小林秀雄「本居宣長」を読む(二十六)

小林秀雄「本居宣長」を読む(二十六)
第十四章
 情と欲
池田 雅延  
         

 第十四章の中盤で、「心というものの有りようは、人々が『わが心』と気楽に考えている心より深いのであり、それが、事にふれてうごく、事に直接に、親密に感く、その充実した、生きたココロの働きに、不具も欠陥もある筈がない。それはそのまま分裂を知らず、観点を設けぬ、全的な認識力である筈だ。問題は、ただこの無私で自足した基本的な経験を、そこなわず保持して行く事が難かしいというところにある。難かしいが、出来る事だ。これを高次な経験に豊かに育成する道はある。それが、宣長が考えていた、「物のあはれを知る」という「道」なのである。……」と言った小林先生は、段落を変えるや突如、とも言える語気で次のように言います。
 ――宣長は、情と欲とは異なるものだ、と言っている、「欲バカリニシテ、情ニアヅカラヌ事アリ、欲ヨリシテ、情ニアヅカル事アリ。又情ヨリシテ、欲ニアヅカル事アリ。情バカリニシテ、欲ニアヅカラヌ事アリ。コノ内、歌ハ、情ヨリイヅルモノナレバ、欲トハ別也。欲ヨリイヅル事モ、情ニアヅカレバ、歌アル也。サテ、ソノ欲ト情トノワカチハ、欲ハ、タヾネガヒモトムル心ノミニテ、感慨ナシ、情ハ、モノニ感ジテ慨歎スルモノ也。恋ト云モノモ、モトハ欲ヨリイヅレドモ、フカク情ニワタルモノ也」(「あしわけをぶね」)……
と、宣長は「感慨」を伴うか伴わないかに「情」と「欲」との差異があると言っていると言った小林先生は、続いて、
 ――「情」は定義されてはいないが、「欲」ではないというはっきりした限定は受けている。「欲」と「情」とは、現実生活では、わかち難いものだが、原理的には区別があるとしてみれば、自分の使う「情」とか「あはれ」とかいう言葉についての誤解が避けられよう、と宣長は考えたに相違ない。……
 と言います。
 小林先生が、「宣長は、情と欲とは異なるものだ、と言っている」と、突如、強い語気で言ったのは、話の向きを変えようとしたのではなく、宣長自身が「情」と「欲」との違いを敢えて持ち出し、「情」とか「あはれ」とかいう言葉についての誤解を避けようとしたのだ、宣長としては「情」と「欲」との違いを対比してみせることによって「あはれ」という言葉をいっそう正しく受け取ってもらおうとしたのだと早口に言わんとしての語気だったのです。
 先生は、続いて言います、
 ――「情」の特色は、それが感慨であるところにあるので、感慨を知らぬ「欲」とは違う。「欲」は、実生活の必要なり目的なりを追って、その為に、己れを消費するものだが、「情」は、己れを顧み、「感慨」を生み出す。生み出された「感慨」は、自主的な意識の世界を形成する傾向があり、感動が認識を誘い、認識が感動を呼ぶ動きを重ねているうちに、豊かにもなり、深くもなり、遂に、「欲」の世界から抜け出て自立する喜びに育つのだが、喜びが、喜びに堪えず、その出口を物語という表現に求めるのもまた、全く自然な事だ。……
 こうしてここで言われている「情」と「欲」との差異は、たしかに私たちも身に覚えがあります。しかし、「情」から生まれた「感慨」が、「欲」の世界から抜け出て自立する喜びに育ち、その喜びが「喜びに堪えず、その出口を物語という表現に求めるのもまた、全く自然な事だ」とはどういうことでしょうか。
「喜怒哀楽」という言葉がありますが、喜、怒、哀、楽、ともに私たちの「情」の現れです。ところが、私たちはこれらの「情」を自分ひとりの胸中に畳んでおくことはできず、誰かに話して喜と楽であればその幸福感が自分ひとりで見ている夢ではないことを確かめようとし、怒や哀であればこれも誰かに話して遣り場のない憤怒や悲歎を晴らそうとします、そしてその誰かに話して聞いてもらおうとするときの語り口はほとんどの場合「理路整然」ではなく、誰もが勢い、物語に仕立てて喋っているということも身に覚えのあるところではないでしょうか。そこを小林先生は、「喜びが、喜びに堪えず、その出口を物語という表現に求めるのもまた、全く自然な事だ」と言ったのですが、これに続けて先生は、「宣長は、『紫文要領』で、更に、次のような試問を設けている」と言って、宣長の画期的な物語論に言及します。
