千頭 敏史 <感想> 「花 見」

千頭 敏史
 令和五年(二〇二三)九月二十一日
<小林秀雄と人生を読む夕べ>
「花 見」
(「小林秀雄全作品」第25集所収)

 六十二歳の小林先生は、講演旅行で見に行かれた弘前城の夜桜が見事で、「花の雲が、北国の夜気に乗って、来襲する」と表現され、「花やかえりて我を見るらん」という頼政の歌に託して、「この年頃になると、花を見て、花に見られている感が深い」と、ご自身の気持ちを「花見」で述べられます。
 この弘前城の桜を契機として、小林先生が桜の名木行脚を二十年間続けられたと池田塾頭は話され、毎年の桜の花見の足跡を全て辿って下さいました。
 小林先生は桜の見頃は満開ではなく、花の勢いが最も盛んな七分咲きであるとされ、桜を最も愛し、桜を見る知恵に秀でていた江戸時代の先人の桜の見方を体現されていたとも語ってくださいました。
 その七分咲きの桜と出会うために、桜の開花時期に合わせて早くから仕事も調整して、毎日のように現地に電話で連絡を取り、桜の見頃に出会えるよう周到に備えられた、昭和54年は盛岡の石割桜と決められ万全の準備で行かれたが、当日の桜はまだ二分咲きで見頃を逃された、その際、小林先生は大変残念がられたが、見頃に会えるのは数年に一度位のもので仕方がない、それだけ、見頃の桜に出会えるのは貴重な経験であると言われた。この話しを伺って小林先生の「柔らかい心」に触れたように感じました。その心は、桜に対する敬意を、さらにその根底には、山人が山に感じるような自然に対する畏敬の念に通じているように思われます。昭和56年に再訪して石割桜の見頃に出会えた際には、宿での休憩をとりながら、七回も見に行かれたとお聞きしたのが特に印象深く、小林先生の桜を見る姿勢を教えられました。見るべきものをしっかりと見る、己の視覚の限りを尽くして見る眼というものは、自身の五感で対象に直に向われる、小林先生の批評家魂に一貫しているのが感じられます。

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