金森 いず美 <感想> 「還 暦」

●金森 いず美
 令和五年(二〇二三)七月二十日
 <小林秀雄と人生を読む夕べ>
 「還 暦」
 (「小林秀雄全作品」第24集所収)
 「科学的な見方、考え方という現代の迷信」

「小林秀雄と人生を読む夕べ」は、七月、「還暦」が取り上げられました。年齢とどのように向き合うか。長い時間をかけて育まれてきた「還暦」という言葉から、生き方、生きる態度を考えさせられる作品でした。
 昔の人々にとって、賀の祝いは、より良く暮らしていくための大切な習わしであり、そういった習わしを続けていくことが、昔の人々の、生きるための知恵であったのだと、池田塾頭のご講義で感じとることができました。私の住むところは、賀の祝いが大事にされており、周りの方々と祝いの日をともに過ごすことにも、若い頃から割合多く慣れ親しんできたように思います。自分の生まれ育った土地にそういった習わしが当たり前に続けられていることは、大変ありがたいことなのだと感じながら、池田塾頭のお話に耳を傾けました。

 小林先生は、この作品で、「還暦」の祝いという旧習が、人生に深く根ざしたものであること、「長寿」や「延寿」といった言葉が、人間としての当たり前な心に添い、「長命」「長生」と同じ意味で使われてきたことに触れられます。さらに、円熟、隠居、市隠など、先人によって長い時間をかけて育まれてきた言葉を挙げられ、「人間らしい心」のままに「年齢」の呼びかけに応じて対話をする先人の生きる知恵、生きる態度を示してくださいます。「生命の経験という一種異様な経験」を自覚し、「年齢という実在」にどう向き合うか。この作品で「陸沈」という言葉も教えられ、次の文章がとても印象に残りました。

 ――「荘子」によれば、孔子は陸沈という面白い言葉を使って説いている。世間に捨てられるのも、世間を捨てるのも易しい事だ。世間に迎合するのも水に自然と沈むようなものでもっと易しいが、一番困難で、一番積極的な生き方は、世間の直中に、つまり水無きところに沈む事だ、と考えた。この一種の現実主義は、結局、年齢との極めて高度な対話の形式だ、という事になりはしないか。歴史の深層に深く根を下ろして私達の年齢という根についての、空想を交えぬ認識を語ってはいないか。……

 ――世の中は、時をかけて、みんなと一緒に、暮らしてみなければ納得出来ない事柄に満ちている。実際、誰も肝腎な事は、世の中に生きてみて納得しているのだ。この人間生活の経験の基本的な姿の痛切な反省を、彼は陸沈と呼んだと考えてみてはどうだろう。……

 ご講義で、池田塾頭も、この作品は、時間をかけて読んでいるうちにおのずと立ち上がってくるような文章です、ストンと腹に落ちるまでには熟読して時を待つ必要があります、とお話しされました。また、ご講義の最後の、受講者の方々と池田塾頭との対話も、私の心を打ちました。人の中に暮らし、人間らしい心を硬直させることなく生きること。時間と心を合わせる経験、生きるという経験を一つひとつ重ねていくこと。自分自身の生きる態度をあらためて見つめ直し、小林先生の語られる言葉が、ストンと私の腹に落ちるその時を待ちながら、また折々に、この作品を開いてみたいと思っています。

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