鬼原 祐也 <感想> 「わかるということ」

●鬼原祐也
 令和五年(二〇二三)三月十六日
 <小林秀雄と人生を読む夕べ>
「わかるということ」

「肉声を磨く」
 人の話を聞くということは、その人の人生劇の役者としての芝居を身をもって吸収することだと思う。

 手に入れた芝居は、言い換えるなら食材のようなもので、そこからどう下ごしらえして、切り揃え、調理して、口に入れるか、それは各々に委ねられているが、基となる食材は新鮮なほどよい。そう考えると、池田雅延塾頭は鮮度抜群の食材と言える。

 三月十六日の「小林秀雄と人生を読む夕べ」の第二部「小林秀雄 生き方のしるし」では「わかるということ」と題して池田塾頭が話された。
 この回は特に熱が込められていたように感じた。私自身その熱に打ちのめされ、魂が震え、涙が溢れた。
 それでも池田塾頭は言葉の槌で私の心を打ち続ける。まるで鍛冶屋が鉄を熱して包丁を叩き形成するように。
 私は池田塾頭ほど、言葉を正確に捉え、微妙に使い分け、それを最終的に人の心に届くように創意工夫して肉声に乗せる人に会ったことがない。
 池田塾頭の肉声には何度も苦労して叩き直し、考え練られた、下ごしらえの美しい手仕事の跡がくっきりと残されている。そのひだや、でこぼこが私の心に触れ、まるでヤスリのように作用する。その感触は痛気持ちいいというか、少しヒリヒリする時もあるが、池田塾頭独自の感触なのだ。
 そう思ってみると、池田塾頭の講義時間は、人と話をする時には常に自分の心を開いておかなければならないな、と思い改める時間とも言える。
 講義をする人によってはもっと聞く人に気を使ってヤスリの目を細かくし、槌も木製やゴム製にするかもしれない。打つ力ももっとやさしいかもしれない。しかし池田塾頭は自らの道具はどのくらいの力で使うのがよいか、よくよく熟知されているのである。

 今回の生き方の徵では、小林先生が「文科の学生諸君へ」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第9集所収)の中で、学生時代に志賀直哉氏から「君等の年頃では、いくら自惚うぬぼれても自惚れ過ぎるという事はない。自惚れ過ぎていて丁度いいのだ。やがてそうはいかない時は必ず来るのだから」と言われ、これを聞いて小林先生は、「以来僕は自惚れる事にかけては人後に落ちまいと心掛けた。何が何やら解らなくなっても、この位物事が解らなくなるのは大した事だと自惚れる事にしていた」と書かれている、と言われたあと、池田塾頭は次のように話された。「私も後期高齢者になったがまだまだ自惚れる。まだ自惚れられる。まだまだ自惚れ足りない」。その言葉はまるで寺の境内の鐘を鳴らしたように、ゴーンゴーンと鳴り響き、私の心はまるでたくさんの粒子の集合体のように感じられ、その一粒一粒が鐘の音に共鳴し静かに熱を帯びて来るのを感じた。
 するとしだいにこみ上がってくる感動が涙とともにあふれてきた。
 私の理性は、これはまずいと思ったが止めることはできなかった。まさかそこで、池田塾頭が寺の鐘を持ち出してくるとは思いもよらなかった。しかし塾頭はこの鐘を、あのレコダの小さな教室に用意されていたのだ。自らの磨き上げられた肉声と言葉の姿を借りて。

 ここまで、筆が走る感動のままに書き連ねてきたが、池田塾頭は毎回心を開いてお話され、その準備に創意工夫をこらされている。特にその肉声の力、話すリズムに独自の魅力があり、それが回を重ねるごとに熟成され、それに加え極めて稀有なことに、回を重ねるごとに鮮度は増しているように感じる。
 言うならば私たちは、池田塾頭が小林先生の本文を肉声に乗せる時、言葉と言葉の間、文章と文章の間に空気を入れてほぐされた小林先生の本文を聴くことになるのである。
 私はその、振り仮名や解説や言い換えが行われながら前に進み独自のリズムを奏でる池田塾頭の読みから生じるほぐされた空気の中に、自分の心を入れる余白ができるから魅力を感じる。
 つまり小林先生の本文を通して小林先生と池田塾頭と私が一体となれる感覚がとても魅力的なのだ。

 私もこれから様々な人に出会うだろうが、日々鮮度のよい心持ちで人と接し、自分の肉声を磨く努力をしつづけることが大切だなと思う。

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