青山 純久 <感想> 「人 形」

●青山 純久
 令和五年(二〇二三)八月十七日
<小林秀雄と人生を読む夕べ>
「人 形」(「小林秀雄全作品」第24集所収)

 しばらくぶりで池田塾頭のご講義を拝聴いたしました。今回も読み解かれる内容の深さに感嘆するとともに、丁寧なご解説により、もつれそうになる糸が解きほぐされ、いかに生きるか、というテーマにふさわしく、深く凝縮されたひとときとなったことを感謝申し上げます。
「人形」の作品自体の構造は非常に簡潔で、かつ静かな感銘を与えてくれますが、重層的に配置された言葉の意味を辿ろうとする瞬間に、ある種の複雑さの中に引き込まれるような気持ちになります。おそらく読み手である私の整理しきれない思いが作品に投影され、引き起こされたものといえます。
 この作品は、池田塾頭がご指摘になったとおり、単に物事の事実経過が書かれた随筆ではないことは明らかで、読者にいかに深く伝えるかを考えられる中で書かれた小説、とも読めると感じます。そこで、思い浮かぶのは「感想」(同別巻1・2所収)冒頭の有名な文章です。摘記てっきすることで意味が通らなくなることを承知の上で以下引用いたします。
  「私は事実を少しも正確には書いていないのである」
  「以上が私の童話だが、この童話は、ありのままの事実に基いていて、曲筆はないのである」
  「妙な気持になったのは後の事だ。妙な気持は、事実の徒らな反省によって生じたのであって、事実の直接な経験から発したのではない」
  「寝ぼけないでよく観察してみ給え。童話が日常の実生活に直結しているのは、人生の常態ではないか。何も彼もが、よくよく考えれば不思議なのに、何かを特別に不思議がる理由はないであろう」
 おっかさんという蛍が飛んでいた、というところで、小林先生の体験はご自身にとって抜き差しならない真実になっています。言い方が適当ではないと思いますが、容易に説明できないほどの現実が、真実でなければならないほどに当り前な体験としてあったわけです。
 ここには、「客観的事実」等という、人々を安易に納得させるような便利なものさしはありません。まさに「そら言のまこと」として読んでいくことでしか到達できないまことの頂があります。
  「人にかたりたりとて、我にも人にも、何の益もなく、心のうちに、こめたりとて、何のあしき事もあるまじけれ共、これはめづらしと思ひ、是はおそろしと思ひ、かなしと思ひ、おかしと思ひ、うれしと思ふ事は、心に計思ふては、やみがたき物にて、必人々にかたり、きかせまほしき物也」、「その心のうごくが、すなはち、物の哀をしるといふ物なり、されば此物語、物の哀をしるより外なし」(同27「本居宣長」p.145)
 いわゆる「事実」というものが人間の意識にとってどんなに頼りないものか。それは物事の表面を削り取っているだけで、少しもそれを生きたことになっていないことが多いことからも分かります。老婦人の真実とは、手に抱えた古い人形が「今も生きている息子」であることが誰の目にも明らかです。後段に出てくる通り、老婦人の挙措の中にはおそらく正気であるかもしれない気配があったのではないかと思われます。そういうことを抜きにして、見た目の事実を言ってみても、それこそが我々の妄想と化してしまうのではと感じます。
 老婦人が抱く人形を描く小林先生の筆致は、受けた印象そのままに容赦なく描写されています。
  「着附の方は未だ新しかったが、顔の方は、もうすっかりあかみてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色もせていた。何かの拍子に、人形は帽子を落し、これも薄汚くなった丸坊主を出した」
 しかし、次の展開において、そのやりとりの中には健全な、おそらくは何も疑問を差し挟む余地がないほどの私たちが日常生活の中で親しんだやりとりが登場します。そのような人形を抱いている老婦人が奇異に見えるとの印象はどこにも書かれていない。ここに小林先生がその場面に立ち会われた時の礼節と微細なこころの動きが行間に滲みでているように思えます。
  「私の目が会うと、ちょっと会釈えしゃくして、車窓のくぎに掛けたが、それは、子供連れで失礼とでも言いたげなこなしであった」
  「バタを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が附かない。『これは恐縮』と夫が代りに礼を言った」
 そこに、夢から覚めるように一人の若い女性が現れて、沈黙の内にこの場の一切の事情を了解し承認します。この女性は夢幻能に出てくるワキの僧侶のような存在となっていて、彼女の存在によって、その場の情景を読む者にとって、夢と昼の意識との間に架け橋が与えられます。
  「私は、彼女が、私の心持まで見てしまったとさえ思った」
 小林先生はなぜここまで書かれたのか。「さえ思った」という言葉に想いをたくされたのではないか。若い女性によって場面は一挙に転換し、その場の人形を含めた4人の情景は、読み手を引き入れて現実感を伴った出来事として静かに定着していきます。
  「もしかしたら、彼女は、全く正気なのかも知れない」
 最後の小林先生のこの言葉には、戦争で亡くなられた人々への、生き残った者からの深い想いが表れていると私には思えます。戦争が大きな意味を持っていた時代背景も見なければなりません。池田塾頭が傷痍軍人のお話をされた意味も其処にあると思います。
  「これまでになるのには、周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか」
 ここで、小林先生はこれまでの視点を逆転させているように私には感じられました。この場を見ているのは、悲しみの涙も尽きた果てた老婦人の目から見える戦後の日常なのだということに私は気づかされました。
 事実はどうなのか、と推理する態度について、現代人に特有の、証明があれば「信じる」という科学的な心理が、いかにその人の体験的事実から、その人自身を遠ざけているかということを、この作品は暗示しているように感じます。
 体験した事実をどうすれば人生の中で深めることが出来るのか。さらに言えば、傍観者ではなく、自分自身がそれを生き、ものごと自体が発する意味をいかに感じ、自ら信じることが出来るのか。
  「此物がたりをよむは、紫式部にあひて、まのあたり、かの人の思へる心ばえを語るを、くはしく聞くにひとし」(同27「本居宣長」p.138)
 この短い作品を通じて、今回も様々に考える機会をいただいた池田塾頭に重ねて感謝申し上げます。小林先生が今其処で語られているようにご解説くださったお陰と感じております。

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