 ――物語は、教誡きょうかいの書ではないのであるから、「儒仏の道」や「尋常の了簡」からする善悪の評価にはあずからぬものだ。「たゞ人情の有のまゝを書しるして、みる人に、人の情はかくのごとき物ぞ、といふ事をしらする也、これ物の哀をしらする也」、……
 宣長が現れるまで、物語は教戒の書であるというのが大方の通念でした、したがって、物語の節々を捉えてここには儒教のくの教えが潜めてあるとか、ここでは仏教の云々しかじかの戒めが暗に言われているとかという勿体ぶった説法が横行していました。そこへ宣長は、そうではないのだ、物語というものは、ただ、人の情というものはこういうものなのだと人々に教えようとしているだけなのだと言おうとし、そこをそうと言わんがための方途として自作の問答を仕立てたのです、したがって、ここで、
 ――それが物語の道であるという説は承知したが、それならば、紫式部の本意は、「物のあはれしるを、よき人とし、しらぬを、あしき人とす」という事になる筈だが、それがよく合点出来ない、……
 と言う「質問者」も宣長自身であり、宣長は説諭者、質問者の一人二役を演じて「もののあはれ」の論を身近に感じてもらおうとしているのですが、「質問者」の言う「合点出来ない」は、
 ――何故かと言うと、「源氏」の「巻々に、ひたすらあだなる(浮薄であるさま/池田注記を、あしき事にいひ、まめなる(誠実であるさま/池田注記を、ほめたる心ばへのみ見えて、あだなる人を、よしとせる心は見えず、いかゞ」……
 これに対して、
 ――宣長答えて言う、「あだなるをよしとすとは、たれかはいへる(誰が言っているか/池田注記。あだなるを、いましむるは、尋常の論はさらにもいはず(世間一般の議論にあってはもちろんだが/池田注記、物語にてもいはば、あだなるは、物の哀しらぬにちかし。されば、いかでそれをよしとはせむ。まへにもいへる如く、物のあはれをしると、あだなるとは別の事にて、たがひにあづからぬ事也(相互に関わりあうことのない事柄である/池田注記、但し、物語の本意は、まめなるとあだなるとは緊要にあらず。物のあはれをしるとしらぬが、よしあしの緊要関鍵なり」。……
「物のあはれをしると、あだなるとは別の事にて」を現代風に言えば、「別の事にて」は「次元の違う事で」であり、「物のあはれをしる」は身辺の物事の新たな認識作業だから相応の時間と熟慮を要するが、「あだなる」は日常身辺の立居振舞たちいふるまいに関する是非論だから瞬時の独断事である、したがって両者は「たがひにあづからぬ」、すなわち、相互に関わりあうことのない事柄であると言うのです。
 こういう次元の違いを前提として小林先生は言います。
 ――「物のあはれを知る」と「あだなる」とは別事であるという宣長の答は、「情」と「欲」との考えを混同してはならぬ、という考えの延長線上にあるのだが、質問者は、理解しようとはしない。現実の心理の動きにかまけ考えようとする質問者の誤解を解く事は出来ない。宣長が考えていたのは、彼が「物語の本意」と認めた「物のあはれを知る」という「道」である。個々の経験に与えられた、心情の動き、「あだなる」動きも「マメなる」動きも、「道」を語りはしない。……
 ――宣長は、「道」という言葉で、先験的な原理の如きものを、考えていたわけではなかったが、個々の心情の経験に脈絡をつけ、或る一定の意味に結び、意識された生き方の軌道に乗せる、基本的な、あるいは純粋な、と呼んでいい経験は、思い描かざるを得なかったのである。これは「道」を考える以上、当然、彼に要請されている事であった。ここに宣長と質問者との間の行き違いがある。……
 宣長が用いる「道」という言葉は、「聖人の道」「風雅の道」「歌の道」等、すでに何度か小林先生の文中に出てきましたが、「聖人の道」にしても「風雅の道」にしても「歌の道」にしても、「道」という言葉で宣長が、さらには小林先生が言わんとしていたことは、先人たちによってすでに実践され、なんらかの形となって残されている軌範と呼んでいいものでした。その「道」が、初めてここで、次のように言われます。大事な言葉ですから、もう一度引きます。
