小林秀雄「本居宣長」を読む(四十六)
第二十二章 下 宣長苦心の見解
池田 雅延
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前回は小林秀雄先生の「本居宣長」第二十二章を読み始め、中ほど近くで先生が、
――さて、この辺りで、宣長が、自分の見解の説明に、苦労している見本を示しても、読者に唐突の感を与える事はあるまい。……
と言われている件の直前までを読みましたが、これを受けて今回は、先生が「宣長は自分の見解の説明に苦労している」と言われる、その宣長の語り口を写生します。先生がここで言われている宣長の見解とは人が歌を詠むということの根源に関わる見解で、次のように始まっています。
――「今ハ人ノ心、イツハリカザル事多ケレバ、歌モ又イツハリカザル事多キガ、即チ人情風俗ニツレテ、変易スル、自然ノ理ニカナフ也。サレバ、コノ人ノ情ニツルヽト云事ハ、万代不易ノ和歌ノ本然也トシルベシ。サレバ、今ノ世ニテ、此道ニタヅサハリ、和歌ヲ心ガクル者ハ、トカクマヅ今ノ人情ニシタガヒテ、イツハリカザリテナリトモ、随分(精一杯:池田補記)古ノ歌ヲマナビ、古ノ人ノ詠ジタル歌ノ如クニ、ヨマムヨマムト心ガクレバ、ソノ中ニ、ヲノヅカラ、平生見聞スル古歌古書ニ心ガ化セラレテ、古人ノヤウナル情態ニモ、ウツリ化スルモノ也。ソノ時ハ、マコトノ思フ事ヲ、アリノマヽニヨムト云モノニナル也。コレ何ンゾナレバ、カノ古ヘノ歌ノマネヲシテ、カザリツクリテ、ヨミナラヒ、見ナラヒタル、ソノ徳ナラズヤ。コレ和歌ノ功徳(すぐれた結果をもたらす力:池田補記)ニヨリテ、我性情モ、ヨク化スルト云モノ也。然ルヲ、後世ノ歌ハ、偽リカザリテ、マコトニ非ズ、上代ノ質朴ナルガ、実情ナリトテ、今ノ世ニテモ、思フ事ヲ、アリノマヽニヨミ出タラバ、エモイハレヌ、ミグルシキ歌ドモノミ、出来ベシ。今ノ人情ノイツハリ多キヲ悪ナガラ、其ノ情ヲ、アリノマヽニヨメトハ、如何ナル心得チガヒゾヤ。予ガ教フルハ、大ニコレニ異ニシテ、コノ裏ナリ。予ガ教フルハ、今ノイツハリ多キ情ノマヽニ、ソノ情ニテ、ムカシノ人ノマネヲシテヨミナラヒテ、サテ古ノ人ノヤウニ、自然ニ化スル也。コレ大ナル氷炭ノチガヒナリ。ヨクヨク考ヘ思フベシ」
小林先生はここまで一息に宣長の見解を引き、続いて次のように言います。
――明らかに、宣長は、当時歌を論ずる人々を捕えている通念に抗して、物を言っているのだが、「予ガ教フルハ、コノ裏ナリ」と言ってみても、残念乍ら、通念という馬鹿の一つ覚えには、表も裏もないのである。それが、宣長を苛立てているとは言うまい。そんな事より文の曖昧は、筆者の言わんとするところが微妙だという事から生じているのを考えた方がよい。一見不透明な文を、透かして見るのが必要だろう。歌が、人情につれて変易するのは、「自然ノ理」とも呼んでいいほど、誰にも解り切った事だが、この変易を、変易として、率直に在りのままに受納れる事が、実は大変難かしい。歌を論ずる人々は、変易に冠せた偽り飾るという言葉に、知らぬまに躓き、躓いて知らぬ間に、変易の外側に立って、これを悪んでいるではないか。……
先生はここまで言って行を改め、以下のように続けます。
