小林秀雄「本居宣長」を読む
「本居宣長」は小林先生が六十三歳から七十五歳までの十二年六か月をかけて書かれた畢生の大作です。江戸時代の古典学者本居宣長の学問は、「源氏物語」や「古事記」に「私たち日本人はこの人生をどう生きればよいのか」を尋ね、教わろうとした「道の学問」なのだと言われ、全五十章に思索の限りを尽くされました。
私たちの塾ではその五十章を一回に一章ずつひらき、それぞれの章に宣長の言葉はどういうふうに引かれているか、そして小林先生は、それらの言葉にどういうふうに向き合われているかを読み取っていきます。むろん毎回、「私たち日本人は、この人生をどう生きればよいか」をしっかり念頭においてです。
令和7年7月の講座ご案内
●7月3日(木)19:00~21:00
小林秀雄「本居宣長」を読む
第四十六章下「反面恩師、賀茂真淵の立ち往生」
前回の6月8日には「雅言と古言」と見出しを立てて第四十六章の前半を読みましたが、
最後の段落で次のように言われていました。
――宣長が、真淵の言い方を難じた際、宣長には、「古事記」に入り込んで来る真淵の足取りが、非常にはっきり見えていたと思われる。神々が、高天原に留まるか、留まらぬか、「かゝることに、雅言不雅言のあるべきにあらず」という意味は、なるほど「天地のしらべ」を提げて、「古事記」の裡に入り込んだのであるから、貴方は、どんな抵抗にも出会わずに済んだ筈だが、「古事記」の方で、貴方に抵抗しているではないか、という事になるだろう。いかにも真淵の「しらべ」は、「古事記」に充満している「事」を処理するには、無力であった。……
今回はこれを承けて、「記紀」と並称される「古事記」と「日本書紀」では断然「古事記」だと言いきった真淵の眼力と、にもかかわらず真淵は「古事記」の内部に入れないと宣長に見ぬかれていた真淵の立ち往生が語られます。
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