金森 いず美 <感想> 「正宗白鳥」

●金森 いず美
 令和六年(二〇二四)三月二十一日
 <小林秀雄と人生を読む夕べ>
 第一部 小林秀雄山脈縦走
  「正宗白鳥」(「小林秀雄全作品」第3集所収)

 三月の「小林秀雄と人生を読む夕べ」では、「正宗白鳥」が取り上げられました。私の住むところは白鳥先生の生家跡にほど近く、白鳥先生が眺めていらっしゃったであろう同じ故郷の景色が、私のなかにもあるように感じ、親しみをもって白鳥先生の作品に接してきました。今回、講座のご案内をいただいてからは、いつも以上に待ち遠しく、指折り数えてご講義の日を迎えました。

 昭和七年に発表された「正宗白鳥」で、小林先生は、自然主義作家と評され文壇の最高峰に立つ白鳥先生の、近作に現れた「重要な変化」に目を向けられ、このように述べられます。「氏の強烈な主観」が「客観的描写への努力」に征服され、その「誤差」が深まるにつれ、作品に、氏の「強い個性」が表出している。それは、「一と口に言えば一種傍若無人のリアリズム、奇妙ななげやりである」。二十九歳の小林先生が見抜かれたその強烈な個性は、小林先生の批評家人生に深い影響を与え、その後の「思想と実生活」をめぐっての激しい論争、昭和二十三年の対談を経て、正宗白鳥は、小林先生が生涯にわたって尊敬し、生き方の手本とされた作家であったと、池田塾頭のお話によって知ることができました。

 さらに、ご講義では、小林先生最後の講演となった、正宗白鳥生誕百年記念の岡山市民会館での講演について、池田塾頭が講演当日の様子をお話しくださいました。小林先生は、当日、鎌倉から携えて来られた「正宗白鳥全集」を壇上で開かれ、「花より団子」という作品を楽しそうに、声に出して読まれたそうです。そのお話を聞いているうち、私の心にふと、小林先生の「ネヴァ河」の冒頭の文章が浮かび、小林先生にお会いしたいな、白鳥先生にお会いしたいな、という思いで胸が一杯になりました。小林先生は「ネヴァ河」でこう言われています、――ある時、正宗白鳥氏と雑談していた。なくなる数ヶ月前のことだったと思う。何かのことでロシヤ旅行の話になったが、正宗さんは、話の中途で、ふと横を向き、遠くの方を見るような目になって、「ネヴァ河はいいな、ネヴァ河はいいな」と独語するように言った。無論、正宗さんの心中は知るよしもなかったのだが、どうしてだか、私は、勝手に、ああ、この人はラスコオリニコフのことを考えているのだ、と感じた。そして、その時の正宗さんの、ふいに現代社会が眼前から消え去ったような表情から、妙に心に残る印象を受けた。……

 ご講義のあとの日曜日、記念碑が建つ、白鳥先生の生家跡を訪ねました。桜の木を見上げると、まだ固い蕾がもうすぐ咲きそうに上を向いています。「己れの天分を見極めるという道を行く」白鳥先生の背中を、見つめて見つめて見つめ続けて、遂に小林先生は「己れの天分を見極める」に至り、「本居宣長」という大業を成し遂げられたのではないだろうか。家に帰ったら、小林先生最後の作品「正宗白鳥の作について」を開き、しっかりとこのことについて思いを廻らせてみよう……。「西風の凪いだ後の 入江は鏡のようで 漁船や肥舟は 眠りを促すような 艪の音を立てた」──碑に刻まれた「入江のほとり」の一節を目に焼き付けて、家路を急ぎました。

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