 ――宣長は、「道」という言葉で、先験的な原理の如きものを、考えていたわけではなかったが、個々の心情の経験に脈絡をつけ、或る一定の意味に結び、意識された生き方の軌道に乗せる、基本的な、あるいは純粋な、と呼んでいい経験は、思い描かざるを得なかったのである。これは「道」を考える以上、当然、彼に要請されている事であった。…… 
 とすれば、「道」とは、人間誰にも見られる心の在り方、はたらき方に関して言われる言葉であり、「あだなる」動き、「マメなる」動きを問うことなく人それぞれに自分の心のはたらき方に則して人間の自然な心のはたらき方というものを知り、なぜ人間は心というものをこういう具合に造られ与えられているか、そこに意義を求めて自分はどういうふうに生きるのがよいかを自分の心に照らして考える、それが「道」ということのようなのです。
 ――しかし、問う者だけを責められない。宣長も、勝手に、「物のあはれ」に、限定された意味を附しながら、このどうとでも取れる曖昧あいまいな言葉以外の言葉を持ってはいないからである。平俗に質問されれば、彼は平気で、同じ言葉を平俗に使っている。従って、この辺りの宣長の評釈文は、一見混乱しているのだが、宣長自身が、問いを設けた文章である以上、混乱は、筆者によく意識されているのであって、その意のあるところを推察して読めば、極めて微妙な文と見えて来るのである。……
 ――さて納得しない相手は、話を続ける。――「帚木ははきぎ」に、妻としての理想の女性について論じ合う「雨夜あまよ品定しなさだめ」と言われている有名な文があるが、質問者は、これに触れる。左馬頭ひだりのうまのかみが「指くひの女」「木枯こがらしの女」という、女性の「マメなる」型と「あだなる」型を持ち出して、精しく論評しているところなど、式部の人間評価がよく現れていると見たいが、明らかに式部には、「実なる」を取り、「あだなる」をいましめる心ばえがあると思われるが如何いかがなものか。宣長は繰り返される愚問に、相手の考え方に寄添って答える、――よくよく本文を読めば、左馬頭の言うところも曖昧なのである。「『品定』は、展転反覆して、或はまめなるをたすけて、あだなるをおとし、又は物の哀しらぬ事を、つよくいきどをり、さまざまに論じて、一決しがたきやうなれ共」、しまいには、頭中将とうのちゅうじょうに「いづれと、つゐに思ひさだめずなりぬるこそ(どういう女がいいか、結局わからなくなってしまうのです/池田注記、新潮日本古典集成版「源氏物語」の傍注による世の中や」と言わせている。この遂に断定を避けているところに、式部の「極意」があるのであり、本妻を選ぶという実際の事に当り、左馬頭が「指くひの女」の「まめなる方」を取ると言うのとは話が別だ。これは「せんかたなき故のしわざにして、それをよしとするにはあらず」と。……
 ――ところが、面白い事には、宣長は、飽くまで相手に、勝手な問いをつづけさせ、自ら窮地に陥って見せている。明らかに、問題の微妙に、読者が気附いて欲しいというのが、宣長の下心なのである。相手は、食い下がる、「しからば、やむことをえざるときは、物の哀をば、まづさしをきて、まめなるかたにつくなれば、まめなるをよしとするが本意なるべきにや」――宣長は答える、「いかに物の哀をしるを本意とすればとて、物の哀さへしらば、あだあだしくともよしとは、いかでかいはるべき(どうして言えるだろう/池田注記。こゝは、式部が心になりても見よかし。我執をはなれ、人情にしたがへるかきざま、とりもなをさず、物の哀を知れる書ざま也。まめなれ共、物の哀しらぬ女を妻にする、やむ事なきところにして、しばらく人情にしたがひ、我思ふ本意をとをさず、かくのごとしといへ共、いたく口おしく思ふ心ばへ、前にひけるぶん共にも見え、又言外にも、其意いちじるし。いはんや終りに、いづれと思ひさだめずなりぬといひ、難ずべきくさはひ(種/池田注記まぜぬ人は、いづこにかはあらむといひ、又いづかたに、よりはつ共なく、はてばては、あやしき事共になりて、あかし給つとかきとぢめたるにて、本意は物の哀にある事をしるべし」。……
