千頭 敏史 <感想> 『萬葉』秀歌百首

●千頭 敏史
 令和五年(二〇二三)八月二十四日
 <新潮日本古典集成で読む『萬葉』秀歌百首>
逢坂あふさかを うちでて見れば 近江の海
  白木しらゆ綿花ふばなに 波立ちわたる
    (作者未詳/巻第十三 3238番歌)
きしまの 大和の国に 人ふたり 
  ありとし思はば 何か嘆かむ
    (作者未詳/巻第十三 3249番歌)

 令和五年八月二十四日には「『萬葉』秀歌百首」のご講義を賜り有難うございました。
 今回の鑑賞歌の3238番歌は、3236番歌から続く三首一体のうちの一首ですが、3236番歌の長歌に対して、3237番歌は題詞に「或本の歌に曰はく」とあり、3236番歌の異伝の形をとっています。この二首について池田塾頭は、歌そのものの魅力を感じ取るのに絶好の作例とされ、両歌を比較鑑賞してみるよう勧められました。
 3237番歌は3236番歌に比して、五七調にほぼ統一される等、音のリズムが良いと、講座の参加者から感想が述べられ、これを受けて池田塾頭は、萬葉歌の鑑賞には朗詠した時の音の響きも大切なのですと応じられました。

 3237番歌について、新潮日本古典集成『萬葉集 四』の頭注には、「娘子をとめらに」と「我妹子わぎもこに」がそれぞれ「逢う」の音を響かせた「逢坂山」と「近江の海」の枕詞であり、「結句の『妹が目をり』と響き合う」と記され、また、伊藤博先生の『萬葉集釋註 七』の釋文には、「長歌は、『逢坂山』『近江の海』の地名に家郷(都)の妻を連想しており、そのことが結びの『くれくれとひとりぞ我が来る 妹が目を欲り』を生かしている」とあります。道行きと並行して、都に残した妻を思慕する心が、「娘子」、「我妹子」から結句の「妹」に収斂されていくように感じられます。
 今回の鑑賞歌3238番歌は、「故郷に思いを馳せる長歌に対し、対象を旅先の景の讃美に絞っている」のですが、3237番歌の反歌として歌の順に読みますと、景に絞った歌の背後に、伊藤先生の言われる「現地讃美と家郷思慕との双方があいつ」響きを湛えているように感じられます。

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