令和7年7月のご案内
令和7年7月の≪私塾レコダ l’ecoda≫三講座は、次のように開きます。
講師 池田 雅延
●7月17日(木)19:00~21:00
小林秀雄と人生を読む夕べ
第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
第二十八峰「モオツァルト」(後編)(「小林秀雄全作品」15集所収)
昭和二十一年(一九四六)十二月発表 四十四歳
小林先生は、音楽はただ虚心に耳を澄まし、聞える音を細心の注意で捕えようと、それだけを心がけられていました。そんな先生に、モーツァルトは驚くべき美で答えてくれたと先生は言い、彼、モーツァルトは、自分自身の天才に苦しんだが、その苦しみは妻にも見せず快活に世に処した、彼の音楽は、そういう彼の人柄の正直な表現なのだと言って先生はモーツァルトの音楽を性急に言葉に置き換えることはせず、長年訓練した聴覚と無私とでいま鳴っている音を正確に捕えることに徹し、そこにモーツァルトの人間性が鳴り渡るのを聴き取って言います、――モオツァルトのかなしさは疾走する、涙は追いつけない……。
前回の六月十九日には第二節から第四節までを読みました。これを受けて今回は、第五節から第十一節までと第一節を読みます。
第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
「沈黙」という言葉
「モオツアルト」の第五節で、小林先生は、「美は人を沈黙させるとはよく言われることだが、この事を徹底して考えている人は意外に少いものである。」と言われています。今回はここに因んで「沈黙」という言葉を取り上げます。
●7月3日(木)19:00~21:00
小林秀雄「本居宣長」を読む
第四十六章下「反面恩師、賀茂真淵の立ち往生」
前回の6月8日には「雅言と古言」と見出しを立てて第四十六章の前半を読みましたが、
最後の段落で次のように言われていました。
――宣長が、真淵の言い方を難じた際、宣長には、「古事記」に入り込んで来る真淵の足取りが、非常にはっきり見えていたと思われる。神々が、高天原に留まるか、留まらぬか、「かゝることに、雅言不雅言のあるべきにあらず」という意味は、なるほど「天地のしらべ」を提げて、「古事記」の裡に入り込んだのであるから、貴方は、どんな抵抗にも出会わずに済んだ筈だが、「古事記」の方で、貴方に抵抗しているではないか、という事になるだろう。いかにも真淵の「しらべ」は、「古事記」に充満している「事」を処理するには、無力であった。……
今回はこれを承けて、「記紀」と並称される「古事記」と「日本書紀」では断然「古事記」だと言いきった真淵の眼力と、にもかかわらず真淵は「古事記」の内部に入れないと宣長に見ぬかれていた真淵の立ち往生が語られます。
●7月24日(木)19:00~21:00
新潮日本古典集成で読む「萬葉」秀歌百首
今月の「秀歌」は次の二首です。
秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞
いつへの方に 我が恋やまむ
磐姫皇后[88]14
我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて
暁露に 我が立ち濡れし
大伯皇女[105]15・末尾の[ ]内は新潮日本古典集成『萬葉集』の歌頭に打たれている
『国歌大観』の歌番号、その次の数字は今回の秀歌百首の通し番号です。