金森 いず美 <感想> 「ランボオ詩集」

●金森 いず美
 令和六年(二〇二四)二月十五日
 <小林秀雄と人生を読む夕べ>
 第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
 第五峰「ランボオ詩集」
  (「小林秀雄全作品」第2集所収)
 第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
  「詩について、詩人について」

 二月の「小林秀雄山脈縦走」では、「ランボオ詩集」が取り上げられました。
 数え年で二十三歳の春、ランボオの詩集「地獄の季節」と出会い、烈しく魂を掴まれた小林先生は、この不意の「事件」の余勢を駆って満二十八歳の秋、「地獄の季節」の翻訳を白水社から刊行されましたが、満四十六歳の秋にはその後の改訳・新訳を採り入れて『ランボオ詩集』を創元社から刊行され、その後もさらに改訳、新訳を続けて昭和四十七年、満七十歳の秋、東京創元社から『ランボオ詩集』を出して定本とされました。今回のご講義のテキストはその創元社版の定本ですが、白水社刊の『地獄の季節』に収録された「ランボオⅡ」では、ランボオと重ねた親密な対話が克明に振り返られ、満四十五歳になられる年の春の「ランボオⅢ」ではランボオとの深い親交を、丁寧に、愛情を込めて綴られました。池田塾頭が私たちに向けて音読される「ランボオⅢ」の原文からは、五十年にもわたって消えることのなかった小林先生の感動がこちらへ向かってくるように、そして、ランボオへの親愛が湧き上がってくるようにも感じられました。

 また今回のご講義のなかで、「ランボオの詩を素読してみてはいかがでしょうか」と池田塾頭がご提案されました。このお言葉に背中を押され、ご講義の翌日、「地獄の季節」を、まずは一人、声に出して読んでみることにしました。詩人の作り出す言葉の連なりを、自分がひとつの楽器となって音にしてみます。耳と心で自分の声を感じながら、私の音が、ランボオの音にぴたりと重なる時、詩人の言葉の生き生きとした感触が、私の身体の中にふうっと現れます。声に出して読むことで得られたこの感触、これこそが、池田塾頭がお話された、「詩は読者と共同で完成品を作っていくのだ」という小林先生のお言葉に直に繋がっているのではないかと感じました。

 池田塾頭が今回のご講義で読んでくださった本文のなかで、大変心に残った一文があります。
 然し、彼自身が否定しようがしまいが、彼の「言葉の錬金術」からは、正銘の金が得られた。その昔、未だ海や山や草や木に、めいめいの精霊が棲んでいた時、恐らく彼等の動きに則って、古代人達は、美しい強い呪文を製作したであろうが、ランボオの言葉は、彼等の言葉の色彩や重量にまで到達し、若し見ようと努めさえするならば、僕等の世界の到る処に、原始性が持続している様を示す。僕等は、僕等の社会組織という文明の建築が、原始性という大海に浸っている様を見る。「古代の戯れの厳密な観察者」――厳密なというマラルメ的意味を思いみるがよい。(『小林秀雄全作品』第15集「ランボオⅢ」p.139)

「僕が書いているのは散文ではない、僕は詩を書いているんだ」という、池田塾頭から聞かせていただいた小林先生の言葉を思い出しながら、小林先生の作り出される音を、ゆっくり声に出して読んでいきます。だんだんと、深く微妙な色合いを帯びた音の響きが、私のうちに重なり、滲むように広がっていきます。この文章のなかには、小林先生が生きていらっしゃって、仕草や息遣いまでも思い出すことができる、そのような、ここぞという一文を、池田塾頭が選び出してくださっているのだと気付かされました。小林先生は、読者から寄せられる感想文にはお葉書で必ずご返事を書かれ、そのご返事には読者の誰に対しても、「お手紙ありがとう、君のように読んでくれればよいのです、ご健闘を祈る」とお書きになったそうですが、こうして読者へのご返事で言われていることこそは、「詩は読者と共同で完成品を作っていくのだ」という小林先生のお言葉に直に繋がっています。私も小林先生からそう言っていただけるように、これからも受講を重ねて、一つひとつの作品としっかり身交っていきたいと思います。

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