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――歌の変易という「自然ノ理」は、歌を論ずる傍観者達の理に見合っているものではない。宣長は、「今ノ世ニテ、此道ニタヅサハリ、和歌ヲ心ガクル者」の立場を、飽くまでも離れない。詠歌という経験を、各自が反省してみれば、遠い過去からの歌詞の累積を背負わずに、現在の詠歌という言語表現は成り立たない事は明らかであろう。ただ反省に深浅の程度があって、これに応じて、背負ったものが資源とも重荷とも意識されよう。もし歌人が、歌学者としての明瞭な歴史意識を持つならば、詠歌とは、歌の伝統の流れの内部の出来事であり、これから逸脱は出来ない事を、認めざるを得まい。詠歌という行為は、自由ではあろうが、任意ではない。今日の詠歌を、「イツハリカザル」風と言いたいのなら、言ってもよい。それなら、「今ノ人情ニシタガヒテ、イツハリカザリテナリトモ、随分古ノ歌ヲマナ」ぶべきである。現在に生れ変ろうと希っている過去の歌詞の資源に出会おうと、道を開いて置かなければ、詠歌の未来に向う道も閉ざされるだろう。この考えは、伝統主義とは言えるが、復古主義とは呼べまい。……
ここでまた行が改められ、
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――だが、面倒は、その先きにある。古歌をまなぼうと努力しているうちに、古歌に「心ガ化セラレ」るという事が起る。――「ソノ時ハ、マコトノ思フ事ヲ、アリノマヽニヨムト云モノニナル也」――何故かというと、――「古ヘノ歌ノマネヲシテ、カザリツクリテ、ヨミナラヒ、見ナラヒタル、ソノ徳ナラズヤ。コレ和歌ノ功徳ニヨリテ、我性情モ、ヨク化スルト云モノ也」――と続く。ここに、はっきり見て取れるのは、「和歌ノ功徳」という宣長の考えだ。言うまでもなく、彼は、歌の目的は、性情を化するにあるとは考えていない。歌は歌である事で充分なものだ。この歌の自律性と、人の心が深い交渉を持つなら、心は、知らぬ間に、歌に化せられるという、そういう歌固有の価値或は働きの問題が、宣長の歌学の問題なのである。……
――「和歌ハ言辞ノ道也。心ニオモフ事ヲ、ホドヨクイヒツヾクル道也」という彼の言葉は、歌は言辞の道であって、性情の道ではないというはっきりした言葉と受取らねばならない。歌は「人情風俗ニツレテ、変易スル」が、歌の変易は、人情風俗の変易の写しではあるまい。前者を後者に還元して了う事は出来ない。私達の現実の性情は、変易して消滅する他はないが、この消滅の代償として現れた歌は、言わば別種の生を享け、死ぬ事はないだろう。「心ニオモフ事」は、これを「ホドヨクイヒツヾクル」ことによって死に、歌となって生れ変る。歌の功徳は、勿論歌の誕生と一緒であるから、「心ニオモフ事」のうちに在る筈はない。この事を念頭に置くなら、宣長は、こう言っている事になる、――もし「心ニオモフ事ヲ、ホドヨクイヒツヾクル」詠歌の手続きが、正常に踏まれ、詠歌が成功するなら、誕生したその歌の姿は、「マコトノ思フ事ヲ、アリノマヽニヨムト云モノニナル也」と。彼は、歌の味い、歌の功徳以外の事を語っているのではない。……
