千頭 敏史 <感想> 第三十章(下)古言のふり

●千頭 敏史
 令和五年(二〇二三)八月三日
 <小林秀雄「本居宣長」を読む>
 第三十章  古言のふり

 令和五年八月三日には「小林秀雄『本居宣長』を読む 第三十章 古言のふり」のご講義を賜り有難うございました。
 宣長の「古言のふり」の一例として、「古事記伝」から「二十七之巻に出て来る倭建命やまとたけるのみことの物語」を引用するにあたって、小林先生は、「宣長が所懐を述べているこの有名な個所」を「宣長の学問の方法の、具体的な『ふり』の適例として、挙げるのであるから、引用も丁寧にしておく」と、注記されます。
天皇すめらみことはやれを死ねとや思ほすらむ」以下、「古事記」の宣長のみを引用した後、この個所の「古事記伝」の注釈文では、「恨み奉るべき事をば、恨み、悲しむべき事をば悲みナキ賜ふ、コレぞ人の真心マゴコロにはありける」として、「皇国みくにの古へ人の真心マゴコロ」を称賛されます。
 池田塾頭の肉声を耳にしながら「本居宣長」の本文を辿っていますと、「本居宣長」第二十七章の講座で読んだ、「つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日けふとは 思はざりしを」という、契沖が絶賛した業平の有名な歌が自ずから想起されます。
戎人カラビトのうはべをかざり偽る」のを排斥して、「皇国みくにの古へ人の真心マゴコロ」を称える、宣長の同じ心ばえが感じられました。

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