齋藤 崇宏 <感想> 『萬葉』秀歌百首

齋藤 崇宏
 令和五年(二〇二三)五月二十五日
 <新潮日本古典集成で読む『萬葉』秀歌百首>
背子せこを 今か今かと 出で見れば
 沫雪あわゆき降れり 庭もほどろに
     (作者未詳/巻第十 冬雑歌 2323番歌)
朝影あさかげに 我がはなりぬ 玉かきる
 ほのかに見えて にし子ゆゑに
     (人麻呂歌集/巻第十一 正述心緒せいじゅつしんしょ 2394番歌)

 令和五年四月二十九日に奈良のばら神社に参拝いたしました。
 じん天皇の時代に疫病が発生し、その疫病が国民の大半に及んだのは、崇神天皇が自分の家で天照大神あまてらすおおみかみを祀っているのが原因と考え、より清々しいところを見つけてお祀りしたのが檜原神社なのですが、天照大神は最終的には伊勢神宮に祀られましたから、檜原神社は元伊勢神社といわれています、というお話を久野潤先生からお聞きしました。

 私が勤めている会社も、令和二年四月にコロナの影響を直接受けて一ヶ月休業せざるを得ませんでした。その休日を利用して、令和二年四月二十五日に初参拝いたしました。
 その時は、小林秀雄と書かれた小さな石碑と、佐美雄と書かれた大きな石碑には気づきませんでしたが、今回は違いました。
 小さな石碑には、「山邊道」とだけ書いてあり、その周辺は薄暗く松の木が生い茂っていて薄気味悪かったので、初めて通ったときは走って抜けたのですが、今回はゆっくり松の木を見ながら歩いたり立ち止まったりして見ました。
 大きな石碑には、「春がすみ いよよ濃くなる まひる間の なにも見えねば 大和と思へ」と書いてあり、曇りで大和三山は見えませんでしたが、大和三山があると思えました。

 檜原神社に初参拝した時は、来たという記念にお守りを購入したのですが、今回は子持ち勾玉まがたま守りやお札を購入しました。「小林秀雄講演 第8巻」の講演内容の意味がやっと分かった気がします。

 池田塾頭、講座を開いてくださり、ありがとうございます。

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