――これは、歌という「言辞ノ道」が孕んでいる謎めいた性質だが、「あしわけ小舟」を書き始めようとして、先ず、宣長は、この難解な性質に直面した。詠歌は、詠歌以外の何を目当てとするものではない。「只ソノ意ニシタガフテヨムガ歌ノ道也。姦邪ノ心ニテヨマバ、姦邪ノ歌ヲヨムベシ。好色ノ心ニテヨマバ、好色ノ歌ヲヨムベシ。仁義ノ心ニテヨマバ、仁義ノ歌ヲヨムベシ。タヾタヾ歌ハ、一偏ニカタヨレルモノニテハナキナリ。実情ヲアラハサントオモハバ、実情ヲヨムベシ。イツハリヲイハムトオモハバ、イツハリヲヨムベシ。詞ヲカザリ、面白クヨマントオモハバ、面白クカザリヨムベシ。只意ニマカスベシ。コレスナハチ実情也。秘スベシ秘スベシ」――彼には、難問が露わな形で、見えていた。避けて通る事は出来ないし、手際のいい回答は拒絶されている。「秘スベシ秘スベシ」とは、問題に、言わば当って砕けるより他はない、という彼の態度を示す。この態度から、磨かれぬ宝石のような言葉が、ばらまかれて行くのだが、私が、煩をいとわず、これを追うのも、私の仕事の根本は、何度くり返して言ってもいいが、宣長の遺した原文の訓詁にあるので、彼の考えの新解釈など企てているのではないからだ。……
――「ヨキガ中ニモ、ヨキヲエラビ、スグレタルガ中ニモ、スグレタル歌ヲ、ヨミイデムトスルガ、歌ノ最極無上ノ所也。歌ノヨシアシヲイハヌ時ハ、論ズル事モナク、マナブ事モイラヌ也。ヨキ歌ヲヨマムト思フ心ヨリ、詞ヲエラビ、意ヲマフケテ、カザルユヘニ、実ヲウシナフ事アル也。ツネノ言語サヘ、思フトヲリ、アリノマヽニハ、イハヌモノ也。況ヤ歌ハ、ホドヨク、ヘウシオモシロク、ヨクヨマムトスルユヘ、我実ノ心トタガフ事ハ、アルベキ也。ソノタガフ所モ、スナハチ実情也。(中略/小林先生記;池田補記)タトヘバ、花ヲミテ、サノミオモシロカラネド、歌ノナラヒナレバ、随分面白ク思フヤウニヨム、面白ト云ハ、偽リナレド、面白キヤウニ、ヨマムト思フ心ハ、実情也。シカレバ、歌ト云モノハ、ミナ実情ヨリ出ル也。ヨクヨマムトスルモ実情也。ヨクヨマムトオモヘド、ヨクヨメバ、実情ヲウシナフトテ、ワルケレドアリノマヽニヨム、コレ、ヨクヨマムト思フ心ニタガフテ偽也。サレドモ、実情ヲウシナフ故ニ、アリノマヽニヨマムト思フモ、又実情也」……
――ここでも、宣長の考えの重点は、実の心と歌の実とは、質の異なる秩序に属し、両者は直かに連続してはいないというところにある。歌の実とは、飽くまでも「歌ノヨシアシ」に関する実であって、実の心の側から照らせば、忽ち偽りと変じて了うというその事が示すように、既知の実の心の側からは説明のつかぬ新しい実である。……
――詠歌の「最極無上」とする所は、自足した言語表現の世界を創り出すところにある。この世界の魅力とは、この世界の誕生とともに創り出された、歌の実に他ならないのなら、歌人が、秀歌を得んとして、偽りも甘受して努力するのは当然な事であろう。この当然な事が、歌には歌の道があると、一応解ったような口の利き方をしている人々にも、実は解っていない。そこで、宣長の問答体の文では、「実情」という言葉が浮動して、詭弁めいた姿を取るのである。宣長の「和歌ハ言辞ノ道也」という言葉には、凡そ言語活動の粋を成すものは歌だという宣長の確信がある。言語の最大の機能は、その創造的な表現力にあるという意識がある。それが、「ツネノ言語サヘ、思フトヲリ、アリノマヽニハ、イハヌモノ也」という言葉の裏側にじっと据っていると見てよい。……
――詠歌にあっては、「コトバ第一ナリ」という宣長の考えは大変強いのである。「古人トテモ、歌ハ、トカク思フ心ヲ、ホドヨクイヒトヽノフルモノ也。サレバ、ソノ思フ心ハ、シゼント、モトメズシテアル也。思フ心アリテ後、ウタヲヨム也。サレバ、モトムル所ハ、辞ヲトヽノフルニアリ。イニシヘナヲシカリ。況ヤ今ハ、心詞トモニモトメテ、歌ヲヨム事也。必シモ、心ニ思フ事ニアラザレドモ、アルヒハ題ヲトリナドシテ、心詞ヲモトメヨム、コレ今ノ歌ヨムサマ也。題ヲトリテ、マヅ情ヲモトメ、サテ詞ヲトヽノフル也。コノ時ニアタツテ、情ヲモトムル事、先ニアレドモ、ジタイ情ハモトムルモノニハアラズ。情ハ自然也。タヾ求ルハ詞也。コノ故ニ、詞ヲトヽノフルガ第一也トハ云也」
