事務局ごよみ(9)
言葉と想い
入田 丈司
このたび、「交流コーナー 交差点」の校閲・校正を通じて本誌『身交ふ』の編集に加わることになりました、入田丈司(いりたたけし)と申します。よろしくお願い致します。 私は子供の頃から言葉で想いを伝えることに強い関心を抱き続けており、今回は自己紹介を兼ねて、現在の小林秀雄先生へと至る道の出発点である子供の頃の体験を記そうと思います。 私の生まれ育った東京のわが家には、中学二年生頃まで、なんとプロの詩人が、血の繋がりはないながらも、ひとつ屋根の下に私の家族と今で言う二世帯住宅のような形で住んでいました。詩人の名は、三越左千夫さん(みつこしさちお 大正五年生~平成四年没)と言います。 現在はもう無い、かつての平屋建てのわが家で玄関は一緒、その先の一部屋に三越さんが一人で自活されていましたが、部屋鍵はなく行き来も自由にできました。三越さんは私を「坊や」と呼んで可愛がって下さり、私も何かとその部屋に入りびたり、小学時代の夏休みには、三越さんの弟さんが商店を営んでいた千葉県佐原市の生家への里帰りに付いて行っては遊んでいました。また三越さんの風姿は、映画「男はつらいよ」の寅さんこと車寅次郎を上品にして眼鏡をかけた感じ、と言いましょうか。庶民的で、若い頃は細身だったそうですが、私が物心ついた頃には、ふくよかな体形でした。 現代詩には難解な印象がありますが、三越左千夫さんの詩は誰にでもわかる表現で、ある時期からは、子供や生徒向けの雑誌などに発表する「子供にも充分読める詩」と「大人に向けた詩」の両方を創り続けていらっしゃいました。日々の中でいつ詩作をされるのかが謎でしたが、よく朝方に布団にうつぶせになって何やら小さな呻吟とともに紙に書き付ける姿があり、時たま卓袱台のような机に向かい真剣な顔で原稿用紙に万年筆で丁寧に記されていました。 ここで三越左千夫さんの詩を、ひとつ紹介させて下さい。 おちば 三越左千夫 おちばを ことりにして そらへ とばしたのは いたずら きたかぜ おちばを ふとんにして はるまで ねるのは やまの どんぐり おちばを さらにして ままごと したのは ふたりの いもうと おちばを しおりにして ぼくは ほんの あいだに あきを しまいます (アテネ社刊『新版 三越左千夫全詩集』 p. 483) 私はこの詩を目にした時、あの、周囲の大人達と何ら変わりない、生活感にあふれた庶民的に過ぎるとすら見える三越左千夫さんの、一体どこから、この素敵な想いの溢れる言葉がやって来るのだろうかと、ただ驚嘆していました。 子供の頃の私は上野の科学博物館が大好きな理科少年で、それでも高校生となればイッパシに失恋もして、胸の内を詩にしてやろうと思えば思うほど書けない自分でした。振り返ると、とても狭い意味での頭だけを使って詩を書こうとしていたのでしょう。けれども、それは、所詮無理だった、ということなのだと今では思っています。しかしその一方で、この三越左千夫さんとの交流、また彼の生家の豊かな自然に浸かった日々が、私の内面のとても大きな財産になっていることに、また小林秀雄先生に至る道の出発点となっていることに、私は徐々に気づいてきました。 私は大学で物理学を専攻し製造業に就職、技術者を仕事にしています。ですが、想いを表す言葉への関心は薄れるどころか、それは私が精神面で手応えを持って生きていく糧ではないかと思うようになっています。 そんな心境を抱いて還暦も見えてきた頃、茂木健一郎さん主宰の「小林秀雄に学ぶ塾」に入らせて頂き、池田雅延塾頭の御指導を受け、小林秀雄先生の大著『本居宣長』と取り組んでいます。 そして宣長の言語観について述べた小林秀雄先生の次の文章に出会い、大きな感銘を受けました。 ――私達の身体の生きた組織は、混乱した動きには堪えられぬように出来上っているのだから、無秩序な叫び声が、無秩序なままに、放って置かれる事はない。私達が、思わず知らず「長息」するのも、内部に感じられる混乱を整調しようとして、極めて自然に取る私達の動作であろう。(中略)確かなのは、宣長が、言葉の生れ出る母体として、私達が、生きて行く必要上、われ知らず取る或る全的な態度なり体制なりを考えていた事である。言葉は、決して頭脳というような局所の考案によって、生れ出たものではない。この宣長の言語観の基礎にある考えは、銘記して置いた方がよい。(新潮社刊『小林秀雄全作品』第27集 p261、8行目~、第23章) これは深遠な認識です。想いを伝える言葉が発せられるのは、人との、世の出来事との、自然との、など自分と(広義の)他者との深い交流によって、心身が揺り動かされることが源なのだと気づかされます。人の内面は、そのように出来ているのだとも。 そして学ぶことも、その対象と深く交わることなくしては成し得ない、と言えます。 優れた批評も、また詩作も、これが底流にしっかりとあるのだと思います。 「交流コーナー 交差点」への皆さんからの投稿も、それぞれの講義の、また古人の言葉との交流から生まれた文章です。これを胸に、おひとりおひとりに丁寧に向き合っていきたいと思います。 また私は、とある事から短歌、和歌への関心が強くなり、還暦後の人生で多少なりとも歌を詠み、我が子などに言葉を残せればと思っています。 最後に「萬葉集」から、御講義での選とは別の和歌ですが、私の好きな一首を引いて名の知れぬ古人の想いと交わりつつ、稿を閉じます。 夢のごと 君を相見て 天霧らし 降りくる雪の 消ぬべく思ほゆ (「萬葉集」巻十 冬相聞 2342番歌 作者未詳)
(了)