小林秀雄「本居宣長」を読む(二十三)

小林秀雄「本居宣長」を読む(二十三)
第十三章
 空言のまこと
池田 雅延  
         

 前回読んだ第十三章の中ほどで、小林先生はこう言われていました。
 ――彼は、「源氏」を、「めでたき(立派な/池田注記)器物」と見た。(中略)その表現世界は、あたかも「めでたき器物」の如く、きっぱりと自立した客観物と化している。のみならず、宣長を驚かしたのは、この器物をよく見る人には、この「細工人」がその「作りやう」を語る言葉が聞えて来るという事であった。(中略)「源氏」という名物語は、その自在な表現力によって、物語の道も同時に語った。物語の道という形で、歌の道とは何かと問う宣長に、答えた。……
 こうして今回読む第十三章の詰めでは、「『源氏』という名物語は、その自在な表現力によって、物語の道も同時に語った。物語の道という形で、歌の道とは何かと問う宣長に、答えた」と言われている「物語の道」は、実のところ、「源氏物語」ではどう語られているかが読まれていきます、と言うよりも、小林先生は宣長に促されて、「源氏物語」の作者、紫式部の語りに耳を傾けます。 
 ――「蛍の巻」で、長雨に降りこめられ、所在なさに、絵物語を読むたまかずらを、源氏が訪れ、物語について話し合う。宣長は、この会話を、式部がこの物語の本意を寓したものと見て、全文についてくわしい評釈を書いている。「この段、表はたゞ何となく、源氏君と玉かづらの君との物語なれども、下の心は、式部がこの源氏物語の大綱総論也、表は、たはむれにいひなせる所も、下心したごころ(真意/池田注記、以下同)は、ことごとく意味有て、褒貶ほうへん抑揚して(事の良し悪しを言ったり、けなしたりほめたりして)、論定したるもの也、しかも、文章迫切はくせつならず、たゞ何となく、なだらかにかきなし、又一部の始めにもかゝず、終りにもかゝずして、何となき所に、ゆるやかに、大意をしらせ、さかしげに、それとはいはねど、それと聞せて、かきあらはせる事、和漢無双の妙手(名手)といふべし」(「紫文要領」巻上)。……
 ここに出る「玉鬘」は、「源氏物語」に登場する女性のひとりで、光源氏の親友、頭中将とうのちゅうじょうと夕顔との娘ですが、母夕顔を亡くして筑紫つくし(今日の九州地方)を放浪し、帰京してからは源氏にひきとられています。その玉鬘が絵物語を読んでいるのを見て源氏がからかい、源氏のからかいに玉鬘が不服を唱えたことから二人の間で物語についての談義が始まるのですが、宣長はこの場面を、作者の紫式部が源氏と玉鬘の議論に託して「源氏物語」の執筆意図を披瀝ひれきしていると読み取り、精しく評釈していると小林先生は言って、
 ――宣長の読みは深く、恐らく進歩した現代の評釈家は、深読みに過ぎると言うであろうが、宣長が古典の意味を再生させた評釈の無双の名手だった所以ゆえんは、まさに其処そこにあったとすれば、これは別の話になる。長いので、全文の引用はめるが、彼の深読みの意味合は書いて置かなければならない。……
 こう前置きして宣長とともに「源氏物語」蛍の巻の語りに聴き入ります。
 ――会話は、物語に夢中になった玉鬘をからかう源氏の言葉から始まる。「あなむつかし(ああ、困ったものだ/池田注記、以下同)、女こそ、物うるさがりせず、人にあざむかれんと(人に騙されようと)、生れたるものなれ」――そう言ってしまっては、身もふたもないが、物語には、「まこと」少く、「空ごと」(作り話)が多いとは知りながら読む読者に、「げに(なるほど)、さもあらんと(そういうこともあろうと)あわれをみせ」る物語作者の事を思えば、これは、よほど口の上手な、「空言そらごとをよくしなれたる」人であろう、いかがなものか、という源氏の言葉に、玉鬘は機嫌を損じ、「げに、いつはりなれたる人や(なるほど、日頃、嘘ばかりつき馴れている人は/池田注記、新潮日本古典集成版「源氏物語」の注による、以下同)、さまざまに、さも(そのように)くみ侍らん(邪推もしましょう)(私には)たゞ、いと、まことのこととこそ、思ひ給へられけれ」とやり返す。……
 これを踏まえて、小林先生は言います、 
