小林秀雄山脈の裾野散策 

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 小林秀雄山脈の裾野散策(二十二)
       
 「私の人生観」に章題と小見出しを附けてみる
大島 一彦  
 小林秀雄の文章には章題や小見出しを附したものが殆どない。長篇作品だと章分けはしてあるものの、一、二、三……と数字が記されてゐるか行間に星印があるだけで、章題のあるのは「ドストエフスキイの生活」だけである。従つて読者が章題を眺めて作品全体の構成が判るのはこの作品だけで、「本居宣長」のやうな長いものでも全五十章から成る全体の組立ては、読者が作品全体を読んで、一つの話題の始まりと区切り、次の話題への移行などを自分で押へて内容の区分けを確認しなければならない。勿論そこには作品の姿に対する作者の美意識が働いてゐるわけだが、もし必要なら、章題や小見出しは読者が内容の理解に応じて附けてくれればよい、さうすることで作品全体の流れや構造も見えて来る筈だ、と云ふのが作者の狙ひであつたらう。作者は自作への読者の積極的な参加を求めてゐるわけだ。なほ、「ゴッホの手紙」の単行本や文庫本には「書簡による伝記」の副題と、「序」「ボリナージュ」「恋愛」「ミレー」「アルルの太陽」等等の見出しを附した版もあるが、それは版元が附したもので、作者によるものではない。
「私の人生観」は長篇作品ではないが、新潮社版「小林秀雄全作品」で六十頁に及ぶ比較的長い講演体のエッセイで、前篇と後篇の二部に分れてはゐるもののやはり章立てや小見出しはなく、話題が多岐に亘つてゐるため、小林の愛読者ならともかく、初読者やそれに近い読者が漫然と読んで行くと、やがて全体の流れを見失ひ、途中で溺れかねない危惧がないとは云へない。私自身この作品は小林のものではかなり早い時期に読んだのだが、初読のときはやはりさうであつた。そこで或るとき思ひ立つて、話題ごとに区切りを入れ、小見出しを附けてみることにした。さうすることで部分部分の話題をしかと受止めつつ、前後の繋がりにも眼を配りつづけてゐると、やがて全体の構造にも思ひが至り、前篇では、仏教の観法を通じて真理を超えて真如に至る道筋が、後篇では、ベルグソンの云ふヴィジョンを通じてトゥルースを超えてリアリティーに至る道筋が、両者重なるやうな形で中心主題として据ゑられてゐるのが見えて来た。多岐に亘る話題はすべてその変奏と受止められ、この一篇は「観の主題による変奏曲」とでも副題を附ければ、その組立ての上でも見事な形式を備へてゐることになる。杉本圭司氏の「小林秀雄――最後の音楽会」(新潮社)によると、小林はベートーヴェンの大曲「ディアベリ変奏曲」を愛聴してゐたと云ふことなので、それなら小林に文章表現の上でも変奏曲(あるいは変奏文)と云ふ一つの形式が自覚されてゐたことは大いにあり得ることである。
 以下は「私の人生観」に私なりに附してみた章題と小見出しだが、読者によつては参考になるかも知れないと思ひ、披露することにした。頁数と行数は新潮社版全作品第十七巻のものである。

  前篇
  一 序または導入(136頁2行目から)
  講演を好まぬ理由――書くのが職業
     天職
     人生観といふ言葉
  二 観について(138頁18行目から)
     十六観――禅観――止観
     鑑真
     明恵上人
     恵心僧都(源信)――絵仏師
     法然や親鸞の宗教改革運動
     禅宗
     室町の水墨画――画僧――雪舟
     観法と文学の世界――西行
  三 仏教の思想(148頁12行目から)
     空の思想
     諸行無常
     釈迦――ヘラクレイトス
  四 仏教の心観(155頁6行目から)
     日本の優れた藝術家達に貫道する仏教観法の審美的な性質――芭蕉の風雅
     日本独特の悲劇――文化――語感
     写生――正岡子規――実相観入と近代西洋の科学思想が齎したリアリズムとの違ひ

