福井 勝也 <感想> 「正宗白鳥」 「想像力」という言葉

●福井 勝也
 令和六年(二〇二四)三月二十一日
 <小林秀雄と人生を読む夕べ>
 第一部 小林秀雄山脈縦走
  「正宗白鳥」(「小林秀雄全作品」第3集所収)
 第二部 小林秀雄 生き方のしるし
  「想像力」という言葉

 小林秀雄氏にとって、作家正宗白鳥の存在の大きさを改めて認識させられた講義であった。併せて、当方気が付いたことがあったので指摘させていただきたい。小林氏がこの「正宗白鳥」を発表(昭和7年1月) し、白鳥氏の作家的本質を「傍若無人のリアリズム」と形容した同じ意味の言葉を、この時期書き始めたばかりの作品論「『未成年』の独創性について」(昭和8年2月)において小林氏がドストエフスキーにも使用していたことである(「小林秀雄全作品」第4集 p.248)。このことは無論、白鳥氏がドストエフスキーと同質の作家であったと言い切ることにはならない。しかし、小林氏がドストエフスキーを語る際に常にこだわった「そのリアリズム」の特質を正宗氏の問題としても論じていたことになるのではないか。
 そして、このことは今回講義後半の「想像(力)」と「空想」の区別の問題にも通じてこよう。それは小林氏の「ドストエフスキイの生活」(昭和14年 )という作家論自体が、氏渾身の「想像力」を振り絞った独自の作品であり、それは元々が白鳥の、そしてドストエフスキーの「傍若無人のリアリズム」=「徹底したリアリズム」への着眼慧眼によるものであったと考えられるからである。

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