 ――宣長は語をつづけ、「品定」の間、居眠りなどして、人々の話に、ほとんど無関心な源氏君の姿に注意を促す。彼は、話題に上る女性達とは比較にならぬ、藤壺の人柄を独り思っている。――「足らず、又、さし過ぎたることなく、物し給ひけるかなと、ありがたきにも、いとゞ胸ふたがる」と式部は、源氏の心中を書いているではないか。ここで、宣長は、既に説いたところを重ねて説く。……
 ――「夕霧」で、夕霧と女二宮との仲を聞いた源氏君が、紫の上に、自分の死後は、君の御心も、うしろめたしと心配して話しかけるところがあるが、紫の上は、「女ばかり、身をもてなすさまも、所せう、あはれなるべきものはなし(女ほど、身の処し方も窮屈で、かわいそうなものはない/池田注記/新潮日本古典集成版「源氏物語」の頭注による」と述懐する。そして、式部は、紫の上に、「わが心ながらも、よき程には、いかで保つべきぞ」と言わせている。藤壺も紫の上も、式部が、作中で一番好意を寄せて描いた女性であり、「物のあはれ」を知る「よき人」の典型であるが、その紫の上が、「わが心ながらも」、これを「よき程に保つ」事は、まことに困難だと嘆く意味合は、源氏君が、藤壺の「足らず、又、さし過ぎたること」のない心を思って、稀有の事と嘆ずる言葉に通ずるものだ、と宣長は説くのである。そして、この「足らず、又、さし過ぎたることなく」、「よき程に」という言葉を誤解してはならない、「あまり、物の哀をしり過ては、あだあだしきによりて、よきほどに、物の哀をしれ」という意味に解しては間違いである。「物の哀をば、いかにも深くしりて、さて、あだあだしからぬやうにたもつを、よきほどといふ也。物の哀をしればとて、あだなるべき物にもあらず、しらねばとて、マメなるべき物にもあらず。されど、そこをよくたもつ人はなきものにて、物の哀をしり過れば、あだなるが多きゆへに、かくいへる也」……
 ――宣長が、「物の哀をしる」という言葉で、念頭に描いていた「物語の本意」とは、現実には「有り難き」理想であったと言ってもいいだろう。ただそれは、現実には、「有り難き」、まさに其処そこに、理想の観念としての力があるという純粋な意味合での理想であって、現実に固執する者が、自分の都合で拾ったり捨てたりする理想でも目的でもない。宣長は、それが言いたい。現実に照して、「よき程に」理想を知るなどとは意味を成さぬ。無論、あまり理想を深く知り過ぎると言うのも、意味を成さぬ道理である。式部は、この事をはっきり知っていたが、その「本意」を表には現さなかったと宣長は解する。なるほど物語には、「物のあはれしり過ぐす」という用例が見られるが、これは、物語という制約の命ずる心理的な用例であって、作者の「本意」は、裏面に隠れて了っているのである。そこに着目し、作者の「本意」を汲めば、「過る」という言葉の意味合は、「よろづの事に、物の哀をしりがほつくりて、けしきばみ、よしめきて、さし過たる事也。それは、誠に物の哀しれるにはあらず。かならずしらぬ人に、さやうなるが多きもの也」と解すべきものだ、と宣長は言う。……
 小林先生は続けます、
 ――ところで、この評釈で、宣長が出会っているもう一つの困難がある。彼は確かに、「物の哀をしる」とは、いかに深く知っても、知り過ぎる筈のない理想と見極めたのだが、現実を見下す規範として、これを掲げて人に説くという事になれば、嘘になり、空言となる。これも式部がよく知っていた事だ、と彼は解する。だから、「式部が心になりても見よかし」と言うのである。誠に「物のあはれ」を知っていた式部は、決してその「本意」を押し通そうとはしなかった。通そうとするさかしらな「我執」が、無心無垢むくにも通ずる「本意」を台なしにして了うからである。それに気附かないのが、世の劣者わろものの常だ。宣長は言う、式部は、言っているではないか、「すべて男も女も、わろものは、わづかにしれるかたの事を、のこりなく見せつくさむと思へるこそ、いとおしけれ」。……
  第十四章はここまで言って閉じられます。 
(第十四章下 了)