 ――会話の始まりから、作者式部は、源氏と玉鬘とを通じて、己れを語っている、と宣長は解している。と言う事は、評釈を通じて、宣長は式部に乗り移って離れないと言う事だ。すると、どういう事になるか。宣長の考えによれば、式部は、物語とは、女童子めのわらわの娯楽を目当てとする俗文学であるという、当時の知識人の常識を、はっきり知っていて、これに少しも逆わなかったという事になる。もし、式部に、この娯楽の世界が、高度に自由な創造の場所と映じていたなら、何処に逆う理由があったろう、という事になる。従って、一方、玉鬘の源氏に対する抗議だが、当然、玉鬘の物語への無邪気な信頼を、式部は容認しているはずである。認めなければ、物語への入口が無くなるだろう。「まこと」か「そらごと」かと問う分別から物語に近附く道はあるまい。先ず必要なものは、分別ある心ではなく、素直な心である。宣長は、玉鬘の返答を評釈し、ここには、特に、式部の「下心」は見えないが、言ってみれば、「君子はあざむくべし」という言葉を思えという心はある、と書いている。……
「君子はあざむくべし」とは……、
 ――無論、これは「論語、雍也ようや篇」に出て来る話を指していると解してよい。或る人が、いくら仁者じんしゃ(仁徳を身につけた人/池田注記、以下同)だからと言って、井戸に落ちた者があると聞いただけで、それは大変と、飛び出して行くほどの馬鹿ではあるまい、と言ったところが、孔子は、「馬鹿を言え、だまされて、直ぐ飛び出して行く、ただ、井戸には落ちないだけの話だ」と答えた。要するに、「君子アザムキ也、フ可カラザル也」(君子は道理にかなう範囲でなら騙すこともできる、しかし、道理を超えたところで君子を騙すことはできない)と知れと孔子は言うのである。恐らく、宣長は、彼の所謂いわゆる「よき人孔子」の、この場合の発言の意を汲んでくれる人があるならば、此の物語を読むには君子たるを要する、と言っても差支えない、と考えていたであろう。少くとも玉鬘は「フ可カラザル」君子ではないが、「欺ク可キ」(道理にかなう範囲でなら騙される)君子の心は持っている。(また玉鬘は)「思ヨコシマ無シ」という詩の世界に、それとは知らず、這入っている。式部は、それをよく知っていた、と宣長は解する。……
「君子」とは、一般的には学識、人格ともに優れ、徳行のそなわった人(『大辞林』)ですが、ここでは適度に常識をそなえた人、というほどの意にとってよく、「思邪シマ無シ」は、思うことをそのまま言って、偽ったり飾ったりしない、の意で、『詩経』の「魯頌」に見え、孔子が『論語』の「為政篇」で『詩経』の詩全体の性格を最もよく表す一句として「詩三百、一言以蔽レ之、曰、思無レ邪」と言っているのですが、玉鬘はまさに、「思うことをそのまま言って、偽ったり飾ったりしない」女性として描かれ、したがって玉鬘は自分の意に染まないことは意に染まないとはっきり口にします。
 ――ところが、ここで、ひどく機嫌を損じた玉鬘の様子に、源氏は笑い出して、冗談を言う。この辺りを、宣長が式部を無双の妙手とするところだろうが、宣長は、源氏の冗談に、式部の「下心」を読む。これは、とんだ悪口を言ってしまった、物語こそ「神代より、よにある事を、しるしをきけるななり、日本紀(「日本書紀」/池田注記、以下同)などは、たゞ、かたそばぞかし(物事の一端に過ぎない)、これらにこそ、みちみちしく(道理にかなって)、くはしきことはあらめ、とてわらひ給」
 ――作者は、その自信を秘めて現さなかった。源氏君を笑わせなければ、読者の笑いを買ったであろう。「人のきゝて、さては、神世よりの事を記して、道々しく、くはしく、日本紀にもまされる物のやうに思ひて、作れるかと、あざけられん事を、くみはかりて、その難を、のがれん為に、かくいへる也」と宣長は言う。……
 ――騙されて、玉鬘が、物語を「まこと」と信ずる、その「まこと」は、道学者や生活人の「まこと」と「そらごと」との区別を超えたものだ。それは宣長が、「そら言ながら、そら言にあらず」と言う、「物語」に固有な「まこと」である。此の物語は、「世にふる人の有様」につき、作者の見聞を記したものだが、宣長の解によれば、作者が実際に見聞した事か、見聞したと想像した事かは問題ではない。ただ、源氏君に言わせれば、「みるにもあかず、聞にもあまること」と思った、作者の心の動きを現わす。作者は、この思いが、「心にこめがたくて、いひをきはじめたる也」と。宣長の註によれば、「人にかたりたりとて、我にも人にも、何の益もなく、心のうちに、こめたりとて、何のあしき事もあるまじけれども、これはめづらしと思ひ、是はおそろしと思ひ、かなしと思ひ、おかしと思ひ、うれしと思ふ事は、心にばかり思ふては、やみがたき物にて、かならず人々にかたり、きかせまほしき物也」、「その心のうごくが、すなはち、物の哀をしるといふ物なり、されば此物語、物の哀をしるより外なし」。……
 第十三章は、こうして宣長の、言わば「物語の源泉論」をしかと引き、
 ――だが、先を急ぐまい。……
 と、小林先生の含みに富んだ一言で閉じられています。

(第二十三回 了)