[小林秀雄「本居宣長」を読む]

 小林秀雄「本居宣長」を読む

  「本居宣長」は小林先生が六十三歳から七十五歳までの十二年六か月をかけて書かれた畢生の大作です。江戸時代の古典学者本居宣長の学問は、「源氏物語」や「古事記」に「私たち日本人はこの人生をどう生きればよいのか」を尋ね、教わろうとした「道の学問」なのだと言われ、全五十章に思索の限りを尽くされました。
 私たちの塾ではその五十章を一回に一章ずつひらき、それぞれの章に宣長の言葉はどういうふうに引かれているか、そして小林先生は、それらの言葉にどういうふうに向き合われているかを読み取っていきます。むろん毎回、「私たち日本人は、この人生をどう生きればよいか」をしっかり念頭においてです。


 令和8年1月の講座ご案内

●1月8日(木)19:00~21:00
   小林秀雄「本居宣長」を読む
第五十章 「宗教というものの出で来る所」

 全五十章で成っている小林秀雄先生の「本居宣長」を、一ヵ月に一章ずつと決めて読んできた私たちの学びも最終章となり、令和7年12月にはその最終章第五十章の前半部、「小林秀雄全作品」(新潮社刊)で言えば第28集199頁の中ほどまでを読み、今回はその後を受けて同頁の11行目からを読みます。
小林先生は、「本居宣長」は「思想の劇」なのだと最初に言われ、宣長が主役となって演じた「歌の事」から「道の事」への思想劇を詩情豊かに描き出されましたが、「道の事」の最終場面は「死の事」となり、先生は、「宣長が古学の上で扱ったのは、上古の人々の宗教的経験だった」が、宗教と言えばすぐにその教義を云々したがる現代人とは異なり、「宣長が古伝説から読み取っていたのは宗教というものの『出で来る所』であった」と言われて、妻の伊邪那美命いざなみのみことに先立たれた伊邪那岐命いざなきのみこと黄泉よみの国へ伊邪那美命に会いにいくが逃げ帰るという『古事記』の伝説を精読されます。

 ☆――以下、特報です――☆
小林先生の「本居宣長」には二部構成の「補記」があり、昭和五二年十月の「本居宣長」刊行後、昭和五七年四月に刊行されて「小林秀雄全作品」の第28集にも入っていますが、私たちの「私塾レコダ」では引き続き、令和8年2月5日(木)から同年11月5日(木)までの見通しで毎月第一木曜日に「本居宣長補記Ⅰ」「同Ⅱ」を読んでいきます、ご期待下さい。



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