●千頭 敏史
令和五年(二〇二三)九月二十八日
<新潮日本古典集成で読む『萬葉』秀歌百首>
伎倍人の まだら衾に 綿さはだ
入りなましもの 妹が小床に
(東歌/巻第十四 3354番歌)
足柄の 箱根の山に 粟蒔きて
実とはなれるを 粟無くもあやし
(東歌/巻第十四 3364番歌)
令和五年九月二十八日には、「『萬葉』秀歌百首」のご講義を賜り有難うございました。
巻第十四は「東歌」を総題としていますが、「東歌」という部立の成立には、律令制の国家整備に大きな関わりがあると説き起こされました。東国は律令制の国家統治の直轄地として重要政策の対象地であり、その国の人の心を知る必要がある、そのために東国の歌が蒐集編纂され、「萬葉集」の一つの巻を為すに至った過程を示され、人の心を知るという、歌のもつ意義を改めて知ることができました。
伊藤博先生は、新潮日本古典集成「萬葉集 四」の解説「巻十三~巻十六の生いたち」の「巻十四が成り立つまで」のなかで、「東国人の心を都人に知らせる」という見出しのもとに、「国魂(国ぶり)の象徴である歌を東国人に奉献させる習慣は、古くからあったことであろう」、「東歌の蒐集と編纂の目的は、大和風に対するひなぶり、つまり東国人の心を、歌を通して都人に知らせようとした点にあったと見るべきである」と記されていますが、東歌を初めて鑑賞する私にもよく理解でき、今まで鑑賞してきた(私は巻第四からの参加ですが)巻第十三までの都人の歌とは異なり、いわば素朴に過ぎるといった趣が感じられるのにも納得がいきました、
また、「大和風に対して東国風が据えられたことは、萬葉集が完結に向って急ぎはじめたことを意味する」とも言われ、「萬葉集」全体を視野に入れて東歌というものに注目するように誘われます。
「あづま」はまた、熊曾征伐の後、休む間もなく東国征伐を命ぜられた倭建命の叫び、「あづまはや」が地名の基になっていると指摘され、「あづま」には政治的な意味の他に人間ドラマとしての思い入れも重ね合わされていると伺ったのが印象に刻まれました。
千頭 敏史 <感想> 『萬葉』秀歌百首
目次