●久保田 美穂
令和五年(二〇二三)八月十七日
<小林秀雄と人生を読む夕べ>
「人 形」(「小林秀雄全作品」第24集所収)
思い出を語り合えた喜び
もう十年以上も前のことだと思われる。昼下がりに呼び鈴が押され、外に出てみた。親世代ほどの、隣家の奥さんが、両手に抱えるようにしてハンカチにくるんだ燕の雛を差し出してきたのだった。雛はぐったりしていて、瀕死の状態だった。隣にいたご主人は、あるかなきかの笑みを口元に漂わせて所在なげに立っていた。
「久保田さんちには燕の巣があるから、と思って」
彼女は返事を待つことなく雛を私に手渡すと、安堵したように、ありがとう、と言った。夫婦は隣家に帰っていった。
だれにも話すことのなかったこの出来事は、小林先生の「人形」を読んだあと、心によみがえり、かすかな波紋を起こしてきたのだった。
講座にて、池田塾頭は「『人形』を読み終えたあとはその味わいと感銘を胸にたたんで沈黙する、これが『人形』の正しい読み方です」と話された。
手にした雛はまもなく冷たくなった記憶がある。私はなぜ一言も発しなかったのだろう。言葉を交わさないうちに、死にゆく命を真ん中にしてなにかを了解しあっていたのだろうか。
そしてまた、塾頭は、「小林秀雄に学ぶ塾の『小林秀雄と人生を読む集い』である以上、私たちは『人形』からも私たちの人生を読む努力をしなければなりません。では、どういう努力をするか、ですが、その努力は、この『人形』の味わいと感銘はどこから来ているか、どういうふうにしてもたらされているかに思いをひそめる、ここに尽きると思います」と話された。
「人形」の講座には「常識」という言葉が盛り込まれていた。人には、言葉に依らなくても思いを伝えあう力がそなわっているのだと、学んだ。
池田雅延塾頭が語られる小林秀雄先生の言葉は、いつも臨場感をもって聴こえてくる。このたびの講座では小林先生と思い出を語り合えたかのような喜びがあった。
久保田 美穂 <感想> 「人 形」
目次