小林秀雄「本居宣長」を読む(二十五)

小林秀雄「本居宣長」を読む(二十五)
第十四章
 もののあはれを知るという「道」
池田 雅延  
         

 小林先生は、第十四章の中ほどで、 
 ――さて、この辺りで、「物のあはれ」という言葉の意味合についての、宣長の細かい分析に這入った方がよかろうと思う。……
 と言って、次のように続けます。
 ――「あはれ」も「物のあはれ」も「同じこと」だ(「玉のをぐし」二の巻)、と宣長は言う。言葉は、使われているうちに、言わばおのずから形を転ずるもので、その「いさゝか転じたるいひざま」が、「物のあはれ」なのであり、「物」は「物言ふ」「物語る」「物まうで」「物見」などいうたぐいの「物」で、「ひろく言ふときに、添ることばなり」と言う。それだけの説明からすれば、言いざまは「物のあはれ」よりもむしろ「物あはれ」と転じそうだが、「紫文要領」では、「源氏」に使われる「物あはれ」という言葉も、同じことと解されている。研究者の間では、いろいろ議論があるようだが、宣長自身にしてみれば、言葉の文法的構造の区別をどうこう言うより、「あはれ」の「いさゝか転じたるいひざま」と言って置けば事は済むと考えていたであろう。実際、そんな事より、言いたい事は、彼の心に溢れていたのである。……
 ――宣長は、和歌史の上での「あはれ」の用例を調査して、先ず次の事に読者の注意を促す。……
 ――「阿波礼あはれといふ言葉は、さまざまいひかたはかはりたれども、其意は、みな同じ事にて、見る物、きく事、なすわざにふれて、ココロの深く感ずることをいふ也。俗には、たゞ悲哀をのみ、あはれと心得たれ共、さにあらず、すべてうれしとも、おかし共、たのし共、かなしとも、こひし共、ココロに感ずる事は、みな阿波礼也。されば、おもしろき事、おかしき事などをも、あはれといへることおほし」(「石上私淑言(いそのかみささめごと)」巻一)……
 宣長によれば、「あはれ」という言葉は、そもそもは私たち人間の心が、見た物、聞いた事、為されたわざに対して深く感じ、動かされることを言う言葉だった。
 ところが、
 ――「あはれ」と使っているうちに、何時いつの間にか「あはれ」に「哀」の字を当てて、特に悲哀の意に使われるようになったのは何故か。……
 と小林先生は問いを設け、
 ――「うれしきこと、おもしろき事などには、感ずること深からず、たゞかなしき事、うきこと(憂きこと。辛いこと、不本意なこと/池田注記、恋しきことなど、すべて心に思ふにかなはぬすぢには、感ずること、こよなく(このうえなく/池田注記深きわざなるが故」(「玉のをぐし」二の巻)である、と宣長は答える。「石上私淑言」でも同じように答えて、「新古今」から「うれしくば 忘るゝことも 有なまし つらきぞ長き かたみなりける」を引用し、「コレウレシキハ、情ノ浅キユヘナリ」と言っている。……
 と宣長の見解を示して言います、
 ――この考えは、彼の「物のあはれ」の思想を理解する上で、極めて大事なものと思える。彼は、ただ「あはれ」と呼ぶ「情のウゴき」の分類などに興味を持ったわけではない。「阿波礼という事を、情の中の一ッにしていふは、とりわきていふスヱの事也。そのモトをいへば、すべて人の情の、事にふれてウゴくは、みな阿波礼也」(「石上私淑言」巻一)
……
 そして、 
 ――問題は、人の情というものの一般的な性質、更に言えば、その基本的な働き、機能にあった。「うれしき情」「かなしき情」という区別を情の働きの浅さ深さ、「心に思ふすぢ」に、かなう場合とかなわぬ場合とでは、情の働き方に相違があるまでの事、と宣長は解する。何事も、思うにまかす筋にある時、心は、外に向って広い意味での行為を追うが、内に顧みて心を得ようとはしない。意識は「すべて心にかなはぬ筋」に現れるとさえ言えよう。心が行為のうちに解消し難い時、心は心を見るように促される。……
 こうしてここで言われる「意識」については、昭和一一年、三三歳の年、小林先生は「純粋小説について」(「小林秀雄全作品」第7集所収)のなかでこう言っていました。
 ――ベルグソンは、「創造的進化」のなかで、人間の意識を「可能上の行動と現実の行動との算術的差」と定義しております。この算術的差の適量は、人間がよく考えよく行う健康状態を維持する為に必須である事は申し上げるまでもない。そして、僕等現代人は、いよいよこの算術的差の増大に苦しんでいる事も亦申し上げるまでもない事だと思います。……      
 ベルグソンの言う「可能上の行動と現実の行動との算術的差」の例を身近なところに求めれば、今年の夏休み、私、パリに行こうと思ってるの、でも、インドにも行きたいし、エジプトにも行きたいし、カナダにも行きたいしで、まだ迷ってるの、夏休みとは言ってもそうそう長くは会社を休めないし、それより何より先立つものが乏しいし……、といったケースですが、このケースであれば「可能上の行動と現実の行動との算術的差」は4-1で3となります。