  後篇
  一 或る歴史家の書いたトルストイ伝に対するアランの批判への共感(161頁1行目から)
     時間の不思議――命の持続
     宮本武蔵――「我事に於て後悔せず」
     観見二つの見様――心眼
     歴史家・批評・文化活動・懐疑・科学それぞれのあるべき姿と現状批判
     現実畏敬の念と現実
  二 政治について(170頁11行目から)
  三 美の問題(174頁17行目から)
     美から離れた小説
     美と通念
     ベルグソン――知覚と概念――知覚の拡大と優れた藝術家達
     知覚の制限と解放――ベルグソンのヴィジョン
     美と沈黙――言絶えた実在の知覚
     美学者と美の観念――リルケ――藝術家と物
  四 ベルグソンの哲学(185頁13行目から)
     藝術行為としての思想建築――藝術家ベルグソン
     思想と文体
  五 宮本武蔵補足(189頁12行目から)
     勝つといふ事と器用といふ事
     人生観を持つ事に勝つ
  六 結び(195頁2行目から)
     名人の必要
     日本の敗戦
     働くことが平和

 ところで、この「私の人生観」について、小林の盟友であつた河上徹太郎がこんな言葉を書残してゐる――「読者がここに正面切つて体系的に纏まつた彼の人生哲学が述べられてゐると思つたら、期待を裏切られるであらう。ここにはそんな体系的なものはないだけでなく、彼の人生観があるとすれば、それは普段書くもののどれにでも伺へるものが随所に現れてゐるだけで、格別新しい啓示に出会ふ訳ではない。然しそれだけ承知してゐれば、この講演原稿は、引用豊富で、彼の平生の覚悟が裏打ちされてゐて、愉しいおしやべりが聞かれるのである。」(「小林秀雄論」)
 勿論これは長年友人の書くものを読みつづけて来た盟友ならではの言葉であつて、小林秀雄の新しい読者なら、むしろ本作品の「随所」で「新しい啓示に出会ふ」ことであらう。その上でこの「変奏曲」が「愉しいおしやべり」に聞えて来るやうになつたら、それこそ御の字である。
 このことに関して、最近小林秀雄について書かれた気持のよい文章を読んだので、それを紹介しておかう。それは梅宮創造氏が昨年末に上梓した「文学の響――古今の名作を味わう」(早稲田新書)の中の「巨匠」と題された一章で、氏はそこで自らの小林秀雄体験をてらひなく正直に語つてゐる。(因みに、梅宮君は私の昔からの酒友で、勤務先の同僚でもあつた男である。)まづその書出しを読んでみよう――
「何がきっかけであったか憶えないのですが、私は十五、六歳の頃、初めて小林秀雄の文章にぶつかったのでした。ぶつかって弾き飛ばされたといえば、もっと正確かもしれない。なんというのびやかな、清々しい心の躍動であろうかと、碌にわかりもしない難解な語句の波間をたゆたいながら、ひどく感動したものです。他にいろいろ読んでいたわけでもないのに、これはそうザラにない、とんでもなく高級な文章だと思いました。あのとき読んだのが『私の人生観』(昭和二十四年)という講演録だったわけですが、おそらく当方、人生の諸問題に頭を悩ます年頃でもあり、何か生きる指針のごときを渇望していたせいもありましょう。まず表題が気に入ったようです。しかしその中身たるや、一青年の薄っぺらな期待なぞまったく寄せつけぬ、はるかに広大な未知の領野へぐいぐいと読者を引きずってゆく、まさに抗い難い力に満ち満ちているのでした。もちろん、今でこそそんなふうにいってみるのですが、初心うぶな私のとらえた印象は、どうも言葉で表しようのない混沌たる感動であったようです。私は熱にうなされた子供のように、先へ先へと読みすすめました。そうして胸がいっぱいになりました。……」
 氏は大学生になつてからも小林を愛読しつづけたが、卒業して日日の生活に追はれるやうになると、何となく小林から離れるやうになつたと云ふ。「嫌いになったわけではない、ただ周囲が、小林秀雄の名を頻繁に挙げ、その言説をうるさく引合いに出したりするのがやりきれなかったのです。かねての恋人を自分一人のものにして、そっと胸内に温めておきたかったのかもしれません。」さうかうするうちに歳月が流れ、「老齢におよんだ今」再び小林を読む気になり、取敢へず「私の人生観」を再読してみた。そしてかう云ふ――「私はこの講演録を再読して、氏のさまざまな他の著作にも共通する一つの声に接することができた。この声は懐かしい。ここに小林秀雄は今も変らず生きている、と実感しました。」
 梅宮氏はこの「懐かしい声」に接したとき、かつての難解な語句も、もはやそれらに弾き飛ばされることなく、河上徹太郎の云ふ「愉しいおしやべり」として心地よく耳に響いたのではなからうか。
(この項了) 
                         

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