金森 いず美 <感想> 第三十二章 「述ベテ作ラズ、信ジテ古ヲ好ム」

金森 いず美
 令和五年(二〇二三)十一月二日
 <小林秀雄「本居宣長」を読む>
 第三十二章 「述ベテ作ラズ、信ジテ古ヲ好ム」

「小林秀雄『本居宣長』を読む」は第三十二章後半に入りました。小林先生は、宣長の学問に、徂徠の学問が息づいていることを示され、「もう暫く徂徠に附合って欲しい」と前置きして、徂徠の思索の軌跡を辿られます。

「宇ハナホ宙ノゴトク、宙ハナホ宇ノゴトシ。故ニ今言ヲ以テ古言ヲ、古言ヲ以テ今言ヲレバ、ヒトシク之レシュゲキゼツナルカナ。クワバイト何ゾエラバン。世ハ言ヲ載セテ以テウツリ、言ハ道ヲ載セテ以テ遷ル。道ノ明ラカナラザルハ、職トシテ之ニ是レル」(「学則」二)(『小林秀雄全作品』第28集「本居宣長」p.15、16

「学則」二に記された徂徠の文章は、「言葉の変遷」の内側へ入っていく徂徠の奮闘が表れ、ひと塊りのずっしりとした重みをもって私の胸に残ります。「世は言を載せて遷る」歴史の流れを敏感に感じ取らなければ、古聖人の遺した「道」という言葉を、古言そのままの姿で受け取ることは出来ない。言葉と一体である歴史の流れを肌で感じるには、己はどうあるべきか。「歴史と言語とは不離のものであるという、大きな問題」に独り向かう徂徠に、小林先生はぴったりと寄り添い、このように語られます。
 言葉の変遷という小さな事実を、見詰めているうちに、そこから歴史と言語とは不離のものであるという、大きな問題が生じ、これが育って、遂に古文辞学という形で、はっきりした応答を迫られ、徂徠は、五十を過ぎて、病中、意を決して、「弁道」を書いた。書いてみると、この問題に関して、彼は、言わば、説いても説いても説き切れぬ思いをしたのであるが、その姿が、其処によく現れているのである。(同p.16)

 古聖人の遺した「道」を受け取りたいという強い思いは、徂徠の思惟をさらなる段階へと導いていきました。「道」を知ることの難しさ、そのことを謙虚に受け止めれば、「理」を貴び、「道即ち理である」という宗儒の主張は、未だ「理」に滞っていると言わざるを得ない。「理」の荒さを埋め、「理」を乗り越える、「思惟」という実が、己のうちになくては、「道」という実に到達することは出来ない。徂徠は、思って思って思い抜いた、その実を、「之ヲ思ヒ之ヲ思ヒ、之ヲ思ツテ通ゼズンバ、鬼神将ニ之ヲ通ゼントス」(「弁名」下) と表しました。小林先生は、徂徠のこの言葉を受け取って、このように記されます。
 この、言わば、歴史的思惟の透徹するところ、古言を載せた古事の姿が、いよいよ鮮やかに、心眼に映じて来るのは必至である、と徂徠は信じた。(同p.18)

 ご講義で、池田塾頭は、「古事記伝」で宣長が註釈した倭建命の物語を取り上げられ、「宣長は倭建命の身になって註釈を書いている。当事者の内面を思って思って思う努力をし、思って思って思った心の中が註釈の文章に表れている」とお話しされました。
 宣長の学問に息づく徂徠の学問は、この「思惟」という実、そして、それを文章で表すことなのだと気づかされました。「思う」という心の働かせ方が、文章から文章へと受け継がれていきます。「思う」ということでしか感情を汲むことはできない。「思う」ということでしか、歴史を知ることはできない。孔子に学んだ徂徠の、思いに思い抜いた、「学問は歴史に極まり候事ニ候」という言葉が、ずっしりと私の心を覆います。「この第三十二章は、小林先生の仰りたいことが、最も豊富な章です」と池田塾頭がお話しされた、そのお言葉の通り、読むごとにさらなる問いが心に浮かび、歩をなかなか前へ進めることが出来ませんが、引き続き第三十二章に身交い、自問を重ねて、次回のご講義に臨みたいと思っています。

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