彼に言わせれば、「思フ心アリテ後、ウタヲヨム」とは、誰の眼にも、詠歌の「順道」なのであり、古えは「順道」がおのずから行われていたから、「情ハ自然ナレバ、モトムル事ナシ、只詞ヲモトム」という事も、当り前な事だったのであり、何も特に「コトバ第一ナリ」と教える必要はなかった。ところが、詠歌の意識が複雑になり、「中古以来ノ歌ハ、情辞トモニモトム」という面倒な事になった。題詠が悪いと言うのではない。先ず題によって情を求めるという迂路を取るようになったまでの話だ。悪いのは、題詠の習慣化で、題が与えられれば、歌人等は情を求める手間を省くようになった。そこで、「先達ノ、専ラ情ヲサキトシテ、詞ヲツギニセヨト、フカクイマシメラレタル也」、つまり教えの方も逆になって了ったのだが、詠歌の歴史の変易を、変易として素直に受取るなら、詠歌の「順道」が分裂したからと言って逆にはならぬ、「コトバ第一ナリ」の鉄則は崩れないと悟るであろう。「情ハアサケレドモ、ヨキ歌多シ。詞アシクテ、ヨキ歌ハカツテナキ也」
勿論、宣長は、歌の表現性とか表現力とかいう言葉は使っていない。「トカク思フ心ヲ、ホドヨクイヒトヽノフル」事と言うのだが、「コトバ第一ナリ」という考えをつき詰めて行くと、ここで、もっと強い言葉が必要になって来るのである。
「詠歌ノ第一義ハ、心ヲシヅメテ、妄念ヲヤムルニアリ」と言う。「ソノ心ヲシヅムルト云事ガ、シニクキモノ也。イカニ心ヲシヅメント思ヒテモ、トカク妄念ガオコリテ、心ガ散乱スルナリ。ソレヲシヅメルニ、大口訣アリ。マヅ妄念ヲシリゾケテ後ニ、案ゼントスレバ、イツマデモ、ソノ妄念ハヤム事ナキ也。妄念ヤマザレバ、歌ハ出来ヌ也。サレバ、ソノ大口訣トハ、心散乱シテ、妄念キソヒオコリタル中ニ、マヅコレヲシヅムル事ヲバ、サシヲキテ、ソノヨマムト思フ歌ノ題ナドニ、心ヲツケ、或ハ趣向ノヨリドコロ、辞ノハシ、縁語ナドニテモ、少シニテモ、手ガヽリイデキナバ、ソレヲハシトシテ、トリハナサヌヤウニ、心ノウチニ、ウカメ置テ、トカクシテ、思ヒ案ズレバ、ヲノヅカラコレヘ心ガトヾマリテ、次第ニ妄想妄念ハシリゾキユキテ、心シヅマリ、ヨク案ジラルヽモノ也。(中略/小林先生記:池田補記)マヅ心ヲスマシテ後、案ゼントスルハ、ナラヌ事也。情詞ニツキテ、少シノテガヽリ出来ナバ、ソレニツキテ、案ジユケバ、ヲノヅカラ心ハ定マルモノトシルベシ。トカク歌ハ、心サハガシクテハ、ヨマレヌモノナリ」……
――これは、歌人等の普通われ知らず経験しているところで、何も詠歌の「大口訣」でもないわけだが、宣長が、特に「大口訣」という言葉が使いたかった意を推察してみれば、彼が着目しているところは、歌人等の言語意識の不徹底にあった事は明らかであろう。反省が徹底していれば、言語表現に、本来備っているとしか考えられぬ謎めいた力が、露わに見えて来る筈だ、宣長はそう考える。まだ「歌の実」という表現性を得ない「実の心」の単なる事実性などは、敢えて「妄念」とか「散乱した心」とか呼ぶがよろしい、と宣長は言うのである。
