会えた奇蹟や高揚を感じ、それを一歩ずつ踏みしめてお宅に伺ったのではないでしょうか。 そもそも「山の上の家」とは、先生のご家族やご親戚の間の呼び名だそうで、それを聞き及んだ塾生たちもいつしかこの学び舎を「山の上の家」と呼ぶようになっていましたが、そこに私が初めてお邪魔したのは、茂木健一郎さんが塾生を募られていたSNSを通じてのことでした。今から考えると物見高さの勝った不純なきっかけでお恥ずかしい限りなのですが、「あの近代文学の殿堂のような小林秀雄という人の言葉についていけるのだろうか、こちらは教養も心得もないし……やっぱり引き返そうか」なんて深いため息をつきながら湘南新宿ラインの車窓を眺めていたのを思い出します。 そのころ、私には漠然とした願いがありました。それは「言葉」について知りたい、文学講座でもなく、哲学講座でもなく、「言葉」とは人間にとって何なのか、「言葉」そのものを学べるところはないだろうかと探し続けていたのです。……もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、神様は迷える子羊であった私を、それならここがある……と願ったり叶ったりの鎌倉の山のてっぺんまで連れ出してくださったのでした。 その日は年度初めであり、池田雅延塾頭はこのように仰いました、「今年も小林先生の『本居宣長』を第一章から五十章まで読んでいきますが、『本居宣長』にはキーワードが三つあります。それは、道、言葉、歴史の三つです。今年はそのうちの『言葉』に焦点を合わせます……」。はじめは国文学者ばりの言葉の講義かと思って聞いていましたら、塾頭の一言一言はこちらの既成の学問というタガを大きく外して、身体全体に突き刺さってくるようでした。人生にとって大事なこと、当たり前なこと、だけど誰も取り立てて言わなかったような話が次々と展開されるうちに、私の心の堅く重い門扉がギギギっと押し開けられていきました。そしてこれまで経験したことのないような、と同時にしっかりこちらの原風景に向かってくる、新しくて自由な風がそこに吹いていたのです。 その日のノートの最後はこうでした。「『本居宣長』を読む――想像力を持って読むこと、考えること、時間をかけること……小林秀雄」。この第一日目の最後の言葉を大事に包んで湘南新宿ラインに乗り込んだ私は、そっとそれを開け、「……小林秀雄という偉人に出会ってしまった」とまた深いため息をついたのです。 さて、この第一日の言葉にあった「考える」こそが、このホームページの誌名「身交ふ」の出どころです。編集長の坂口慶樹さんは、「総合案内 誌名『身交ふ』について」で、「『むかふ』の『む』は『身』であり、『かふ』は『交ふ』であると解していいなら、考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ」と言われている小林先生の言葉を引かれています。ということは、「考える」とは「身交ふ」こと、「自分という身が、物であれ人であれ相手という身と親身に交わり、つきあうこと」であり、「身交ふ」という言葉の持つ含蓄がこのホームページの根っこにあると言えるでしょう。さらに、これを踏まえて坂口さんは、この≪私塾レコダl’ecoda≫において小林先生の作品や「萬葉集」を読んでいくということは、作品を単なる知識として学ぶということではなく、「人生、いかに生きるべきか」を生涯のテーマとした小林先生に、人生の生き方を学ぶことです、とも仰っています。 誰もが一度や二度、人生の難問にぶつかって人間とは何なんだろう、と自問自答した経験があることでしょう。「身交ふ」という言葉はそうしたときの態度になって表れるかもしれません。けれど小林秀雄先生の仰る「身交ふ」が動き出すのはここからです。先生は、たとえばこう仰います、「不安なら不安で、不安から得をする算段をしたらいいではないか」(「僕の大学時代」、新潮社刊『小林秀雄全作品』第9集所収)と。算段をするのは私たち自身ですが、小林秀雄という人が人生に向き合って紡ぎ出した言葉に耳を傾けていると、どういうわけか私たちは、私たち自身の底にある生命力が立ち上がってくる、そんな疾風を感じるのです。 私たちが、≪私塾レコダ l’ecoda≫とこのホームページを楽しんでいるうちに、自ずと「身交ふ」が私たちのフォームとなって現れてくれることを願ってやみません。 晩春の小林秀雄先生の旧宅では、開け放した窓から入る風はまだ冷たく、肌寒いくらいでしたが、それが、やはり私たちの精神をピンと立ててくれる孤高の風であり、その向こうには、小林先生のお好きだった桜、普賢象や山ざくら、芳しい梅などの木々が揺れていました。そして遠くに霞む伊豆の大島を見晴るかす庭の芝に立つと、体の中に何かが広がってくるのを感じます……。 私はこの広がりを、このホームページに来てくださった方々にも感じていただけるものと信じています。そしていつか、コロナ禍が終息したあかつきには、皆さんとご一緒にあの小林先生のいらっしゃる山の上の家に伺えることを願っています。 ***** さて、ここにご紹介しました茂木健一郎さん主宰の「小林秀雄に学ぶ塾」ですが、この「小林秀雄に学ぶ塾」は一年に一度、いまも塾生募集が行われています。けれどそれとは別に、「私塾レコダl’ecoda」の三講座、「小林秀雄と人生を読む夕べ」「小林秀雄『本居宣長』を読む」「<新潮日本古典集成>で読む『萬葉』秀歌百首」に計六回以上出席し、その上で池田雅延塾頭の入塾許可をもらえばいつでも入塾できます。お問い合わせの際は「私塾レコダl’ecoda」事務局までご連絡ください。皆さまの鎌倉塾へのご参加も心からお待ち申し上げます。
(了)