小林秀雄山脈の裾野散策 

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 小林秀雄山脈の裾野散策(二十四)
       
 美と苦痛
大島 一彦  

 小林秀雄は「私の人生観」の後半中程で、自らの美の行脚を振返つて次のやうに云つてゐる。「私は、一時、原稿も書かず、文学者との交際も殆ど止めて、造型美術を見る事に夢中になつた事がある。その当時、痛感した事は、私の様に久しい間近代文学の饒舌の中に育つて来た者にとつて、絵や彫刻の沈黙に堪へるといふ事が、いかに難かしいかといふ事であつた。ただ黙つて見て楽しむのが難かしいといふのではない。ある絵に現れた真剣さが、何を意味するか問はうとして、注意力を緊張させると、印象から言葉への通常の道を、逆に言葉から知覚へと進まねばならぬ努力感が其処(そこ)に生じ、殆どいつも、一種の苦痛さへ経験した。」

 ただ黙つて絵を見て楽しむ、そして印象を言葉にしてみる、その方向に進むだけなら、ときに文章表現上の困難を覚えることはあつても、美を享受する喜びが得られこそすれ、苦痛を経験することはないであらう。だが小林は、画家がどのやうな知覚体験からこのやうな画面を実現するに至つたのかを問はうとする。それは画家の努力を模倣してみることであつて、言葉を生業(なりはひ)とする文学者にとつては決して生(なま)易(やさ)しい業(わざ)ではなく、一種の苦痛を伴ふことだと云ふ。美の問題に直面するとき、小林には常にこの苦痛の自覚があつた。「モオツァルト」で、美と云ふものは現実の一つの抗し難い力であつて、普通に考へられてゐるよりも美しくもなければ愉快でもないものだ、と云ふのも、この苦痛の自覚が云はせたものであらう。「ゴッホの手紙」の「烏のゐる麦畑」について書かれた有名な一節なども、そのことに思ひを致しながら読返してみると、ただ強烈な印象が巧みな言葉で表現されてゐると云ふだけでなく、この一節が出来上がるまでに体験されたであらう「苦痛」をも想はずにはゐられなくなるのである。

 小林はいま引用した文の少し前の所で、安井曾太郎と梅原龍三郎の展覧会場の人混みの中にゐて覚えた或る感慨を語つてゐる。それは、これらの人びとが真面目な鑑賞者の群れであることを疑ひはしないが、大方は、絵を前にして現に経験してゐる生き生きとした感情を決して家まで持つて帰りはしないであらう、彼等にとつてその感情はやがては覚めねばならぬ夢なのだ、と云ふ思ひであつた。この考へは小林の心を苦しくしたと云ふ。「何故美は現実の思想であつてはならないのか」と小林は問うてみるが、「通念の力」がかう答へる、「夢も亦(また)人生には必要ではないか」と。しかし、と小林は云ふ、「夢とは、覚めてみればこそ夢なのではないか。日常の通念の世界でわれに還るからこそ、あれは美しい夢だつたと言ふのではないか。そして、通念とは万人の夢ではないの」か、と。

 もし通念の方が万人の夢なら、絵の前にゐるときの方が夢から覚めてゐることになる。我我は一時の夢を見るために展覧会場へ出掛けるのではない、本来の我に還るために展覧会場へ出掛けるのだ、と云ふことになる。

 小林はさらにかう云ふことを云つてゐる。――我我は美しい自然を眺めてまるで絵のやうだと云ひ、美しい絵を見てまるで本当のやうだと云ふ。これは、自分でも気附かずにたいへん大事なことを云つてゐるのであつて、要するに「美は夢ではない」と云つてゐるのである。「海が光つたり、薔薇(ばら)が咲いたりするのは、誰の眼にも一応美しい、だが、人間と生れてそんな事が一番気にかゝるとは、一体どうした事なのか。現に、会場に絵を並べた二人の画家は、四十何年間も海や薔薇を見て未だ見足りない。何といふ不思議だらう。……さういふ疑問こそ、絵が一つの精神として諸君に語りかけて来る糸口なのであり、絵はさういふ糸口を通じて、諸君に、諸君は未だ一つぺんも海や薔薇をほんたうには見た事もないのだ、と断言してゐる筈なのであります。私は美学といふ一種の夢を言つてゐるのではない。諸君の眼の前にある絵は実際には、諸君の知覚の根本的革命を迫つてゐるのである。とすればこれは、驚くべき事実ではないのですか。」

 一枚の絵を、何かを真剣に語り掛けて来る一つの精神と受止め、そこに顕現する美は決して夢ではなく、現実の思想であり一つの抗し難い力であつて、それに面と向ふ者には知覚の根本的革命を迫つてゐる――勿論これは小林自身が「一種の苦痛」を覚えながら経験した「驚くべき事実」である。

 私はここで、小林がかつてこんな文章を書いてゐたことを思ひ出した。「子供は母親から海は青いものだと教へられる。この子供が品川の海を写生しようとして、眼前の海の色を見た時、それが青くもない赤くもない事を感じて、愕然(がくぜん)として、色鉛筆を投げだしたとしたら彼は天才だ、然し嘗(かつ)て世間にそんな怪物は生れなかつただけだ。」(「様々なる意匠」)だが「そんな怪物」もごく稀にだが生れてゐたのである。小林はのちに絵や彫刻に「夢中」になるにつれて、そのやうな怪物達が「海は青いものだ」と云ふ「通念」を超えた知覚体験の持主であることを思ひ知つた。むしろ「愕然」としたのは小林の方であつたらう。小林はこの「驚き」を回避しなかつた。そして対象が強ひて来る「感動」と「沈黙」と「苦痛」に堪へながら、じわじわと言葉を紡いで行つた。その成果が「ゴッホの手紙」であり「近代絵画」であつた。

(本稿は、先に発表した「『慶州』再読」への追記を兼ねたものである。)

(この項了) 
                         

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