福井 勝也 <感想> 「菊池寛論」

●福井 勝也
 令和六年(二〇二四)五月十六日
 <小林秀雄と人生を読む夕べ>
 第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
 第十三峰「菊池寛論」
 (「小林秀雄全作品」第9集所収)

 四月期の本欄「交差点」に初めて投稿させて頂いた。
 三月の講座「正宗白鳥」でテーマとなった「傍若無人のリアリズム」という言葉に、何かピンと来るものを感じたためであった。小林秀雄氏が生涯愛読した作家と言えばドストエフスキーだと思うが、小林氏はその作品論の初めから、ドストエフスキー文学の独特な「リアリズム」に注目し、特別な「リアリスト」作家であることを説いてきた。そのことが頭にあったからかもしれない。小林氏のドストエフスキー論に導かれながら、自身もドストエフスキーの作品を長らく愛読してきたが、氏が説くドストエフスキーの「リアリスト」たる由縁を、この機会に改めて深めたいと思った。
 勿論、講座の対象は「正宗白鳥」であって「ドストエフスキー」ではないことは分かっていた。しかし、小林氏が正宗文学の本質を「傍若無人のリアリズム」と規定して間もなく、ドストエフスキーについても同様に、「傍若無人のリアリスト」とその初期作品論で語っていることに気が付いた。小林氏が白鳥に感じた「リアリスト」をドストエフスキーにも重ねていることは確かだと思い、本欄に投稿させて頂いた次第であった。

 事はそれで終わるかに見えた。ところが、先日(五月十六日)の「菊池寛論」の講座をお聴きし始めて、何と今回も白鳥のテーマを引き継ぐかたちで、菊池寛の「傍若無人のリアリスト」「リアリスト」が問題とされているのに気付き、俄然講義に耳を傾けることになった。池田講師からは、菊池に関する小林氏の幾つかの文章も紹介されたが、さらにレジュメの文章の「小説を書くのは芸術のためではない、生活のためだと公言する菊池寛に計り知れない人間の大きさとリアリストの真髄を見た小林先生は、終生、正宗白鳥に抱いたと同じ敬愛の念を抱き続けました、その顛末が『菊池寛』で語られます」を読み上げられた。やはり問題は、「リアリストの真髄」とは菊池寛にとって何かということだと改めて思い、併せてその背景にあるドストエフスキーについて考えたいと思った。
 池田講師の説く、菊池寛の「リアリスト」の意味は引用でも明らかだが、講座の終着点はやや意外なものであった。それは原題が「菊池寛リアリストというもの」として紹介された文章によるもので、その「菊池寛」(昭和30年、『文藝春秋』)では、菊池に出た「お化け」が話題の核になった。これが菊池に関する小林氏の最後の本格的文章らしいが、それが「リアリスト」菊池の真骨頂を語る「お化け話」であった(当日池田氏は、その長文を朗読された)。
 小林氏は、このエピソードをとにかく語りたかったのだろう。ここで、落語の最後の落ちでも聞くような、菊池寛に出たお化けの顛末を語る最後の文章(部分)を引用しておく。

「『あるのか、ないのか、なんて事、意味ないじゃないか。出ただけで沢山じゃないか』
つまり、出たら、君は何時から出ているんだ、と聞けばいい。あとは凡て空想的問題なのである。こういう人を本当のリアリストと言う。リアリストという曖昧な言葉が濫用されているが、この人は、本当にリアリストだと感ずる人は、実に実に稀れなものだと思う。」(「菊池寛」、『小林秀雄全作品21』p.108)

 おそらく小林氏にとって菊池寛とは、この「お化け」に極まった「リアリスト」なのだと思えて来た。考えてみれば、小林氏が生涯「愛読」したドストエフスキー作品の主人公たちも、その作品の極まったシーンで、その「リアリスト」振りを発揮する者たちであった。例えば、『白痴』のムイシュキン公爵が語る死刑執行寸前の時に、最後に見た周囲のこの世の光景。『罪と罰』のラスコーリニコフが金貸し老婆を殺した後に、この世から切り離されたように孤独を感じて彷徨しながら見たネヴァ河畔の幻想的景色。『悪霊』のスタヴローギンが陵辱し自死させた少女が、「幽霊」になって夢に現れて自分に迫ってくる余りにリアルな姿。
 これらの主人公を、「傍若無人のリアリスト」と言ってもよいと思わせる彼らの視力には、ベルクソンについて小林氏が語った「vision」という言葉が喚起される。小林氏は「私の人生観」のなかで、次のように語っていた。

 「ベルグソンが、知覚の拡大とか深化とかを言う場合も、殆ど同じ様な考えを抱いているのだろうと思われる(ここでは、リルケの芸術論が先行して引用されている、筆者注)。知覚を拡大してvisionを得るとは、自然が生物に望んだ社会生活の実践的有用性の制限から解放される事を意味する。さようなvisionもまた有用であるか。人間にそういうものに対する憧憬が存する限り、それは有用であろう。生物には無用だとしても。人間に知性を付与した自然がそれを予想外な事だと言うとしても。」
(「私の人生観」、『小林秀雄全作品17』p.185)

 菊池寛は、小説を書くのは芸術のためではなく、生活のためだと言う。ドストエフスキーもけっして所謂「芸術派」ではなかった。むしろロシアにおける初めての職業作家と言われ、ジャーナリズムにも手を染めて個人雑誌を発行し、若い頃には借金に追われ生活のために作品を書きまくった小説家であった。但し、小林氏の言う「傍若無人のリアリスト」「最高のリアリスト」「リアリスト」とは、そのような意味(だけ)ではなかったであろう。
むしろ、この世の中に生まれたばかりの赤ん坊のような眼、或いは死ぬ間際の末期の眼で、この世界を見る感覚(vision)を持った人を言うのだと思える。どうも菊池寛の「お化け」も、そのような感覚(vision)の人が語る言葉のように聞こえてくる。少なくとも小林氏は、そのように語っていることは確かなようだ。小林氏は、そうした「傍若無人のリアリスト」の作品を「愛読」する「リアリスト」ではなかったか。

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