●冨部 久
令和五年(二〇二三)十二月二十一日
<小林秀雄と人生を読む夕べ>
「美を求める心」
(「小林秀雄全作品」第21集所収)
「『集中力』と『持続力』」
「美を求める心」については、これまでにも二度、講義を受けさせてもらっていましたが、中でも硬貨に描かれた絵を用いた実践講義においては、何気なく見ていた硬貨の絵が、じっくり見ると実に繊細で、様々な示唆に富んだものであることをまざまざと感じ、それこそ目が洗われる思いがしたものでした。そして、今回はまた別の視点から、「美」というものを深く掘り下げた話を頂きました。即ち、「美」と言えば芸術、という固定観念にとらわれた人が多いが、そうではなく、小林先生にあっては、「美」とは「人生」と置き換えてもよいほどの言葉なのだということでした。そして、真・善・美という言葉を取り上げられ、真なるものは、偽なるものと比べると美しい、また、善なるものも美しい、ということで、美という観念の豊かな拡がりを教えて頂きました。こうした実に深い教えが、昭和32年に新潮社から刊行された小・中学生向けの「日本少国民文庫」の中に、小林先生の編集で収められているということにも大変な驚きがありました。
後半は「集中力」と「持続力」に関するお話でしたが、小林先生曰く、「人間の頭の良し悪しは、この二つの力が具わっているかどうかだ」ということで、具体的には若き日に創元社という出版社で小林先生の部下となり、後には時代小説の大家となった、隆慶一郎氏が、創元社の編集者時代、小林先生に「お前は頭が悪い!」と言ってこっぴどくどやされたという、ある意味、凄まじいエピソードを交えて教えて頂きました。その内容についてはWEBマガジン『考える人』の中の「随筆 小林秀雄」第二十五回において、池田塾頭が詳しく書かれているのでここでは割愛させて頂きますが、今回の講義を拝聴して感じたことは、昨年の『好*信*楽』の秋号で、小林先生の一貫性ということについて、書かせて頂きましたが、一貫性という言葉では不十分だ、むしろ小林先生の「集中力」と「持続力」と書くべきであった、つまり一貫性というのは表象であり、その内部には「集中力」と「持続力」があったのだということです。
また、「持続力」についてはベルグソンの思想とも関係性があるということで、『身交ふ』の最新の「事務局ごよみ」において、有馬雄祐さんが書かれた文章が参考になるというお話があり、さっそく読んでみたところ、「持続力」が、「小林秀雄に学ぶ塾」において毎月塾生が発表する「自問自答」力を養うことにも繋がるという発見も得ることが出来ました。さらに、少し前に豊島区にある「鈴木信太郎記念館」に行ったところ、小林先生が大学時代に書いたマラルメ論のコピーが展示されていて、その解説にはベルグソンの著作をこの論文の参考にしたとの記述がありました。これによって、ベルグソンについては、小林先生は大学生の頃から読んでいらっしゃったということが確認でき、後年、ベルグソン論の「感想」を執筆されるまで、自ら「集中力」と「持続力」をもってして、ベルグソンと向き合い続けられたということに深い感銘を覚えました。
最後に、このベルグソン論「感想」は失敗した、単行本にはしないでくれ、全集などにも入れないでくれと小林先生から直接言われた池田塾頭が、先生亡き後、熟慮に熟慮を重ねて最終的には第五次の「小林秀雄全集」と、第六次の「小林秀雄全集」である「小林秀雄全作品」にそれぞれ別巻として収められたいきさつについて、この日の講義時間をかなりオーバーしていたにもかかわらず、熱を込めて詳しく語って下さいました。こうして今回の池田塾頭のお話は、どれもが私にとって大変心に残るものとなりました。ここで改めてお礼を申し上げたいと思います。
冨部 久 <感想> 「美を求める心」「『集中力』と『持続力』」
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