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小林秀雄山脈の裾野散策(二十)
新しい批評の形式(2)
大島 一彦
ところで小林は、自分の想ひ描く「新しい批評の形式」を実現させるためには、どうしても批評の対象が一流でなければならぬことを強調してゐる。そして一流同士のあひだにはジャンルの別を超えて深いアナロジーがあるのだと云ふ。一流二流の識別と云ふことになると、当然読者にも気になるところだが、このことについては小田切秀雄とのあひだに次のやうなやりとりがなされてゐる――
「小林 それは鑑賞の経験だね、経験を重ねていると、必ず直覚するですよ。一流、二流があります。一流ならば同じです。
小田切 そうすると、トルストイとドストイエフスキイの場合は同じということになるんですか。
小林 同じですよ。
小田切 ゴーリキイは、全ソ作家大会で、ドストイエフスキイをボロ糞に言っていましたが、そういう風にドストイエフスキイとゴーリキイはとかく対立している。その対立しているものも一流だということで……。
小林 ゴーリキイは一流じゃない。トルストイ、ドストイエフスキイは一流です。ツルゲーネフは二流です。(小林はのちにほかの所でも同じやうな発言をしてゐるが、そこではチェーホフも一流だと云つてゐる。なほ、この座談会の最後の方で、魯迅は二流だが好きな作家だと云つてゐるところを見ると、一流二流と好き嫌ひは必ずしも一致しないやうである。)
小田切 一流のものは全部同じということはないので、違いはあるでしょう。
小林 違いはあるけれども、要するに同じ魂なんだね。何か深いアナロジーを感じるのだよ。
小田切 しかし、アナロジーだけでは片づかないので、同じ一流の間にも違いがあって、どちらを良しとするかという場合が出て来ることはありませんか。
小林 ないね。例えば、ゴーリキイの出現を歴史的社会的に説明して、どんなに弁護してみても駄目なんだ。ゴーリキイの作が二流品だということをどうしようもない。二流という証明は誰にも出来ないが、そういう世界では証明なんかつまらんことだ。……コメディ・リテレールとして見るならば、ドストイエフスキイもトルストイも、一流も二流もない。みんな歴史の波に押し流される人間として悩んでいる人じゃないか。従って、彼等の悩みの表現たる作品の美しさも、亦歴史の波に流されているものだ。そういう考えから、人間なり人間の作品なりの歴史的評価というものが一応説明出来る。ひと頃流行った考えじゃないか。しかし、人間の正直な美的経験というものは、そういう考えから常にはみ出す。ある絶対的なものに対する憧れがそこにあるのだ。厳としてあるのだ。」
このやりとりに見られる小林の言を敢へて要約してみると以下のやうになるであらうか。――対象が一流か二流かを客観的に証明することは誰にも出来ない。鑑賞経験を積み重ねた審美的鑑識眼によつて直覚するほかはない。すべてを押流す歴史の波がもたらすときどきの歴史的状況に照らして、対象の歴史的評価なるものがなされるが、そこでは評価対象の一流二流は区別されない。正直な美的経験は飽くまでも歴史の波からはみ出した或る絶対的なものに対する憧れがこれを支へるので、その憧れが一流二流を区別せざるを得ないのだ。――
このことに関して平野謙が次のやうな質問をしてゐる――「天才とか一流作家を題材に出来るのは批評家の特権だというふうにさっき小林さんは言われましたが、批評家でも一流の世界によく推参し得るのは一流批評家に限られてはいないか、誰でも精神の冒険とそれを持続する努力を試みたら、批評家はすべて一流藝術の世界に味到出来るものでしょうか。その点私は不安なんです、何だか大変幼稚な質問みたいですが。」
これは多分読者の誰もが質問してみたいことではなからうか。決して幼稚な質問ではないであらう。かう云ふ質問を受けて小林はどう答へるのだらうか。私は初めてこの座談会の記録を読んだとき、自分ならどう答へるか、暫し考へ込んだことを憶えてゐるが、勿論、まともな答は浮ばなかつた。小林はかう答へてゐる――
「ただ尊敬という道があるのです。こちらから登って行くのだ、向うをこちらまで下げるという方法では到底駄目です。いい批評はみな尊敬の念から生れている。これは批評の歴史が証明している。人を軽蔑する批評はやさしいし、評家はそれで決して偉くならぬ。発達もない、創造もないのです。フランスにも admirer, c’est égaler(敬服するとは匹敵することだの意)という諺がある。」
この答は感動的であつた。思へば、これこそまさに無私を得る道であり、ドストエフスキーから本居宣長に至るまで、小林は確かにこの道を歩いて新しい批評の形式を達成したのであつた。