「情ハ自然也」と言っただけでは足りない。「自然と求めずして在る」心は、そのままでは、「心散乱シテ、妄念キソヒオコ」る状態を抜けられるものではない。言葉という「手がかり」がなければ、心は心で、どう始末のつけようもないものだ。思う心を「ほどよく言ふ」では言い足りない。一歩すすめて、乱れる心を「しづむ」「すます」「定むる」と言うべきだ。「石上私淑言」では、「むねにせまるかなしさを、はらす」と、同じ意味合で「はらす」という言葉が使われている。悲しみを詠むとは、悲しみを晴らす事だ。悲しみが反省され、見定められなければ、悲しみは晴れまい。言葉の「手がかり」がなくて、どうしてそれが人間に出来よう。「トカク歌ハ、心サハガシクテハ、ヨマレヌモノナリ」という言葉につづけて、仮りに宣長が、「心さはがしくては、つねの言語さへなきものなり」と書いていたとしても、私は少しも驚かないだろう。……
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「本居宣長」の第二十二章はここまで言って筆が擱かれています。 私池田もここで写生の筆を擱きますが、この写生に勤しんでいた間、私は小林先生の文壇登場論文「様々なる意匠」のプロローグ、すなわち「吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。……」を思い出していました。
大学を出て、二十七歳になったばかりの昭和四年(一九二九)四月、小林先生は雑誌『改造』の懸賞評論に応じて「様々なる意匠」を書き、この「様々なる意匠」が二席に入選して『改造』九月号に掲載され、たちまち先生は日本の近代批評の創始者と目されるに至りましたが、こうして先生が早々と日本の近代批評の創始者と目されたについては、大学時代に知ったフランスの詩人、小説家、批評家、サント・ブーヴの存在が大きかったことに加えて、同じく大学時代に知ったフランスの詩人ボードレールの象徴詩に感化され、さらには同じくランボオ、ヴァレリイとの出会いが大きかったと思われ、
――吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。……
という「様々なる意匠」のプロローグの一節もボードレールらの象徴詩に共鳴して脳裡に刻まれていた言語観であろうと思われますが、こうして「様々なる意匠」に次いで発表された小林先生の諸作品は、いずれも「遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない」ということの逐一認識であったとさえ思え、そして小林先生の批評活動の、と言うより思想劇の大団円とも言うべき「本居宣長」の第二十二章で先生が、
――さて、この辺りで、宣長が、自分の見解の説明に、苦労している見本を示しても 読者に唐突の感を与える事はあるまい。……
と言っている背後には、小林先生自身が批評家人生の締め括りとして「様々なる意匠」のプロローグに立ち返り、そのプロローグの結語に通じる事柄は、本居宣長が「人が歌を詠むということの根源に関わる見解」を示して言ってくれている、ゆえに読者もそれら宣長の一言一句を小林とともに熟読玩味してほしい、先生にはそういう願いが切だったと私には思え、宣長の「見解」を熟読する過程で先生は、――これは、歌という「言辞の道」が孕んでいる謎めいた性質だが、「あしわけ小舟」を書き始めようとして、先ず、宣長は、この難解な性質に直面した。……、と言い、しばらく行って、――言語表現に、本来備っているとしか考えられぬ謎めいた力……、とも言っています。
(了)