事務局ごよみ(21)
初物に身交ふ
坂口 慶樹
六月、鮎釣りが各地で解禁された。池田雅延塾頭によれば、小林秀雄先生は毎年、この日を待ちかねたように京都嵯峨にある鮎料理の老舗「平野屋」へ走られたそうである(「随筆 小林秀雄 十八 平野屋の鮎」、webマガジン『考える人』新潮社)。
先生は、鮎のなかでも、解禁直後の三寸五分から四寸(十センチ強)といった大きさの稚鮎がお好みだった。美食家としても著名な北大路魯山人(ろさんじん)が「京都あたりで言えば、まず六月中と言えよう。長さでなら五、六寸のがよいようである」と言っていることから(「鮎を喰う」、『魯山人味道』中公文庫)、先生は、親交のあった魯山人から勧められたのかも知れないが、毎年この時季を心底心待ちにしていた様子からは、先生なりの譲れない確信があったのであろう。
そして、初夏が過ぎ本格的な夏が近づくと、小林先生にはもう一つの愉しみが待っていた。「しんこ」(新子)である。「しんこ」とは、主に関東では鮗の幼魚のことで、五~八センチほどの魚体をいう。これが十センチほどになると「こはだ」(小鰭)、十六センチ以上になると「このしろ」というように、名前も変わっていく。
「しんこ」の水揚げの期間は極めて限られている。しかも、とある寿司屋の大将に伺ってみたところ、関東近辺では、浜名湖沖から駿河湾、そして東京湾へと漁場も移っていく。魚体がとても小さいので、五枚ほどを斜めに乗せて、やっと一貫になる。その見栄えもさることながら、香魚と呼ばれる鮎とはまた違った、幼体ならではの触感とくせのない風味は、筆舌に尽くしがたい、きわめて微妙なものである。
ところで、私は郷里の熊本に帰省すると、ほぼ毎回立ち寄る焼き鳥屋がある。焼き鳥屋とはいえ、懐かしい熊本弁できさくに話ができる店主が炭火で焼いてくれる食材は、鶏肉だけではない。地元産を中心とする、初物や旬の野菜もまたメインディッシュなのだ。例えば、今年の初春から初夏を振り返ってみると、二月にはそら豆を、三月には筍を、そして五月にはオクラを焼いてくれた。店主は、生産者の顔が見えることにもこだわっていて、これはと思う生産者がいると、逆提案するかたちで野菜を栽培してもらうこともあるほどだ。例えば五月のオクラは奄美大島産であった。塩を振って焼いただけだが、いや、だからこそ、噛んだ瞬間、さわやかな香気が口中に広がった。実と種は柔らかく噛め、香気と相まって深みを増した風味が体中を巡る。店主によると、その香気は初物ならではのものだし、時季が進むにつれて徐々に実が筋張って固くなるそうである。
一方、春に小林先生が愛したものと言えば、言うまでもなく桜、わけても山桜に八重と枝垂れであった。池田塾頭によれば、単に「愛した」、というに留まらず、「物狂おしいまでの愛着」があった(「小林秀雄『本居宣長』を読む(四)第一章 追 桜との契り」、私塾レコダ l’ecoda website『身交ふ』)。その背景には、長年向き合ってきた本居宣長もまた、桜と深く契っていたということもあったのだろう。のみならず、その愛着は、花期にも大きなこだわりがあった。先生の言葉に耳を傾けてみよう。
「花にも見頃というものがある、そういうことを知っている人も少なくなった、花の見頃は七分咲きだ、満開となるともうその年の盛りは過ぎている、花に最も勢いのある時機、それが七分咲きだ、昔の人は皆それを知っていた……」。
七分咲きの花にこそ宿っている「勢い」を、昔の人たちは直知していたというのである。先生は、満開の盛りにある桜を見るために全国各地の名木を巡っていたのではなかった、先生自身が持ち続けていた「昔の人の心持ち」で、全国各地の「桜の名木の七分咲き」に会いに行っていたのである。
そんな先生の言葉を聴くと、稚鮎、しんこ、そして七分咲きの桜が持っているものには、通底するものがあるように思う。しかし、その通底するものを、ここで克明に記そうとは思わない。そうしてしまえば、頭で考えた言葉が先走り、その魅力は半減してしまうだろう。それこそ筆舌に尽くしがたい、微妙な気味合いのものなのだ。
だから私は、次回の帰省時にも、くだんの焼き鳥屋の暖簾をくぐり、小林先生ならどのように感じられたのだろうかと思いを巡らしながら、豊後白炭でていねいに焼かれた食材たちに身交う、その瞬間が、今から愉しみでならない。それは、仲間と力を合わせて近くで獲ったばかりの食材が、囲炉裏でこんがりと焼き上がる時間を待つ、そういう昔の人たちの心持ちと時間を追体験することでもあるからだ。
そんなことを思っていたところ、今年は、琵琶湖の鮎が記録的な不漁だというニュースが飛び込んできた。昨年の猛暑の影響で産卵が少なくなったことが原因の一つだそうである。昔の人たちの心持ちに推参するにも、気にすべきことが急増しているように感じる昨今である。
(了)