小林はのちに宣長論で、宣長にあつては「歌の事」と「道の事」が直結してゐたことについて述べてゐるが、小林自身にとつても以後批評文を綴ることはさう云ふ意味合ひでの「歌の事」になつたのである。現にこの座談会でも次のやうな発言がなされてゐる――
「僕は言語を理論家が扱うようには扱わない。言葉は論理を進める手段ではない。実質ある材料です。それを集めれば家が建つのです。石で家が建つように、言葉で文章という実体が出来るのです。批評家だって、詩人と同じ態度で、言葉を扱わねばならぬと信じています。」
あるいはこんなことも云つてゐる――「近頃、こんなことがしきりに考えられる。真っ白な原稿用紙を拡げて、何を書くか分からないで、詩でも書くような批評も書けぬものか。例えば、バッハがポンと一つ音を打つでしょう。その音の共鳴性を辿って、そこにフーガという形が出来上る。あんな風な批評文も書けないものかねえ。即興というものは一番やさしいが、又一番難かしい。文章が死んでいるのは既に解っていることを紙に写すからだ。解らないことが紙の上で解って来るような文章が書ければ、文章は生きて来るんじゃないだろうか。批評家は、文章は、思想なり意見なりを伝える手段に過ぎないという甘い考え方から容易に逃れられないのだ。批評だって藝術なのだ。そこに美がなくてはならぬ。そろばんを弾くように書いた批評文なぞ、もう沢山だ。退屈で退屈でやり切れぬ。……文章の上手下手ということも、深く考えを押し進めて行くと、随分遠くまで行くものだ。思想の正しくないということも深く考えて行くと、文章の上手下手の問題と合致するのだ。」そして「美は真を貫く、善も貫くかも知れない」と云ふ。
小林が当時「モオツァルト」を執筆中であつたことは先に触れたが、このとき一人の文藝批評家が一人の天才音楽家と身を交はして自らの批評文を一篇の文藝作品たらしめようと奮闘中であることを想ひながらこれらの発言を噛締めるならば、肝銘の度は一段と深まるのである。
この座談会で小林は戦前から持越しになつてゐる「ドストエフスキイの文学」に再度取組む意嚮を表明してゐて、どう云ふ姿勢で対象に臨まうと思つてゐるかを具体的に語つてゐる。本稿でここまで引用して来た言葉と重ね合せて以下の言葉を読むならば、「『罪と罰』についてⅡ」と「『白痴』についてⅡ」を読む際に大いに参考になると思はれるので、最後にそれを引用しておかうと思ふ。
「僕は長い間中絶してから、『ドフトイエフスキイの文学』をまた書こうと思っていますけれども、彼に関するいろいろな批評を読んでしまうと、いろいろな意見が互に相殺して、結局何も言わない原文だけが残るという感じをどうしようもないのだね。批評家は誰も早く獲物がしとめたい猟師のようなものでね。ドストエフスキイはこういうものだと、うまく兎を殺すように殺してしまって、そうして見せてくれる。兎を一匹二匹と見せられているうちは、まず面白い。兎の死骸がしこたま積み上げられるとなると閉口するのだよ。全然兎が捕まらない批評だってあったっていいだろう。そうすると、批評というものがだんだん平凡な解説に似て来るんです。勝手な解釈は極力避けるということになるから、原文尊重主義というものになって来る。昔の人は原文というものを非常に大事にした。古典といってね。批評精神が発達しなかった証拠という風にばかり考えたがるが、そこにはやはり深い智慧があるのだ。原文尊重という智慧だ。古典を絶対に傷つけたくなくなるんだ。勝手に解釈するのが嫌やになるんだ。古典を愛してそのまま読む、幾度も読むうちに原文の美がいよいよ深まって来る。そういう批評の方法もあるのだ。現代で一番軽蔑されている批評方法だ。批評家とは読むことを知っている人だ。――これはたしかサント・ブウヴの言葉だが、あの言葉だって、取りようによっては大変深刻な言葉です。一番立派な解説が一番立派な批評である。そういう道があるわけだ。解説は一番やさしく又一番難かしい。……過去の現代的解釈というものを極力僕は避けています。極力避けた方がいいのでしょう。どうしたって現代に住む以上、現代の解釈から逃れられませんから、故意に現代の解釈なぞする必要はない。それは邪道です。」
小林にこのときはまだ本居宣長を書く明確な意図はなく、目下念頭にあるのはドストエフスキーの作品だとしても、この発言はそのまま、晩年「本居宣長」を書く際に小林が採ることになる執筆姿勢をも予告してゐると読めさうである。
(この項了)
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