 しかし、ベルグソンの言っていることは、これほど単純ではありません。
 小林先生は、昭和二三年、四六歳の年に書いた「『罪と罰』についてⅡ」(同第16集所収)で、こう言っています。
 ――この主人公(ドストエフスキーの小説「地下室の手記」の主人公/池田注記は、人間の意識というものを、殆どベルグソンの先駆者の様に考える。意識とは観念と行為との算術的差であって、差が零になった時に本能的行為が現れ、差が極大になった時に、人は、可能的行為の林のなかで道を失う。安全な社会生活の保証人は、習慣的行為というものであり、言い代えれば、不徹底な自意識というものである。……
 小林先生は、こういうベルグソンの教えに準じて、「本居宣長」第十四章では――意識は「すべて心にかなはぬ筋」に現れるとさえ言えよう。心が行為のうちに解消し難い時、心は心を見るように促される。……と言ったのですが、これに続けて言います、
 ――心と行為との間のへだたりが、即ち意識と呼べるとさえ言えよう。宣長が「あはれ」を論ずる「モト」と言う時、ひそかに考えていたのはその事だ。生活感情の流れに、身をまかせていれば、ある時は浅く、ある時は深く、おのずから意識される、そういう生活感情の本性への見通しなのである。……
 ――そういう次第で、彼の論述が、感情論というより、むしろ認識論とでも呼びたいような強い色を帯びているのも当然なのだ。彼の課題は、「物のあはれとは何か」ではなく、「物のあはれを知るとは何か」であった。「此物語は、紫式部がしる所の物のあはれよりいできて、(中略)よむ人に物の哀をしらしむるよりほかの義なく、よむ人も、物のあはれをしるより外の意なかるべし」(「紫文要領」巻下)……
 宣長の論述は、感情論ではなく、認識論とでも呼びたいような強い色を帯びている、宣長の説明は、次の通りだと言って、小林先生は、「紫文要領」から引きます、
 ――「目に見るにつけ、耳にきくにつけ、身にふるゝにつけて、其よろづの事を、心にあぢはへて、そのよろづの事の心を、わが心にわきまへしる、これ事の心をしる也、物の心をしる也、物の哀をしる也、其中にも、なほくはしくわけていはば、わきまへしる所は、物の心、事の心をしるといふもの也、わきまへしりて、其しなにしたがひて、感ずる所が、物のあはれ也」(「紫文要領」巻上)……
「事の心」「物の心」の「心」とは、物事それぞれの本質、心髄ということでしょう。
 ――説明は明瞭を欠いているようだが、彼の言おうとするところを感得するのは、難かしくはあるまい。明らかに、彼は、知ると感ずるとが同じであるような、全的な認識が説きたいのである。知る事と感ずる事とが、ここで混同されているわけではない。両者の分化は、認識の発達を語っているかも知れないが、発達した認識を尺度として、両者のけじめもわきまえぬ子供の認識を笑う事は出来まい。子供らしい認識を忘れて、大人びた認識を得たところで何も自慢になるわけではない。「感ずる心は、自然と、しのびぬところよりいづる物なれば、わが心ながら、わが心にもまかせぬ物にて、しくよこしまなる事にても、感ずる事ある也、是は悪しき事なれば、感ずまじとは思ひても、自然としのびぬ所より感ずる也」(「紫文要領」巻上)、よろずの事にふれて、おのずから心がウゴくという、習い覚えた知識や分別には歯が立たぬ、基本的な人間経験があるという事が、先ず宣長には固く信じられている。心というものの有りようは、人々が「わが心」と気楽に考えている心より深いのであり、それが、事にふれて感く、事に直接に、親密に感く、その充実した、生きたココロの働きに、不具も欠陥もあるはずがない。それはそのまま分裂を知らず、観点を設けぬ、全的な認識力である筈だ。問題は、ただこの無私で自足した基本的な経験を、そこなわず保持して行く事が難かしいというところにある。難かしいが、出来る事だ。……
 こう言って小林先生は、第十四章を締め括ると言う以上に「本居宣長」全篇を貫く宣長の「発明」を集約します、
 ――難かしいが、出来る事だ。これを高次な経験に豊かに育成する道はある。それが、宣長が考えていた、「物のあはれを知る」という「道」なのである。彼が、式部という妙手に見たのは、「物のあはれ」という王朝情趣の描写家ではなく、「物のあはれを知る道」を語った思想家であった。……
 この「物のあはれを知る道」という思想の「発明」が宣長に『古事記』という未開の奥地を発見させ、『古事記』という「物のあはれを知る道」を「発明」させるのですが、小林先生はまだそこまでは言わず、第十四章ではさらになお宣長に従って「生きたココロの働き」を敷衍していきます。

(第十四章 中 了)