令和7年12月のご案内
令和7年12月の≪私塾レコダ l’ecoda≫三講座は、次のように開きます。
講師 池田 雅延
●12月18日(木)19:00~21:00
小林秀雄と人生を読む夕べ
第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
第三十峰「骨董」(「小林秀雄全作品」16集所収)
昭和二三年(一九四八)九月発表 四六歳
昭和十年代の半ばから終り頃まで、小林先生は陶磁器をはじめとする骨董に熱中していました。そのきっかけは、ある日、友人の青山二郎と東京日本橋の骨董店で雑談していたときでした、鉄砂で葱坊主を描いた李朝の壺がふと眼に入り、その壺に烈しく所有欲をそそられた先生は自分でもおかしいほどまで逆上、買ったばかりの高級時計と交換してもらって持ち帰ったのですが、この時ついた骨董の狐が先生の眼を七転八倒させて五年、六年、七年と先生を東へ西へ走らせました。いまやっと狐が落ち、人心地ついて、骨董のしたたかさをふりかえります。
第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
「いじる」という言葉
●12月4日(木)19:00~21:00
小林秀雄「本居宣長」を読む
第五十章 「小手前の安心と申すは無きことに候」
小林秀雄先生の「本居宣長」は、全五十章で成っています。その「本居宣長」を、一ヵ月に一章ずつと決めて読んできた私たちの学びもいよいよ最終回、大団円の回となりました。小林先生は、「本居宣長」は「思想の劇」なのだと最初に言われ、宣長が主役となって演じた「歌の事」から「道の事」への思想劇を詩情豊かに描き出されました。「道の事」とは宣長畢生の大業『古事記伝』の主題であると同時に宣長たちの古学を象徴する言葉ですが、宣長が門人たちの質疑に答えた『答問録』の中に、「人々の小手前にとりての安心はいかがと、(中略)此事は誰も誰もみな疑ひ候事に候へ共、小手前の安心と申すは無きことに候」とあり、この発言は宣長の古道の論を締め括るような形になっていると先生は言い、第五十章はこの発言を吟味することから起されます。では、宣長と同時代の人々にとって「小手前の安心」とはどういう安心だったのでしょうか。宣長が窮めた上代の人々の安心はどういう安心だったのでしょうか。
☆――以下、特報です――☆
小林先生の「本居宣長」には二部構成の「補記」があり、昭和五二年十月の「本居宣長」刊行後、昭和五七年四月に刊行されて「小林秀雄全作品」の第28集にも入っていますが、私たちの「私塾レコダ」では引き続き、令和八年一月八日(木)から同年十月一日(木)までの見通しで毎月第一木曜日に「本居宣長補記Ⅰ」「同Ⅱ」を読んでいきます、ご期待下さい。
●12月11日(木)19:00~21:00
新潮日本古典集成で読む「萬葉」秀歌百首
今月の「秀歌」は次の二首です。
降る雪は あはにな降りそ 吉隠の
猪養の岡の 寒くあらまくに
穂積皇女[203]24
去年見てし 秋の月夜は 照らせども
相見し妹は いや年離る
柿本人麻呂[211]25・末尾の[ ]内は新潮日本古典集成『萬葉集』の歌頭に打たれている
『国歌大観』の歌番号、その次の数字は今回の秀歌百首の通し番号です。

