次回の講座ご案内

令和7年3月のご案内

 令和7年3月の≪私塾レコダ l’ecoda≫三講座は、次のように開きます。
講師  池田 雅延   

令和7年3月の講座ご案内

●3月13日(木)19:00~21:00
 小林秀雄と人生を読む夕べ
  ★ご注意下さい:「小林秀雄と人生を読む夕べ」は、毎月第三木曜日に開いていますが、
  本年3月の第三木曜日は祝日のためお休みとし、第二木曜日の13日に振り替えます。


   第一部 小林秀雄山脈五十五峰縦走
     第二十五峰「西行」(「小林秀雄全作品」14集所収) 
              発表年月:昭和一七年(一九四二)一一月 四十歳
 
 西行は、平安末期から鎌倉初期にかけて旅に生きた歌人です。歌集に「山家集」があり、そこに収められている「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月もちづきの頃」は特によく知られていますが、小林先生は西行に空前と言ってよい内省家の顔を見てとり、彼にはまず自分の心にうずきがあり、その疼きの内省がそのまま放胆な歌となって現れたと言って、西行の心の疼きを聴き取っていきます。 


  第二部 小林秀雄 生き方の徴(しるし)
    
「告白」という言葉

「告白」ということは、小林先生生涯の関心事であり、「小林秀雄全集」を読んでいくと随所で「告白」という言葉に出会いますが、最も知られているのは「ゴッホの手紙」(「小林秀雄全作品」第14集所収)の次のくだりでしょう。
 ――これは告白文学の傑作なのだ。そして、これは、近代に於ける告白文学の無数の駄作に対して、こんな風に断言している様に思われる、いつも自分自身であるとは、自分自身を日に新たにしようとする間断のない倫理的意志の結果であり、告白とは、そういう内的作業の殆ど動機そのものの表現であって、自己存在と自己認識との間の巧妙なあるいは拙劣な取引の写し絵ではないのだ、と。……
 では、「自己存在と自己認識との間の巧妙なあるいは拙劣な取引の写し絵」に過ぎない「疑事告白」とはどのようなものでしょうか。小林先生は「西行」の前年、昭和十六年六月に書いた「川端康成」の中でこう言っています、
 ――自己反省というものの最後に行き着くところは、自分というものは、ばらばらにしか知る事は出来ぬという事である。そこまで行き着かないで途中にいる人だけが、告白というものを好む。告白につれて、その場限りの心理とか性格とかが発明され、又、何処かに消えて行く。果敢無はかない即興である。……
 言うまでもなく小林先生が西行に見た「内省家」は「自己反省家」ではありません。小林先生の言う「内省家 西行」を正しく読み取るために、今回の「生き方の徴」には敢えて「告白」という言葉を取り上げます。

●3月6日(木)19:00~21:00
   小林秀雄「本居宣長」を読む

     第四十四章  「反面教師、賀茂真淵 その2」

 前回の2月6日は「反面教師、賀茂真淵」とうたって第四十三章の後半を読み、「萬葉集」を究めて「古事記」に進もうとしていた師、賀茂真淵の学問の道は「古事記」に通じていないと宣長は見てとっていた、なぜかと言えば「自然」という言葉を真淵は中国の老子、荘子に倣って解していたが、宣長に言わせれば老子、荘子の言っている「自然」は観念的で、不自然きわまりないものだったからである、というところまで小林先生に教えられました。
 今回は、宣長はその先をどう言っているかを読んでいきます、小林先生は次のように記しています、
 ――彼の言うところによれば、「迦微カミ」という古言は、体言であって、「迦微」という「たゞ其物を指シて云ふ」言葉である。従って、「迦微の道」と使われる場合も、実際に「神の始めたまひ行ひたまふ道」を直指しているのであり、例えば、「測りがたくあやしき道」と言うような、「其道のさま」を、決して意味しない。このような古言の「ふり」が、直ちに古人の思想感情の「ふり」である以上、この点を曖昧にして置く事は、古学の上で、到底許されない。この、宣長の決定的な考えからすると、真淵が、「神の道」という言葉を、ひどく古言のふりから離れて使っているのが見えた筈である。真淵が熱心に論じたのは、神の道「其物」ではなかった。神の道の「さま」であった。……
 さらに、
 ――晩年の真淵は、この、わが国の神道に現れた、彼の言葉で言えば、「国の手ぶり」を、「たゞに指す」言葉を烈しく求めたのである。さかしらをいとうあまり、自然の道を、しいて立てんとし、人作りの小道をにくむあまり、自然の大道を説かんと急ぎ、宣長の言ったように、「おのづから猶その意(漢意からごころ)におつる」事になった。……



●3月27日(木)19:00~21:00
   新潮日本古典集成で読む「萬葉」秀歌百首


   今月の「秀歌」は次の二首です。

    川のの ゆつ岩群いはむらに 草さず 
     つねにもがもな とこ処女をとめにて
              吹芡ふふきの[22]6

    春過ぎて 夏きたるらし 白栲しろたへの 
     ころもしたり あめ具山ぐやま
              持統天皇[28]7


  ・末尾の[ ]内は新潮日本古典集成『萬葉集』の歌頭に打たれている   
   『国歌大観』の歌番号、その次の数字は今回の秀歌百首の通し番号です。